第141話 王妃エレノア誕生秘話【Serena】

※引き続き聖女視点です





「お前は、一体どういうつもりだ!」



 王妃の実父であるハイドン公は、声を荒げながら王妃に詰め寄る。

 目を血走らせ、額に青筋を浮かべ激昂するハイドン公に、王妃は怯えることなく悠然と父親に相対した。



「何をそんなにお怒りなのかしら」


「しらばっくれるな! お前、よりにもよって魔族と手を組むなど……! 王族としての自覚がないのか⁉」


「王族としての自覚? おかしなことをおっしゃるのね、ハイドン公爵。私は今や、ただの反逆者でしょう? 王の象徴を集めきれず、ギルバートの王位継承の正統性を得られなかった。その上で王太子を害し、ギルバートを王位に据えようとしたのですから」



 まるで悪びれる様子のない母親の言葉に、後ろでギルバートは何を感じただろう。

 ただ、火魔法が一瞬強まったことだけは、セレナにも伝わってきた。



「そういうことを言っているのではない! お前! 私の軍を魔族にくれてやったな⁉」



 軍を魔族にくれてやった?

 不穏な言葉にセレナの緊張は高まっていく。魔族にくれてやったというのはどういうことか。



「ああ……何だ。そのことですか」


「何だとは何だ⁉ 私の軍はこの戦いが終われば正規の国軍になるはずだったのだ! 魔族に体を乗っ取られては、正規も何もない!」


「戦争に、正規も何もありませんでしょうに」



 扇を広げため息をつく王妃は、心底ハイドン公爵にあきれているように見える。

 いや、あれは侮蔑だろうか。

 今まで見てきた王妃の表情の中でも、最も冷え冷えとしたものだった。



「大体! この戦いに勝ったとして、その後の処理はどうするつもりだ!」


「勝った後……?」


「そうだ! 我らが勝ち、騎士団を倒したはいいが、残るこちらの軍勢は魔族。その魔族を誰が倒す? まさか魔族がお前の言うことを聞いて、王都からいなくなると?」


「まあ」



 突然、王妃は弾かれたように笑い始めた。

 温室に狂ったような王妃の笑い声が響き渡る。


 怖かった。何が怖いのか、明確にはわからない。

 ただ、目の前にいる王妃から底知れない恐怖を感じるのだ。

 後ろにギルバートがいなければ、震えて泣き出していたかもしれない。



「あなたは、そのような心配をされていたのですか」


「何がおかしい! 当然だ! 勝利は絶対だが、その後が重要なのだぞ!」


「その通りですわね。こちらが勝っても魔族の軍勢をどうにかしなければ、王都は壊滅するでしょう」


「エレノア……お前一体、魔族とどのような契約を結んだのだ」



 それまでとは打って変わって、落ち着いた一段低い声で問いかけたハイドン公爵。

 王妃は扇で口元を隠したまま、目を三日月の形にして微笑んだ。



「ハイドン公爵。全ては予定通りだったわ」


「何を……」


「魔族を利用し国を荒れさせ、内乱を起こすことも。その後王都を壊滅させ、復興させることなく国を滅亡させることも。全て順調に進んでいたはずだった」



 恐らく、この場にいる誰もが一瞬、王妃の言葉を理解できなかった。

 ハイドン公爵は固まり、セレナは頭が真っ白になり、後ろのギルバートは火魔法を不安定に揺らがせた。



「め、滅亡だと……? 自分が何を言っているのかわかっているのか? お前はギルバートを、我が孫を王位に就かせるのだろうが!」



 そうだ。ギルバートたちからは、王妃の目論見をそのように聞いていた。


(本当は違ったの? 王妃様は一体、何を考えていらっしゃるの……?)



「ええ。当初の予定では。でもそれは難しかった。王太子と神子がしぶとくて。だからもう、一気にやってしまうことにしたのよ。本当は私が憎しみを膨らませてきたのと同じだけの時間をかけて、この国をじわじわといたぶってやるつもりだったのに残念なこと」



 ハイドン公爵は怒りにかブルブルと震え出した。

 今にも倒れてしまいそうな顔色をしている。



「本気で言っているのか……? お前の望みは、私と同じではなかったのか⁉」


 更に詰め寄ろうとしたハイドン公爵に向かい、王妃は持っていた扇を勢いよく投げつけた。


「笑わせないでちょうだい! 私の望みがお前のくだらない権威欲と同じだなんて!」


「じ、実の父に向かって何を言うか!」


「父……? 父とは、妻と娘を道具のように扱う者を言うのだったかしら?」



 王妃は笑っていた。しかしそれは、憎しみに濡れた笑顔だった。

 王妃の怒りが、恨みつらみが、ここまで届きセレナの肌をピリピリと刺激するようだ。



「強欲なハイドン公。お前はこの国を自身の手で支配する為に、実に用意周到に事を進めてきたわね。約四十年前、いまは亡い小国に攻め入り属国とすると、その領土を自領に組み入れ、唯一の姫だった母を娶り箔をつけた。母には婚姻間近の婚約者がいたのに、目の前で殺したそうね」



 初めて耳にする王妃の過去に、セレナは息をするのも忘れ聞き入った。


 王妃エレノアは、亡国の姫君の娘だったのか。

 滅ぼされた国だとしても、血統は尊く確かなもの。その娘となれば、王族に輿入れするのに問題ないどころか打ってつけだったのではないだろうか。

 政治や上流階級の習わしには明るくないセレナでも、なんとなく想像がついた。



「母は死ぬまでお前を恨んでいたわよ。私も同じ。自らの血筋の王子を作り上げる為に、お前は私を王に差し出した。私にも、将来を誓い合った恋人がいたのに」



 後ろで息の飲む気配があった。

 あの王妃に、恋人がいた? ギルバートは知っていたのだろうか。



「何が将来だ。お前の母の家臣の息子だろう。滅びた国を復興させるなど、大それた夢を語る男なんぞのどこが良い。私はお前に価値のある立場を与えてやっただろう。この国の王妃となり、王となる息子を生んだのだ。これ以上の幸せが他にあるか!」


「そんなものをいつ私が望んだと⁉ お前は母と私を己の欲望の為に利用しただけよ!」



 父と娘のにらみ合いは続く。

 ふたりとも一歩も引く様子はなく、この緊張状態がいつ破られるのか、見ているセレナも気が気ではない。



「ハイドン公爵。お前が私の恋人を秘密裏に殺したことは知っているわ。彼の亡骸を、魔獣の餌にしたこともね!」



 あまりにも残酷な所業に、セレナは思わず口を手で覆った。

 目の前にいるハイドン公爵は、人ではない。

 普通、人はそんな恐ろしいはしない。いや、出来るはずがない。

 彼の心には悪魔が住み着いている。



「私はあまりに無力だった。母と私の幸せを犠牲に王宮に入れば、用意されていたのは第二側妃の席。正妃は幸せそうに国王の隣で微笑んでいた。私から全てを奪いここに送ったのは、こんな茶番を見せる為なのかと笑ったわ」



 王妃は涙は出なかったと言った。

 愛する人を失った日に、涙は枯れ果てたのだと。



「あの聖母面した正妃は、あろうことか私が王宮入りした日にこう言ったのよ。これから手を取り合いながら、この国を守って行きましょうと。こんな笑い話があるかしら!」




 言葉を発するごとに、王妃の憎悪が膨らんでいくようだった。

 このままでは壊れてしまうのでは、とセレナは不安になる。心配なのは、この話を聞いているギルバートだ。



「王は私に無関心だった。正妃にしか興味がなかったのね。私のことは、ハイドン公爵、お前の付属物としてしか見ていなかったわ。屈辱よ。こんな男の妃になる為に、私の母国は滅ぼされ、母は不幸になり、私の彼は殺されたのだから」



 王妃の憎しみの根源が、やっと明らかになった。

 セレナははっきりと思った。

 目の前にいるあの女性は、悪ではないと。


 王妃エレノアという悲しい獣を作り出したものこそが悪だ。



「母から受け継がれた憎悪は、消えない炎となってこの身を焼き尽くそうとしていたわ。もう王族も貴族も関係ない。この国のすべてが心底憎い。だから私がこの手で、すべてをめちゃくちゃにして消してやろうと思ったのよ」


「つまり……お前は父を、この私を裏切るというのだな」



 ギリギリと歯噛みするハイドン公を一瞥し、エレノアは嘲るように笑った。



「裏切るも何もないわ。お前を父だと思ったことは一度もない」


「エレノアぁ……!」


「それに、どの道お前も私も終わりよ。さっき、魔族との契約が切れたのを感じたもの。大公は死んだ。負けたんだわ。魔族も、私たちも……」



 最後は力ない呟きになっていた。

 この国を壊す。その復讐が失敗に終わったことを悟った王妃の横顔は、疲れきった老婆のようにも、無垢な少女のようにも見えた。



「私は終わってなどいない! こんなことになったのは、魔族なんぞの力を借りようとしたからだ! 母娘揃って愚かな!」


「は……! 愚かなのは過ぎた欲を抱き、分不相応な道を恥ずかしげもなく歩いてきたお前よ」



 王妃の言葉に、ハイドン公は傍にあったテーブルを剣の鞘でなぎ倒した。

 飛んできたテーブルで、植えられていた毒々しい色の花が舞い散る。


 鞘から剣を抜くと、ハイドン公は剣先を王妃に突き付けた。




「貴様はこの手で殺してやろう! すべてはお前の仕組んだことにしてやる。お前の首が私の正統性を示す証拠だ。せめて最後くらい私の役に立ってみせろ!」


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