ゾメキナーゼ

和泉眞弓

zomekinase

 箱が届く。ねばつく澱のような感触が、足の裏からふくらはぎへと、じわりじわりと上ってくる。

「阿波踊りには、もんてこい、って、お父さんが言ってます」米のほかに鳴門わかめや大野海苔が詰まった段ボールの定期便はありがたいが、同梱される母からの手紙はおれをすこし気鬱にする。子は生まれる場所を選べない。べつに徳島がきらいなわけじゃない。戻ってこい、も仕方がない。ただ、生まれた場所をふるさととされ、永劫続く縁を自明とする、あのねばつく感触が、どうもすきになれないのである。

「お父さんは、俺は阿波踊りに出ん、って言ってます」手紙は続ける。出ん出んと言っても、おれの記憶する限り親父が阿波踊りに出なかったことは一度もなかった、あの感染症禍で中止になった年を除いては。勝手にすればいい。親父が阿波踊りに出ようが出なかろうが、おれには関係ない。そう言い切ると、澱はしゅるりと足の裏まで撤退した。

「今年はソーシャルディスタンスを保って踊る、というのに納得いかないらしいです」おれはこの目を疑い二度見する。何を言うとんじゃこの親父は。親父、悪いこと言わん今年は出るな。いや、来年も再来年もその先も、徳島のため社会のため日本のため世界のため、親父はもう一切阿波踊りに出なくていい。

「阿呆はうつるけん阿呆でないか、そんなんで阿呆になれるんか、って、お父さんは口ぐせのように言ってます」膝を突き合わせるのが一番とでも言いたげな古くさい価値観、今となっては害ですらある粗雑なしぐさ。いいかげんアップデートしろ、と言っているのに、親父はいまだにおれと話すためのzoomすら習得しようとしない。

「ところでそちらはいかがですか。ゾメキナーゼは発見できましたか」

 人生最大の汚点である。親父の囃し立てにまんまと乗せられ、小学校の卒業文集に「将来の夢:研究者。徳島県民の体内にしかない物質、ゾメキナーゼを発見する!」などと書いてしまって以来、母や友人はそれをネタに今も俺をいじり倒してくる。もう俺も二十六歳になる。ややこしいことに大学院時代は化学を専攻しており、それが微妙にいじりを持続させている。

 コシの強い鳴門わかめ、巻くとパリッと砕ける甘辛い大野海苔。どちらもすきでおれの食卓には欠かせない。だがそれはおれが徳島に生まれたこととは関係がない。砕けた海苔とご飯を一緒にかきこむ。旨さに乗じて這い上ろうとする澱を、足裏を踏みしめ力の限りせき止める。


 大学入学時に数々のサークルから勧誘を受けたが、すこしかじっては幽霊部員になり、居場所がなく漂っていた。おれが「徳島県民サークル」に顔を出したのは、ひとえに魔がさしたとしか言いようがない。藍染のコースターにすだちハイボールが配られ、昔ながらのお嫁さんのお菓子も置いてある。金時入りのお好み焼きである豆玉を焼く。いい感じで酒が回る。宴が頂点を迎えると、皆示しあわせたように阿波踊りを踊りだす。基底となる徳島愛を前提として疑わない集い。しんどかった。瞬く間に澱はまるごとおれをとらえてあふれだし、爪の先から髪の先からあとからあとからしたたり落ちた。トイレに中座すると、体中の水分がなくなるかと思うほどの、文字通りの反吐が出た。この澱の手から逃れたくて他県に行ったはずが、振り返ったが最後、澱まみれだ。モンゴル出身の横綱であっても、お嫁さんが徳島出身なばかりに眉山の頂上にあるカップル御用達のスポットに名を刻まれる。とりつく島があれば触手を伸ばし、ゆかりありとして引き入れて、ありえないものを同化してくる。澱は、おそろしい。

 澱は人ひとりぶんの影のふりをしておれにつきまとい、寝食をともにするようになった。昼間は鳴りを潜めているものの、夜にはもりもりとして人の形をとり、ずうずうしくも飯まで食っている。こんなものと毎晩顔を突き合わせていたら、おれのほうがおかしくなってくる。

 澱は顔のない顔でしずかに言う。「阿波踊りには戻らんので?」誰が戻るか。「お父さんとなんで話さんの?」このご時世に何ぬかす。その気になればオンラインですむわ。「オンラインなら話すんか?」おれは別に話すことないけどな。「お父さんのほうにありゃあ、話すんか?」ああうるさい。知らん。ヘソの緒はいつか切るもんだ。おれを生んだのが、徳島の労働力再生産のためならば、おれは断固、親父のもんてこいコールに抗わなければならない。おれの命をそんなものに矮小化されてはたまらない。

 うとましい澱をぶった切るため、おれは徳島以外の名産や全国チェーンの飯を食うようにした。一ヶ月もすると、澱は子どもの大きさぐらいまでにちいさく弱ってきた。殲滅まであとすこし。そんな折、母からフィッシュカツが送られてきて、澱は再びもりもりと大人一人分の大きさを取り戻してしまった。

 

 就活では希望の全国転勤がある会社に拾ってもらえた。隣席になった女性は北海道出身らしく、あけっぴろげで食い気味に話を振ってくる。「汽車って、ゆうよねえ。普通に汽車で通学すること、汽車通、ってゆうよねえ」まずい。そろり、ぬるり、澱の動く予感がする。乗るな、乗ってはいけない。辛うじて踏みとどまっているにもかかわらず、彼女が畳みかけてくる。「私の出身高校も、池田高校なんですよう。もちろん北海道のですけどね? あ、でも徳島の池高の校歌、歌えますよ? うちの母が甲子園から水野さんのファンでえ」おそかった。澱のやつ、嬉々としておれを乗り越え決壊した。気づけば一緒に池高の校歌を歌っていた。続く徳島あるある語りが止まらない。


 仕事がぱっとしない最近は、休日には自己啓発に勤しんでいる。セミナー講師のアテンドを任されるようになり、「彼、なかなか有望株よ」などと言う声が仄聞こえると、胸にツーンとした喜びを覚える。「天職と適職は違うの。ミッションとは天命のことね。天から与えられたミッションが、天職。天職は、生き甲斐になる。生活するために得意なことをするのが、適職。天職をささえるために適職がある。ここ混同して、食べるための仕事に生き甲斐を見いだせない、って悩む若い人が多いのよね」眩いばかりの開襟シャツ、首元に大粒のダイヤをひからせて、エリア統括である美雪さんのマスク越しの熱弁が続く。「ミッションに携わる人のパッション、情熱が、周りを動かす。情熱が相手にうつる。熱は、うつるの。あ、コロナの話じゃなくてね」一気に言うと、美雪さんはマスクを下げ、商品である水をごくりと一口飲んだ。輝く双眸の彼方には、上昇の未来しか存在しないように見える。実のところ例の澱は、この美雪さんが大の苦手なのだ。だからこそおれは美雪さんのセミナーに通うことに決めた。世界中を住処にできるリッチな生活、お金と人を引き寄せる智慧、などの講座は大盛況で、いずれも浄水器を売る仕事を通じた自己実現を語っていた。ねずみ講とはここが違う! という講座は聞いてもよくわからなかったが、誰も捕まってないからたぶん違うのだろう。おれは美雪さんに倣い、持ち物にふさわしい自分になるため、オメガの腕時計を購入した。イメトレも習慣づけた。おれはお金にすかれている、おれはどこへでも羽ばたいて住む世界を選べるレベルに既になっている、おれは、おれは、おれは、おれは、自分を主語にして暗示をかける。そんなときは夜になっても澱は現れず、この道はおれにとっていよいよ正しいと思うほかなかった。

 副業とはいえ、浄水器がなかなか売れない。美雪さんから「うーん、パッション、熱が足りてないんじゃないかな」と指摘される。おれは浄水器のことを一から再勉強し、大学院で使いこなした化学の語彙をのせてみた。「前より言葉に熱が出てきた」と評され、顧客の感触もよい。もう一押し、アトピーが良くなったという体験談を自分のものとし、自分の経験とひとの経験の境目がわからなくなったころ、やっと一台、初めて浄水器が売れた。熱量をもっておれが顧客に説き、顧客が一代記を熱く語り、たがいの熱が伝わりあい地続きになった瞬間だった。だが同時に、おれと顧客は変異型ウイルスに罹っていた。

 苦しかった。幸いおれは重症化せず、隔離期間を終えた。浄化のためあびるほどの水を飲んだ。この浄水器を広め日本の皆が使えばかなりの健康問題が解決すると半ば本気でおれが思いだしたころ、あの澱が、おれの二倍の質量を持って、突如食卓に現れた。

 なんで出てきたん。「なんでと思う?」知らんわ、そもそもお前とさっさと縁を切りたくて浄水器売っとんでないか。「おまえもなかまやけん。誰も彼もを引きこんでおおきゅうしたい。徳島の地縁は宝だぞ」そう囁くと澱は、パリパリに焼いた阿波地鶏を平らげてしまって、先にとこへと這入っていった。


 澱は張り切っている。おれが夏に帰省することにしたからだ。背に腹は代えられぬ、地縁のほかに伝手がない。守り札よろしく美雪さんの著作を何冊か鞄に入れたが、増長しつづけている澱にはとっくに効果がなかった。三倍の大きさに膨れ上がった澱の姿はほかの人には見えないのだろう、徳島行きの高速バスの座席が一人分でも怪しまれず、バスは淡路島を過ぎ、鳴門を過ぎる。徳島市内に入り、提灯の列の横をバスがすり抜ける。肌が粟立つ。ほんまに今年、やる気なんやなあ、阿波踊り。なあ、とおれは影のほうに振り向き澱を探すが、探せど探せど、見当たらない。いつのまにか澱はいなくなっていた。


 家の敷居を跨ぐと、母が、好物の釜揚げしらす丼を用意して待っていた。「罹ったんやってな」「ああ、二ヶ月ぐらい前の話やけどな」「息とか、苦しいない?」「大丈夫。味覚も戻ってきた。ええ水飲んどったけん回復早かった」おれが浄水器の話を切り出そうとしたとたん、親父が入ってきて開口一番、おれに言い放つ。「なんでまた、もんてきたんや」「息子が戻ってきたらあかんのか」「あかんことないけどどういう風の吹きまわしなん」親父は鋭い。おれは後ろ暗い気分を隠しあいまいに笑う。「親父、阿波踊り踊らんてほんまなん」「あたりまえやないか」「このご時世やしな」おれが話をまとめだすと、親父が抗う。「みんな、このご時世やからー、ゆうて、大事なもんから、逃げよる」カッとこみあげておれは言う。「逃げやない。命が一番大事や。感染対策や。おれは罹ってしもたから、偉そうに言えんけど」「おまえ、ひとから、うつったんやろ」「あたりまえや、何ゆうとるん。ほなけどひとのせいとちゃう、おれが甘かったんや」「少し、見直したわ」「はあ? コロナに罹った息子を見直す親がどこにおるんな」「どいつもこいつも、距離をとってばっかりや。距離をとってもつながれるーとか、大切な命を守るためーとか、いいことばっか言うけんど、一番大事は自分が悪くならんようにや。仲間言うて集もうて終わったらドアとか消毒して手え洗ろといて。気に入らん客来て玄関に塩まくようなもんやないか。菌つくー言うて何がつながりや。口ではつながろうー言うといて、一方で、別々ですぅーゆう行動して、ほんま意味わからん。なんでひとは集う思っとるんな。集まらん祭りてなんなん。うつる覚悟のない祭りてなんなん」「親父、ソーシャルディスタンスー、が気に入らんのか」「あたりまえや」すでに罹ったおれは強く言えない。「わかる」仕方なくおれがそう言うと親父は意外そうに顔を上げ、相好を崩し燗酒を勧める。「別のもんや、そういうもんや、て思えれば、何てことないんやろうけどな」「ほうやな」母が終わった食器を集めながら口をはさむ。「阿波踊りに似た、別のイベントや、そういうもんやおもーて、踊ったらええんちゃうの?」親父が首を振る。「そんなこと言うても、もう演舞場もおどり広場も締め切っとるで。鳴り物も踊り子も練習しとらんし」「どこでも、踊ったらええんちゃうの。家の中でも、道路わきでも、密にならんように」「家の中て、ほんな恥ずかしいことできるかいな」「親父、恥ずかしい思うとったんか」「阿呆になるんや、恥ずかしい越えんかったら、阿呆にはなれん」「じゃあなりゃあええ。家族やし、どってことない」「おまえもなれえ」「ほなけど鳴り物どうする」「うちの連、俺のせいで応募できんかったけん、鉦の正さんあたりは声掛けたらすっとんでくるわ」心なしか親父の頬が緩む。母が言う。「決まりやな」

 一本電話をしたら、正さんばかりか、三味線のみちさん、篠笛の伝さんまであれよあれよという間にマスク姿で大集合してしまった。換気で掃き出し窓を大開放して「ディスタンス」「ディスタンス」と母とおれが間を割って立ち位置を定めると、チンチャ、チンチャ、チンチャ、チンチャ、正さんがぞめきのリズムを刻みはじめる。まずい。足の裏がむずむずしてくる。せっかくおさまっていた、あの澱がうごめきだしてしまう。

「♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」

 いつもの澱が這い上る感覚ではない、明らかにべつのものがわきあがってくる。鉦の音に誘われるように、足の裏から、ヘソの内側から、ワクワクとした芽の伸びたい感じが身のうちを叩きやぶり、神経の先端がざわめき、ゾクゾクとした予感がおこる。ぞめきのリズムにじっとしておられず、おれも足出し、手出し、得意のうちわを回しだす。おれは確信した。澱じゃない。おさえのきかぬ熱源がいままさにおれを肚底から突き動かしている。ぞめきに種火が煽られて、たちまち炎と広がる。もがき這いまわる炎の先が踊りの手となり足となる。うちとそととの境はなく、鉦につられた精神だけが手足の放埓を御していく。鉦の調子が変わる。炎はさらにうねり、はためき、揺らぐ。揺らぎのままにおれの身体は沈んで伸びて回転する。ディスタンスの向こうに親父の目、同じ炎、同じ、同じ。


 それからおれは、浄水器販売をやめ、休日には鉦の音で活性化する体内物質の研究に勤しんでいる。ゾメキナーゼ入り土産菓子なんかどうだろう。ブレイクしてリッチになって、鉦を鳴らせば食った人皆、日本中がぞめき立つ。想えばすこしたのしい。そろり、ぬるり、足裏に気配がある。

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