第142話 聖女の救済【Serena】
セレナはハッとして立ち上がったが、足の鎖で前に進めない。
目の前でハイドンが王妃に切りかかる様を、見ていることしか。
「待って……っ」
手を伸ばした時、鎖の落ちる音と同時に足が突然軽くなり、ガクンと前に倒れかけた。
直後、セレナの横から飛び出していく人影が。
「母上!!」
ギルバートが光の速度で剣を抜き、ふたりの間に飛び込もうとした。
しかし——寸での所で、間に合わなかった。
ハイドンの剣が、王妃の体を肩から切り裂く。
鮮血が散る。
そして王妃エレノアは——―。
「エレノア……貴、様……っ」
切りつけられながら、王妃は隠し持っていた短剣を、ハイドン公の胸に突き刺していた。
先に倒れたのは公爵だった。
続いて体を傾けた王妃を、ギルバートが剣を放り投げて抱き留めた。
「母上!」
血まみれの母親を、ギルバートが真っ青な顔で抱きしめる。
何度も呼びかける息子の声に応える為か、王妃が閉じかけていた瞼を開く。
けれど虚ろな瞳は宙を見るばかりで、ギルバートを映そうとはしなかった。
「何も成せなかった……せめて、あの男だけは道連れにしないと……お母様に、あの人に、顔向け出来ない……」
咳きこみ、血を吐きながら王妃が呟く。
ギルバートは母の手を握りしめ首を振った。
「母上! 喋らないでください!」
その時、バタバタと複数の足音が温室に駆け込んできた。
「ギルバート!」
「外の騎士たちは制圧しまし――……え?」
現れた王太子ノアやオリヴィアたちが、温室の惨状を目の当たりにし、言葉を失い立ち尽くす。
だがセレナはオリヴィアたちが来たことで、ハッと己を取り戻し、ギルバートに駆け寄った。
「ギ、ギルバート様!」
「セレナ……母上が、」
青褪め、今にも泣きだしそうなギルバートの顔を見て、セレナは覚悟を決めた。
ギルバートの為に、全力を尽くそうと。
「回復します! パナケイア、お願い!」
光の女神パナケイアを呼び出し、回復魔法を行使する。
救護院で鍛えた力を発揮するのは今だ。
ギルバートを悲しませない。王妃を孤独なままでは逝かせない。
「母上、いけません。死んではいけません……っ」
「助けます! 絶対にっ」
そう強く宣言したはいいが、王妃の傷は想像以上に深い。
女神の力でも間に合わない。単純に魔法の出力が足りないのだ。
セレナは自分が聖女に選ばれたのは、この時の為だったのだと先ほど確信していた。
それなのに、肝心なところで役に立てないなんて。
(せめてもうひとり、回復魔法が使える人がいてくれたら……!)
己の不甲斐なさに絶望しかけた時、ポンと肩に手が置かれた。
「手伝うよ」
そう言ってセレナの横に膝をついたのは、やけに顔がイキイキと輝いているシリルだった。
「だ、大神官様⁉」
なぜ大神官がここに? 古都に向かっていたはずでは?
魔法を続けながらも混乱するセレナに、オリヴィアが「実は……」と説明してくれる。
「シロが近くにシリル様の神力を感じると言うので、迎えに行かせたのです」
『働いたからお腹空いたよぅ』
オリヴィアの横にお座りをした神獣が、めそめそと泣きながら空腹を訴える。
「怠けていたんだから丁度良い運動だったでしょ」
『怠けてたわけじゃないのにぃ~』
シリルは「そういうわけで私も戻ってきちゃったよ」と笑った。
「まさか神獣様の背中に乗って空を飛ぶ日が来るなんてね! 大神官になってみるものだよ~」
冗談なのか本気なのか判別のつかないことを言うと、シリルは旅装束の袖をまくり上げた。
「さあ聖女。気合いを入れて」
「は、はい……!」
シリルも光の精霊フォスフォロスを召喚し、回復魔法をかけ始めた。
大神官が一緒なら、今にも消えそうな王妃の命の灯を救うことが出来るかもしれない。
しかし、王妃の顔は既に死人のように色をなくし、呼吸もほぼ止まってしまっている。
間に合って、とセレナは涙しながら強く願った。
すぐ傍ではギルバートが王妃の手を強く握りしめ、目を閉じ何か唱えている。
目の前にはオリヴィアが膝をついて手を組み、ギルバートと同じように目と閉じていた。
(神子であるオリヴィア様も祈ってくださってる。大丈夫。創造神デミウル様、どうかこの悲しい方にご慈悲を!)
その瞬間、まるでセレナの願いに呼応するかのように、温室を真っ白な光が包み込んだ。
世界をすべて白く染め上げるような強い光。
眩い輝きの中で、誰かの「特別だよ」という優しい声が聞こえた気がした。
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