最終話 毒殺されない悪役令嬢
昼下がりの学園の裏庭。
ひとけのないベンチに並んで腰かけ、私とノアは見つめ合っていた。
「ノア様。近すぎます」
どんどん距離と詰められて、今にも押し倒されそうにになった私は、ドキドキしながらノアの胸を軽く押し返す。
「照れているの? 可愛いけど、もっと僕に身を任せてほしいな。ここには僕たちふたりきりなんだから」
「そうは言っても、いつ誰が来るか……」
「誰も来ないよ。ほら。目を瞑って」
私の顎に指をかけ上を向かせてくるノア。
甘くゆるんだ表情と、キラキラと輝く星空の瞳に吸い込まれそうになる。
いけない、気を抜くといつもノアのペースに乗せられてしまう。
「ダ、ダメですってば。ここは王太子宮ではないのですから」
「僕の宮でだって、マーシャが見ているとか理由をつけて、君はつれない態度をとるだろう?」
「それは、ノア様がすぐ外でいけないことをしようとするから!」
「イケないことって? 何を想像したのかな?」
目を細め、顔を覗きこんでくるノアの色気といったら。
顔が熱くなるのを感じながら、私は勢いよく立ち上がった。
「もう! からかうなら私は教室に戻ります!」
「ごめんごめん! 許して、オリヴィア。君があまりにも可愛いのがいけない」
私の手首をとり、ベンチに座りなおさせて、ノアこそ可愛らしくおねだりしてくる。
このおねだり顔に私は弱い。
ノアもそれをわかっていてやっているのだろう。悔しいけれど、抗えない。
「口付けくらいいいだろう? それ以上のことはしないから。誰も来ないうちに、ほら」
「そんなこと言って、いつもすぐに誰かが来るじゃないですか……」
「その通りです」
ノアの誘惑に負けて、目を瞑りかけた時、後ろから突然顔を出したのは、
「きゃあ⁉」
「ユージーン……」
ノアの側近、未来の宰相候補であるユージーン・メレディスだった。
今日も不機嫌そうに眉間にシワを寄せている。
「探しましたよ殿下。勝手にいなくならないでくださいと、何度も申し上げているはずですが」
「君こそ、オリヴィアといる時に邪魔をするなと何度も言ったはずだが?」
私はそっちのけで、静かなにらみ合いを始めるふたりにため息をつく。
「また始まった……」
呆れていると、私の横にいつの間にか音もなく黒衣の騎士が立っていた。
「オリヴィア様」
「ヴィンセント卿」
彼はもう学生の身分ではないので、学園の制服ではなく護衛騎士の服を身にまとっている。
国の危機となったあの内乱から二年が経った。
王妃が身分をはく奪された後、ノアの働きかけで学園内での王族、及びそれに準ずる重要人物の護衛の出入りの自由と、帯剣が認められることとなった。
卒業したヴィンセントは少し増えた私の護衛騎士の筆頭となり、現在までもこうして学園内外で守ってくれている。
「あちらのガゼホにティーセットをご用意しています」
「まあ。ありがとうございます、ヴィンセント卿。ノア様たちは……長くなりそうですから、先に行っていましょうか」
「では、お手をどうぞ」
差し出された手を取り立ち上がる。
気づかれないようそっと移動しようと思ったのに、すぐさま反対の手をノアに取られた。
「こら、オリヴィア。僕の目の前で他の男の手を取るのかい」
「卿。抜け駆けとは騎士の風上にも置けないな」
ノアとユージーンの視線が、今度はヴィンセントに向けられる。
これは今日も長くなりそうだ。せっかくのお茶が冷めてしまうなぁと、ひとり空を見上げてまた漏れそうになるため息を飲み込んだ。
王都が無事復興し、月日は流れ、私たちは最上級生となった。
平和が訪れたのはいいけれど、こうしてノアとユージーンたちが事あるごとに火花を散らす毎日にはうんざ……少々困ってしまう。
どうにか逃げられないかと思っていると、
「……あ。トリスタン先生!」
近くの回廊を歩く銀髪の男性を見つけ、私は声をかけて駆け寄った。
教員マントを羽織ったトリスタンは、私を見て足を止めてくれた。
2年前、トリスタンは大神官の巡礼の旅にはついて行かず、王都に留まった。神殿騎士を辞め、いまは学園の神学教師として教鞭を取っている。
しかも火竜の近くにいたいからと、なんとアーヴァイン侯爵邸の裏の森に住みついてしまった。
せっかくなら昔の母を知る客人として家に住まないか提案したけれど、森の中のほうがが落ち着くと言って、勝手に住処を作って生活している。
そのことについてはしばらく秘密にしていたけれど、ノアにバレた時は一晩中侯爵邸の裏に雷の雨が降った。
以来、ノアはトリスタンを目の敵にしている。
それは多分、私がトリスタンになついているせいもあるのだろう。
同族という安心感と親近感で、今のようにについついトリスタンに寄って行ってしまうのだ。
「どちらへ?」
「学園長室に行く途中だ」
「学園長室? 何かあったのですか?」
「またシリルが編入希望の親書を送りつけてきたらしい。絶対に認めるなと釘を刺しに行く」
「あー……」
大神官シリル。創造神デミウルの生き写しと言ってもいい彼の顔を思い出し、苦笑いしてしまう。
シリルは巡礼の旅を終えたあと、すぐに学園に正式に編入したがっていたけれど、さすがに長い間大神殿を開けていたので教会側から許可が下りなかったのだ。
トリスタン曰く「奴は仕事をサボりたいだけだ」ということらしく、こうして度々トリスタンが教員としてシリルの入学にストップをかけていた。
「シリル様も相変わらずなようで何よりです」
「何がなによりだって?」
「ノア様!」
追いかけてきたノアが、後ろから私を抱き寄せた。
それを見たトリスタンの片眉が上がる。
「まったく。オリヴィアは目を離すとすぐトリスタンに近寄っていくな。僕の気持ちも考えてほしいものだ」」
「もう……トリスタン先生のことは、親族というか、兄のように感じているだけだと何度も申し上げているじゃないですか」
彼を見るとなんとなく母のことも思い出すので、より親近感が増すのだ。
私と母と同じ色を持っている人なのだから、当然と言えば当然なのだけれど。
「そうだな。私にとってもオリヴィアは愛すべき雛のようなものだ。王太子が先に死んだら、あとは私が責任を持って守っていこう」
淡々としたトリスタンのセリフに私はギョッとする。
「縁起でもないことを言わないでください!」
「なぜ? 竜人族は人間より少々寿命が長い。お前は血は薄いが、充分長命の可能性があるぞ」
「ええ……こんなぽろっと衝撃の真実を言わないでくれません……?」
これ以上私におかしなスペックを増やさないでほしい。
ステータスウィンドウの文字が多すぎてもうお腹一杯なのだ。
「オリヴィアを守るのは永遠に僕だ。遠い親戚はさっさと古都に戻ってくれないか」
「その通りです。教会側からトリスタン卿を戻して欲しいと嘆願書が届いております」
「オリヴィア様の専属護衛は俺です」
トリスタンに対し、ノアだけでなくユージーンやヴィンセントまで喧嘩を売り始めるのでもう収拾がつかない状態になってきた。
そっと四人から離れようと後ろへ下がると、足にふわふわとした感触が。
私のデトックスのおやつを貪り食べていたシロが、今度はだらしなく四肢を投げ出して惰眠を貪っていた。
鼻提灯まで膨らませる姿は、尊い神獣というイメージからかけ離れすぎている。
「はあ……平和ねぇ」
平和が日常になったことをしみじみ感じながら、もう卒業するのかという寂しさのようなものも同時に感じていた。
***
卒業を祝うパーティーが、学生生活最後の日の夜に開かれた。
学園のホールには卒業を証明するマントを肩にかけた三年生全員が集まっている。
それぞれ祝いの神酒を飲みながら、この三年間について語り合い、ホールは笑顔と笑い声に満ちていた。
「オリヴィア様!」
「セレナ様!」
セレナとギルバートが並んで登場し、周囲が沸く。
聖女が巡礼の旅に出ていたのは国中で知られており、臣下に下り旅に同行していたギルバートも併せ、いま人気がうなぎ上りのカップルなのだ。
大神官もいたのだけれど、若干空気のような扱いになっていることには少し同情する。
そしてめでたいことに、セレナとギルバートは王都に戻ってきてすぐに婚約式を上げた。
「セレナ様も一緒に卒業できて、本当に良かったです」
「本当に……無理かと思いましたけど、これもオリヴィア様のおかげです」
「私は何もしておりません。セレナ様が国の為に尽くされた結果です」
巡礼の旅から戻ってきたあと、出席日数が足りず卒業出来ないとされたセレナとギルバートだったけれど、私と親衛隊の皆で猛抗議したのだ。
その抗議運動は学園全体に広まり、学園外、王都全域にまで広がりそうな勢いだったので、学園側も慌てて巡礼期間を単位として認めることになった。
「ああ。オリヴィアには助けられてばかりだ。しかし……兄上が、出番がなかったと嘆いていたぞ」
ギルバートの言葉に隣のノアを伺うと、苦笑を返された。
そうか、ノアも王宮側から働きかける準備をしてくれていたのか。
「僕の婚約者は王族よりも強い権力を持っているみたいでね」
「ノア様、笑えない冗談はおやめください」
「あながち冗談でもないんじゃないか?」
「ギルバート様まで……」
「当然です。オリヴィア様ですから!」
「セレナ様……」
親衛隊員として復帰したセレナのオリヴィア信奉熱が、日に日に高まっている気がするのは気のせいだろうか。
卒業後は古都に来て欲しいと教会から望まれたらしいが、セレナは竜の棲み処の上にある、湖の小神殿に聖女として常駐するそうだ。
オリヴィア様と離れたくありませんから! と宣言したセレナの横にいたギルバートの複雑そうな顔は、しばらく忘れられそうにない。
「オリヴィア様! セレナさん! もうすぐ始まりますわ~!」
声をかけられ振り返ると、ホールの中心に親衛隊のケイトたちが集まって、青い実を生徒たちに配っていた。
彼女たちはこの卒業パーティーの進行の手伝いを買って出ていた。
ひとつの房に四つ五つほどの実をつけた葡萄のような果実ををそれぞれ手に持ち、生徒が壁際へと並んでいく。
これから始まるのは、卒業パーティー名物『聖なる果実の戦い』だ。
戦い、と言ってもただこの青い実を生徒同士ぶつけ合うだけで、組み分けがあるわけではない。
とにかく最後、身分関係なく騒ぎまくろう、という無礼講の催しなのだ。
ぶつけ合いに使う青い実は、神に捧げる神酒に使われる果実で、芳醇な果汁が特徴だ。簡単に弾けるので、ぶつけられると服に青い汁がべったりとつく。
毎年卒業する生徒はは頭から足の先まで真っ青に染まるらしい。
神聖な果実の汁を浴びることで身を清め、それぞれの未来を祈願する意味合いもあるとかないとか。
「皆さん、聖なる果実は持ちましたね? それでは、いきます!」
『青く清めよ!!』
全員のかけ声とともに、生徒たちが一斉に青い実を投げ合い始めた。
広いホールの四方から果実が飛んでくる。笑い声が高らかに響き渡る。
飛んできた青い実が弾けて、私の制服も青に染まる。次は頭に。背中にも飛んできた。
「キャー! オリヴィア様に当ててしまったわ!」
「オリヴィア様! 僕にもぶつけてください!」
希望通りぶつけると、なぜかその生徒は泣いて喜んでいた。
次から次へと当ててくれという生徒が集まってきて、私は笑いながら逃げることにした。
天井を見れば、シロが宙を飛び回りながら大口を開けて実を食べている。セレナやギルバート、護衛のヴィンセントも皆青い汁だらけだ。
こんなバカ騒ぎが出来るのは、きっと今日で最後。
卒業したら、成婚式が待っている。私は正式に王太子妃になる。大好きな人の隣で、幸せを噛みしめながら、未来の国母に。
こんな未来、時間を巻き戻された時は想像できなかった。
本来ならここで断罪されたのち幽閉され、命を落とす悪役令嬢だった私。
逆行前の苦しみも恨みも、いまは遠い記憶の彼方にある。
生きていて、再び人生をやり直せて良かった。
「オリヴィア」
名前を呼ばれて振り返ると、あちこちを青く染めたノアが笑っていた。
笑顔を返しかけた時、頭の中で電子音が響いた。
「ノア様!」
驚く彼の前へと駆け出し、飛んできた青い果実をマントで上手く受け止める。
「危なかった……」
「オリヴィア? 一体どうしたの」
私はノアに受け止めた青い果実を見せてから、その一粒を口に放り込んだ。
プチリと齧ると、口の中がとろけるような濃密な甘さがあふれ出す。
同時に上がる、慣れ親しんだ電子音。
【毒を摂取しました】
「これからも、毒殺されないよう気をつけましょうね!」
完
******
長い間お付き合いいただき、本当にありがとうございました!!
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