第144話 竜の眠りに祝福を
「この地底湖に繋がる水源は、すべて浄化することをお約束いたします。……ってお伝えしてくれる?」
大神官としての祭服を身にまとったシリルが、火竜を前に慇懃に語りかけた後、後ろのトリスタンを振り返り苦笑いで頼った。
王都復興の為に慌ただしい中、秘密裏に火竜の再入眠の儀式が地底湖で行われることになった。
本来は国王しか入ることの出来ない、離宮の湖下の竜の祭壇には、イグバーン国王と王太子ノア、その婚約者で神子の私、大神官シリルと聖女セレナ、そして竜人族トリスタンが顔を揃えていた。
異臭を放つ地底湖を目の当たりにし、こんな場所で火竜が眠りについていたことを知ったシリルは、
「あり得ない! 神への冒涜だ! 人畜生だ! 末代まで祟ってやるぅ!」
と、大神官として口にしてはいけないことを叫びながら、本気で嘆き涙を流していた。
末代まで祟るのはギルバートの子孫が可哀そうなのでやめてあげてほしい。
そしてシリルは、こんな状況を許してしまった自分は、神を崇め火竜に仕える大神官としてあまりに情けない、と意気消沈もしている。
「人間が火竜の言葉を理解できないだけで、火竜は人の言葉を理解しているぞ」
「あ。そうだったね。じゃあ……大神官として、私が各地を巡礼し祈祷をいたします。その後も水源の管理を教会が担いましょう」
慇懃に頭を下げながら言い終わると、シリルは傍らの国王を仰ぎ見た。
「それでいいかな、国王陛下」
「ああ。有難い申し出だ。水源については国としても目が行き届かず、火竜に申し訳ないことをした。警備については騎士団から派遣しよう」
大神官と国王の言葉に、火竜は満足そうにひと鳴きした。
火竜と国王、大神官という三者の話し合いが終わると、ノアが宝玉を元あった祭壇へと戻した。
祭壇には新たな花に果物、作物が献上され華やかなものになっている。
「火竜よ。私の次は、息子ノアが後を継ぐ。私欲より何より国を優先する賢い王となるだろう。どうか息子とともに、末永くイグバーンの安寧を頼む」
国王の言葉に、火竜がグルグルとどこか不満そうな唸りを上げた。
「父上。トリスタンの通訳がなくても、今の火竜の言葉はわかります。まだまだ働けるだろう。気が早いぞと言っているのでしょう」
ノアのからかいに、私は思わず吹き出してしまった。
だって、本当にその通りだったのだ。さすが王の瞳を持つ者は、何か火竜と通じるものがあるのだろう。
何せ、星空を閉じ込めたような王の瞳というものは、竜人族を引き寄せる運命を抱いているらしいのだから。
火竜が教えてくれたのだ。
王の瞳を持つ者は、どのような形か決まりはないが、いずれ竜人族と必ず出会う。
そこから伴侶になったり、友人になったり、相談役になったりと関係は様々らしいが、王の瞳を持つ歴代の王もそうやって竜人族と繋がりを持っていたという。
竜人族の協力がなくては、竜の祭壇に入ることは出来ない。
つまり火竜と契約を結ぶことが出来ないということだ。
王の瞳を持たない者が王位に就くと国が荒れるというのは、火竜の加護を得られなかった結果なのかもしれない。
現国王は、伴侶とした王妃が、竜人族である私の母と友人だった。
そして次期国王であるノアの婚約者が、竜人族(と言っても血が薄いけど)の私。
王の瞳を持つ者は必ず竜人族と惹かれ合う、等という設定だったら、まるでこの愛が作為的なもののように感じてしまうかもしれないけれど、あくまでも出会う所までが運命ということらしいのでほっとした。
運命と言われていたとしても、ノアへの想いは本物なので何も変わらなかっただろうけれど。
「わかっているさ。……火竜よ。そなたの心地よい眠りを永く守る為、これからも尽力しよう」
国王が伸ばした手に、火竜がそっと顔を寄せる。
契約という絆は、ふたりだけの友情に近い何かなのだと、その姿を見て思った。
「では聖女。始めようか」
「は、はい! 頑張ります!」
シリルに促され、セレナも地底湖の縁に立つ。
いけない、王と竜の絆に感動している場合じゃなかった。
「あの。その前に少々よろしいでしょうか」
私は毒についての説明をした。
祈祷で水を浄化することは出来ても、毒が消えるわけではないこと。祈祷によって取り除かれた毒は、森の泉のような場所ならここへ流れつくが、この地底湖には底に溜まり続けるだけなのだと。
「実は国中からこの地底湖に流れ込んだ毒が、水だけでなく周辺の岩や壁も浸食しているようで」
暗闇に目を凝らすと、あちこちから真っ赤なウィンドウが表示されるのだ。
【毒鉱石】に【毒の苔】。一番きついのはやはり、湖の底に溜まった【毒の澱】だ。
このままセレナたちが水を浄化しても、あちこちに残った毒がまた湖の水を穢してしまうだろう。
森の泉にあった魔族の角のように、原因である毒をまずどうにかしなければならない。
「ということで、私の出番かなと」
胸を叩いてドヤ顔をして見せる。
最後の活躍の場だろうと思って、悪役令嬢っぽさを意識してみた。
「私が毒を消してから、ご祈祷をお願いいたします。私の力では、毒によって変質してしまったものを元に戻すことは出来ないので」
「まさか、この辺りの毒をすべて吸収するつもりかい?」
私の言葉に、ノアが心配そうな……というよりは、やめておけというような圧のある顔で聞いてきた。
仮死状態になり過ぎて、まったく信用がない。
「いいえ。実は火竜の毒を吸収した後、新たな能力を得たのです」
再びドヤ顔で新技について告白したけれど、なぜか皆顔を見合わせ微妙な反応をする。
一応神子なはずなのに、まったく神子扱いされていないように感じるのはなぜだろう。
でも今度の能力は初めてそれらしい感じのものなのだ。
これは説明するより、実際に見せたほうが早いだろう。
「もういいです。見ていてください」
私が両手を地底湖に向けて念じると、頭の中で電子音が響いた。
【毒昇華を発動します】
すると数秒の間のあと、湖の底から、岩肌から、ぼんやりとした黒い球体が次々と浮かび上がってきた。
「これは……」
後から後から浮いてくる黒い球体は、水面から出て宙まで上がり、やがて広い鍾乳洞を埋め尽くすほどの量になっていた。
(なんか……思ってたんと違う)
毒昇華という字面から、もっとキラキラとした神秘的な技になると想像していたのに。
実際はぼんやりした大量の黒マリモが暗闇よりも黒く辺りを埋め尽くすという恐怖映像が出来上がってしまった。
後ろで皆が引いている空気が伝わってきてつらい。
さっさと終わらせて、と願うのとほぼ同時に、黒マリモたちは塵のように細かくなり空中に溶けるように消えていった。
「すごいねオリヴィア! 湖からバケモノの大群が湧いて出たのかと思ったよ~」
空気を読まないシリルが明るく言ったけど、衝撃的な光景すぎたのか場が和みはしなかった。
すごすごと私が下がると、苦笑いのセレナが代わりに前に出て、シリルと共に地底湖の祈祷を始めた。
すると地底湖が柔らかな白い光を帯び、それは鍾乳洞全体へと広がっていった。
その光景は少し、仮死状態の時に見たデミウルの白い庭と似ている気がした。
(そうそう。こういう光景をイメージしてたのよ、私は)
白い庭と黒マリモ。天と地ほどの差がある。月とすっぽん……いや、ダンゴムシくらい違う。
これが聖女と悪役令嬢の差だろうか。
祈祷の終わりとともに白い光が収束していくと、残ったのは異臭のしなくなった、透き通った地底湖だった。
底の方が淡い緑色に発光している。幻想的な光景に自然とため息が漏れる。
「火竜が感謝している。これで安らかに眠れると」
トリスタンが火竜の言葉を伝えると、火竜は別れの挨拶にひと鳴きし、ゆっくりと地底湖に入っていった。
この後は、私とトリスタンで子守歌を歌うことになっている。
「火竜は最後、何て言ったのかな」
「またいつか、イグバーンの子らよ……だそうです」
「そうか……」
いつか。それは一体いつのことになるのだろう。
ノアが王位を継ぐ時か。それとも——。
いつになろうとも、それまで火竜の眠りが静穏なものであることを願った。
トリスタンの笛の音と私の歌を聴きながら湖に沈んでいく時の火竜の表情が、まるで満ち足りた子どものように見えた。
***
火竜が再び眠りについて三日と経たない内に、セレナとシリルたちが巡礼の旅に出発することになった。
火竜の為に一刻も早く国中を浄化しなければ、とシリルの独断で予定を早めたらしい。
既に各地の教会に水源の毒処理と祈祷を通達しているけれど、火竜と約束した通り、自ら各地に赴くのだそうだ。
そしてギルバートも、亡国の領地まで母・エレノアを送り幽閉を見届けた後、セレナたちと合流することになっている。
「ふたりとも、しばらく休学だなんて。寂しくなりますね」
出立の朝、王宮まで見送りに出向いて言った私に、セレナは瞳を潤ませながら「私もです!」と手を握ってきた。
「巡礼の旅を終えたら戻ってきます。それまで親衛隊の私の席は、空けておいてくださいね!」
「お前、他に言うことはないのか……」
隣でギルバートがあきれていたけれど、おかげで私は笑顔でセレナたちを見送ることが出来た。
最後にシリルが「僕も旅を終えたら学生として戻ってくるね!」と言っていたけれど、大神官ジョークだったと思いたい。
こうしてセレナとギルバートが不在のまま、1、2年の学園生活が過ぎていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます