第140話 捕らわれの聖女【Serena】
※聖女視点です
王妃宮の一角にある、温室。
以前ギルバートに危険だから近づかないよう言われていたその場所に、セレナはいた。
温室の中心には、王妃がティータイムをとるテーブルが置かれている。
その横に植えられた毒々しい色の花をつけた樹木の傍で、セレナは鎖に繋がれ座りこんでいた。
ここに拉致されてから、王妃の姿を見たのは二度。
一度目は魔族らしき、角のある威圧的な空気を持った男と一緒だった。
男と話す時、王妃は常に冷酷な笑みを浮かべていた。
二度目は王妃ひとりだった。
王妃はセレナには目もくれず、声をかけてくることもなく、ただテーブルで紅茶を飲み、どこか遠くを見つめていた。
セレナはよく、わからなくなった。
王妃のことは恐ろしい人なのだと思う。実の息子であるギルバートが警戒していたくらいだ。
それにこうしてセレナを拉致し、鎖で繋いでいるのも彼女。王族でありながら、魔族と懇意にしているのも彼女。
けれど王妃がひとりきりの時に見せる表情は、寂しげで頼りなげな、迷子の少女のように見えるのだ。
王妃は王太子ノアを排除し、自分の実子で第二王子のギルバートを王座に据えようとしている。
ギルバートやオリヴィアから、そう大まかに話は聞いていた。自らの望みを叶える為には、どんな手でも使う人だと。
事実、魔族と手を組んでいるのはそういうことなのだろう。
だがセレナにはわからない。
魔族との契約には代償が伴うという。最終的には命を奪われるとも聞く。
自らの命を投げ打ってまで、叶えたい願いとは何だろう。
命があるから欲があり、願いが叶う喜びは命があるからこそ味わえるのではないのだろうか。
王妃は本当に、ギルバートたちが言うような悪人なのだろうか。
「こうして鎖に繋がれてはいるけど、痛いことはされていないし……何て考えるのは、さすがに呑気すぎるかな」
でも、ギルバートの母親なのだ。
セレナにとってギルバートはかけがえのない人になった。そんな彼を生んでくれた人を、根っからの悪人だとは思いたくなかった。
こういう考えも良くないのかもしれないが、ギルバートの為にもそうであってほしいとどうしても思ってしまう。
「ギルバート様……」
彼に会いたい。王宮まで連れ戻され、近くにいるはずなのに。
ギルバートは自分がここに捕らわれていることを知っているのだろうか。
会いたいけれど、知らずにいてほしい。足手まといにはなりたくない。
心の中で葛藤していると、温室の扉が開かれる音がした。
王妃がまたお茶をしに来たのだろう。
ひとりだろうか。それともあの恐ろしく美しい顔の魔族も一緒だろうか。
あの魔族には正直会いたくない。
まるで感情のない目をしたあの魔族に見つめられると、息が止まりそうになる。
いつでも殺せる。どう殺してやろうか。
赤い目がそう言っているようで、震えが止まらなくなるのだ。
どうか王妃ひとりで来ていますように。
目をギュッと瞑り、強くそう願った時、降ってきたのは予想もしない声だった。
「セレナ」
「……え?」
恋しく思いすぎて幻聴が聞こえたのだろうか。
聞き間違うはずがない。この声は――。
目を開き、見上げた先には、マントのフードを目深にかぶったギルバートがいた。
「大丈夫か、セレナ。怪我は? 何かされてはいないか?」
地面に膝をつき、顔を覗き込んでくるギルバートは、とても幻には見えない。
心配そうに揺れる新緑の瞳。そこに自分の呆けた顔が映った瞬間、セレナは涙を流していた。
「どうした! どこか痛むのか?」
「いいえ……いいえ! ただ、嬉しくて。もう会えないかもしれないと思ってたから……」
ここでギルバートに再会することが叶わないまま、あの魔族に殺されるかもしれない。
何度もそんな考えが頭に浮かんだ。
冷たい鎖に繋がれてからずっと不安だった。死ぬことよりも、ギルバートにもう二度と会えないことのほうが悲しくて仕方なかった。
今も足に鎖の感触はあるが、ギルバートが目の前に現れた瞬間、何も気にならなくなった。
鎖に繋がれていても、ギルバートがいれば幸せになれるらしい。
これを恋と呼ぶのだろうか。それとも愛と呼ぶのだろうか。
「ごめんなさい、ギルバート様。せっかく逃がしてもらったのに、あっさり捕まってしまって……」
こんなにも彼が大切なのに、足手まといになってしまった。
その事実がずしりとセレナに圧しかかる。
「セレナ……」
「ここに出入りするメイドに聞きました。あなたが反乱軍側についたって。私のせいですよね?」
「それは違う。セレナのせいでは決してない」
ギルバートは優しいから、そう言ってくれるだろうことはわかっていた。
母である王妃のことで心を痛めていたことも、母と兄の間で板挟みになっていたことも、自分はすべて知っていたのに。
「私のせいで、ギルバート様の望まないことを……ごめんなさい……っ」
「謝るな!」
頭を下げようとしたセレナを、ギルバートが止めた。
肩を掴んでくる手が震えている。見るだけで心が痛くなるほどに、震えている。
「謝らないでくれ、セレナ。お前は何も悪くない」
「ギルバート様……」
「謝らなければいけないのは俺のほうだ。恐ろしい思いをさせて、すまなかった。守ってやれなくて、本当にすまなかった」
何度も謝罪を口にするギルバートの姿を見ていると、涙が出てきた。
彼がひどく傷ついた子どものように見えたのだ。
ギルバートを傷つけるすべて人を、恨みたくなるほどだった。
「いいんです、そんなこと。ちょ、ちょっとだけ怖かったけど、ギルバート様はこうして助けに来てくれましたから」
明るくセレナが言って見せると、ギルバートも少し微笑んですぐに表情を引き締めた。
「俺だけではここに来ることは難しかった。オリヴィアや兄上たちが協力してくれたんだ」
「オリヴィア様が? 戻ってこられたんですか?」
「ああ。戻ってきた上に、ひとりで反乱軍を殲滅したぞ」
「え……? ど、どういうことです?」
あの淑女の鑑のような奇跡の女性が、ひとりで反乱軍を殲滅?
ギルバートなりの冗談だろうかと戸惑うセレナに、ギルバートは「詳しい説明は後だ」と言って後ろに回った。
「兄上たちが外で貴族派残党の相手をしてくれている。今のうちにここを出るぞ」
「そ、それって、オリヴィア様もですか?」
「ああ。あいつはずっと、お前を心配していたよ。……くそっ。こんな枷など着けられて」
魔法で鎖を切ったほうが早いか、とギルバートが呟いた時、入口のほうから物音がした。
まずい。ここにギルバートがいることが知られてしまったら……。
「ギルバート様、誰か来ますっ」
「しっ。変わらず鎖で繋がれたままの振りをするんだ」
「ギルバート様は? あなただけでも逃げて」
「バカ言うな。すぐ後ろにいる」
セレナにも幹にもたれるように言って、ギルバートは木の裏に身を隠した。
そのまま火魔法で鎖を溶かし始める。
どうかバレませんように、と祈るセレナの前に現れたのは、今日も冷たい笑みを浮かべた王妃エレノアと——。
「王妃! いや、エレノア!」
彼女を追いかけるハイドン公爵だった。
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