第143話 ファンディスクの向こう側
「資材足りないぞ! 届いたか!」
「こっち支えて!」
眼下では使用人たちの威勢の良い声が飛び交っている。
花壇のあった場所にはアンと他のメイドたちが大勢集まりにぎやかだ。
「いっそのこと庭園を新しく作り変えるのはいかがでしょう」
「お嬢様にどんなお庭がよろしいか、お聞きしてみましょうか」
「お花の希望は聞いちゃダメですよ。庭中毒草だらけになっちゃいますからね」
昼下がり、私は自室のバルコニーから庭で行われている復旧作業を眺めていた。
隣には国王代理としての仕事の合間に抜け出し……いや、息抜きに侯爵邸に来たノアもいる。
「ここもようやく元に戻りつつあるね」
「ええ。使用人たちがみんな無事で、仕事にもすぐに戻ってきてくれましたし」
ハイドン公爵の反乱から十日ほど経ったが、戦場と化した王都近郊と、別動隊の魔族と魔獣に侵入されていた王都は現在復興中だ。
侯爵邸も、魔族と一部暴徒化した民衆によって被害があったけれど、アンを含め全員無事だった使用人のおかげで、順調に修復されつつある。
「王宮もあと半月もあれば完全に元通りだ。だが、侵攻の犠牲になった領地はそうはいかないな。反乱に加わった領地は特に、民兵を含め兵士をほとんど失っているからね」
「働き手がいないのですね……」
「うん。騎士団と他領から応援を出してはいるが、まだまだ時間はかかるだろうな」
「きっと大丈夫です。黒幕は倒しましたし、国王陛下もご無事だったのですから」
原因不明の病で床に伏していた国王は、火竜の復活とほぼ同時に目を覚ました。
どうやら火竜が毒で弱っていたのが、国王に影響を及ぼしていたらしい。
というのも、イグバーン王国国王は、王位を継承すると同時に、代々この地を守護する火竜と契約を交わす習わしがあるという。
これは最重要機密であり、知っているのは王族の中でも限られた存在のみ。王と王妃、王位継承者だけだそうだ。
その内、竜の棲み処を知っているのは契約者のみ。
王妃は竜の棲み処は知らなかったけれど、国王が竜と契約をしていることは知っていた。
そして王妃と契約していた魔族の大公は、竜が古よりどのようにこの地を守っていたかを知っていた。
それを利用し、イグバーンの大地や水を穢すことで守護竜を弱らせ、契約者である国王に影響を及ぼし、命を脅かしたのだ。
「そうだね。父上にはまだまだ健勝でいてもらわなければ」
「ええ。シリル様もご協力くださることになりましたし、陛下も火竜も安心ですね」
大神官の名前を出した途端、ノアの表情が微妙なものになる。
「大神官シリルか……僕はどうも彼が苦手だ」
「それは奇遇ですね。私もです」
ノアと顔を見合わせて同時に吹き出す。
シリルは内戦が終わった後も、復興の手助けと今後の王家との関係について話し合う為、しばらく王都に留まることになった。
内容は具体的には聞かされていないけれど、関係改善に向け動き始めるらしい。
火竜との契約、遷都、森の民等の過去について、双方認識のズレがあったようで、王と大神官は夜通し語り合い、和解を果たしたとか。
かなり王家に猜疑心を抱いていたシリルなので、関係改善は難しいと思われていたけれど、強力な助っ人の登場で意外にもすんなりと話が進んだという。
その助っ人というのが、我らが守護竜、火竜イグニオス様である。
「火竜が立ち合いを提案している」
竜人族トリスタンの通訳により、火竜を立ち合い人として、王家と教団の平和的話し合いが実現したのだ。
さすがのシリルも、火竜に間に立たれては和解しないという選択は出来なかったらしい。
むしろ誰より信仰の厚いシリルにとって、火竜の言葉は疑う余地もなく、絶対だっただろう。
王家が火竜の力を独占する為に、竜人族を騙し、火竜の棲み処を移し遷都したというのは誤解だった。
火竜は自ら望んで、現王都に住み着いたという。
それは単純に、竜人族だった初代王妃と、その番である国王が好きだったからだそうだ。
ふたりが好きで、ふたりを信頼し、ふたりの望みを叶えたいと思った火竜は、彼らと契約し、彼らの国を永劫守ることを誓った。
竜人族が絶えたのも王家のせいではなく、乱獲によるものだったという。
珍しい能力、端麗な容姿の竜人族は、火竜が眠りについている間にほとんどが捕らわれ売り飛ばされてしまっていた。
王家が竜人族を守れなかったことは事実なので、国王はそれを火竜とトリスタン、そしてシリルに謝罪したという。
初代国王夫妻はとっくに亡くなっている。火竜が契約を望まないのであれば、自分の一存で破棄しようと言った国王に、火竜は約束は永遠だと答え、シリルも納得したらしい。
これからは王家と教会が手を取り合い、国を守ってくれるだろう。
「あれでも今のところ世界一神力が高くて、神との親和性が高い人ですから、今後の務めに関しては信頼できますけどね」
「ああ、巡礼か。そうだね。大神官なら問題なく国中の穢れを浄化してくれるだろう」
「はい。セレナ様も同行されますしね」
イグバーン王国に毒を広めていた大公は、火竜との激闘の末消滅したけれど、毒の影響はまだ各地に残っている。
巡礼を中断していた大神官は、穢れの原因が判明したことで、これまで浄化してもすぐに戻っていた理由がわかり、改めて巡礼を再開し完全にこの地から魔族の毒を祓うことを宣言した。
その巡礼の旅に、聖女セレナが同行したいと自ら立候補したのだ。
今回の内乱で、己の無力さを痛感したと言い、大神官の元で自分を鍛えたいそうだ。
もしかしたら旅を終えた後は、聖女としてセレナの力がシリルを超えているかもしれない。
なんと言っても、彼女は主人公。世界でただひとりのヒロインなのだから。
「ふたりが揃えば無敵だな。あの状態の王妃とハイドン公爵の命を繋ぎとめたくらいだ」
「そうですね。公爵はともかく、エレノア様が助かったのは奇跡と言ってもいいくらいでした」
差し違えた形で倒れた王妃エレノアとハイドン公爵は、セレナとシリルの回復魔法で一命を取り留めた。
ハイドン公爵はこの度の反乱の首謀者として、今後回復し次第裁判にかけられる。
極刑は免れないとのことだ。
公爵を助けたセレナは複雑そうだったけれど、責任を取らせる為に延命するのは必要なことだったと周りに諭されていた。
王妃の方は公爵よりも重傷を負い、意識は未だ戻っていない。
これ以上回復の見込みは望めないとして、身分をはく奪し王宮から追放という形に落ち着いた。
それにより私が入れられたことのある北の古塔ではなく、王妃の母の出身である亡国の跡地。現ハイドン領で永久禁固刑という処罰が下された。
セレナから王妃の過去を聞いた私は、彼女への感情の整理をまだつけられずにいる。
王妃の境遇に同情はするけれど、ノアの幼い頃から命を狙い続けたことを許せる気はしないし、彼女の行いで不幸になった人は数えきれないほどいるのだ。
けれど、出来ることなら目を覚ましてほしい。
罪を償い、今度はたったひとりの息子であるギルバートと向き合ってほしかった。
王妃の為ではなく、ギルバートの為に。
いつかそれが叶う日が来るといいなと、こっそり思っている。
そして反乱軍の将として立たされたギルバートは、聖女を盾に取られていたことを考慮してもお咎めなしとはならなかった。
ただ、ノアや私、それから聖女に貴族派重鎮からの嘆願のおかげで、自ら王位継承権を放棄し臣下へ下るという選択をすることが叶った。
「こんな俺の名誉を守ってくれて、感謝する」
やつれた顔のギルバートが私たちに頭を下げた時、涙を堪えていたのはきっと私だけじゃない。
セレナも……そしてノアも、皆が大きな安堵とともにやるせない思いを抱えていたはずだ。
「兄上。父上を、この国を頼む」
「……何を言っている。お前も臣下として一緒に父上と国を支えていくんだろう?」
ノアに胸を小突かれたギルバートは、目を潤ませながら笑い、そんな彼にセレナはそっと寄り添っていた。
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