第108話 選択、覚悟、そして絶望【Gilbert】


 王妃宮にある温室に入る時、ギルバートはいつも緊張する。

 ここの木々や花々が、毒を持つものばかりだと知ったからだろうか。それとも、ここにいる時の母の笑顔が、一層冷たく恐ろしく見えるからだろうか。



「なぜ呼ばれたか、わかっているわねギルバート?」


 温室の中心に置かれたテーブルで、ギルバートの母、王妃エレノアが紅茶を飲みながら言った。


「申し訳ありませんが、皆目見当もつきません」


 内心冷や汗をかきながら、ギルバートは恭しく頭を下げる。


「お前が聖女を隠し立てするから、好機を逃したのよ」


「何のことをおっしゃっているのか……。セレナはずっと体調が優れず臥せっておりました。それでも辛い体を押して父上に聖女の魔法をかけてくれたのです。でも、彼女の力でも父上がお目覚めにはならなかったのは、母上もご存じでしょう」



 国王が目覚めたのは聖女の魔法が効いたからだと貴族たちは騒いでいるが、魔法をかけたセレナ自身が、国王に魔法は効かなかったと言っている。

 国王が目覚めたのは別の要因からだ。それが何かは、わからないが。



「セレナは関係ない。好機を逃したとはどういう意味ですか」


「ギルバート。お前がぐずぐずしていたせいで、大神官が王都入りしてしまったわ。あの箱入りが来る前に、王権を手に入れる予定だったのに」


 苛立たしげに、王妃は音を立ててカップを置いた。


「大神官……?」



 なぜ大神官が来ては母にとって都合が悪いのか、とギルバートは考える。

 今回国王が目覚めたのはセレナの魔法によるものではなければ、大神官の魔法でもない。

 ギルバートはその場にいなかったが、国王は大神官が魔法をかける前に目覚めたという。

 大神官なら国王を復活させてしまう、と母が考えていたわけではないだろう。だとすると、王権が鍵か。


 国王の即位式には大神官が立ち会い、王の象徴を新しい王に授ける習わし。そうして初めて、神に国を統べる許しを与えられた国王として民に宣明するのだ。

 もちろん即位するのは現王太子である。

 だから大神官が巡礼に出て不在の内に、正式な継承者ではないギルバートを強引に王位に据えようとしていたのか。大神官がギルバートを次代の王として認めるわけがないから――。

 いや、まさか。さすがにそこまで強引に事を進めるはずがない。

 進めたとしても、王族派の貴族の反発は必至だ。もちろん教団側も敵に回すだろう。上手くいくはずがないのだ。


 実の母であるのに、ギルバートにはエレノアの考えがまったく読めない。

 いつからか、母は理解できない存在になっていた。



「母上……王権などと、滅多なことは口にしてはいけません。ずっと申し上げてきたはずです。俺は王位など望んでいません、と」


「王位は必ずしも望む者の元に転がりこんでくるわけではないわ」


「確かに、俺は第二王子です。第一王子に何かあれば、二番目の王子が王になることもあるでしょう」



 自分が生まれた時から兄のスペアであることはわかっている。

 たかが数ヶ月の差で、と幼い頃は忌々しく感じたりもしたが、今は兄の優秀さと非凡さを理解し、兄こそが次の王だとギルバートは理解していた。

 身の程はわきまえている。自分も努力をしてきたが、それはあくまで万が一に備えてのこと。

 兄に何かあった時、無能な王にはなりたくなかった。それだけだ。



「ですが、現王太子は兄上です。正統な後継者は兄上だ」


「正統な? それを言うなら、この王妃の息子であるギルバートこそ正統な後継者でしょう?」


「兄上は前王妃の子です」



 ギルバートが答えた途端、エレノアが紅茶が入ったままのカップを投げつけてきた。

 カップはギルバートのすぐ横を掠め、後ろの木に当たり砕け散った。



「だから何だと言うの⁉ あの女はもうこの世からいなくなったのよ!」



 憎悪に満ちた目をして叫んだ母。

 恐ろしく感じながら、憐れにも思った。

 なぜ母は、こんなにも囚われてしまったのだろう。あらゆるものを恨んでしまったのだろう。あまりに浅ましく、醜悪で、憐れだ。



「いなくなったのではなく、母上が消したのでしょう」



 両手を強く握り締めながら言ったギルバートに、エレノアはしばらく黙ったあと、座り直しながらため息をついた。



「まあ……恐ろしいことを言うのね。前王妃は病で亡くなったのよ」


「そうやって、あなたは邪魔な人間を排除してきた。兄上のこともずっと……」



 ギルバートはもう子どもではない。兄がどのような立場に置かれてきたか知っている。

 そして自分の母にどのような仕打ちを受けてきたかも。



「ですが兄上はご健在で、王の瞳を持ち、王となるべくして生まれた方だ。兄上こそが王に相応しい」


「ギルバート!」


「母上。議会を正常な形に戻してください。これまで通り、陛下の政務は国王代理として兄上にお任せしましょう。母上がなさっているのは国政を無暗に乱れさせる行為です」



 ギルバートは頭を下げて懇願した。

 引き返すなら今しかない。これ以上進んでしまえば、母はもう引き返せない所に行ってしまう。

 簡単に人を陥れ、時には命さえ奪う恐ろしい人。王子として大切にされはしたが、愛されていたとは思わない。だがこんな人でも、母は母だ。見捨てることは出来なかった。

 しかし、息子の愛は届くことはなかった。



「国王不在の今、王妃である私が王の代わりを務めるのが当然なのよ。そんな文句を言う暇があるのなら、お前は王妃の子として私を補佐するべきだわ」


「母上……! 目を覚ましてください。俺は王の器ではありません」


 ギルバートの訴えを、王妃は嘲笑う。愚かだ、と言うように。


「相応しいとか器とか、そんなことはどうでも良いの。必要なのは、覚悟よ」


「覚悟など……俺ではなく兄上がとっくにしている!」



 王の瞳を持つノアは、幼い頃から既に覚悟を決めていた。

 次なる王として、国の為に己のすべてを捧げる覚悟をだ。

 溺愛する婚約者が現れたが、あの兄ならば有事の際は彼女よりも国を優先させるだろう。そう信じている。

 ギルバートには出来そうにない。国と大切な人を秤にかけることが出来ない。大切な人が目の前にいて苦しんでいたとすれば、他を後回しにして尽くしてやりたいと思ってしまうだろう。

 それが兄と自分の覚悟の差だ。



「……お願いです母上。これ以上俺とセレナの行動を監視し、制限するのはやめてください。セレナを学園に行かせてやりたいのです」



 どうにかセレナだけでも、この状況から救ってやりたい。

 今の王宮は、生まれた頃から住んでいるギルバートでも息苦しく感じるのだ。セレナはただでさえ王宮の生活に慣れず無理をしていたのに、その心労はいかばかりか。


 どうにか養い親の元に返してやれれば……と考えていたギルバートに、エレノアは扇を広げながら可哀想なものを見る目を向けた。



「聖女とその養い親のシモンズ子爵夫妻は、良好な関係だそうね」



 ハッとして、ギルバートはエレノアを凝視する。

 母は、扇の向こうで笑っていた。



「聖女が王宮に入ってからも、定期的に文を交わしているそうじゃない。仲睦まじいこと」


「母上、まさか……」


「私の目は常に国中の重要な人間を映しているわ。聖女も、その家族も」



 ギルバートと同じ色の瞳をスッと眇め、エレノアははっきりと告げた。



「王宮から聖女を逃そうとしてもムダよ」


「母上! 俺を脅す気ですか!」


「脅す? 実の息子にそんなひどいことをするわけがないじゃない。私は母として、あなたに選択の余地と、覚悟の時間を与えてあげているのよ」



 聖母のような微笑みを浮かべながら、恐ろしい言葉を吐く母を、ギルバートは信じられない気持ちで見つめた。

 なぜ、ここまで。何が母をこうさせてしまったのか。



「勘ちがいしないで、ギルバート。お前に私を止める権利も、力もないわ」



 従うか、歯向かうか。

 ギルバートに与えられた選択はそのふたつだけ。そしてそのどちらにも、大きな犠牲が強いられることはわかりきっている。

 とても選べるものではない。ギルバートは俯き、黙りこむしかなかった。



「……王太子の選定のし直しを近日中に議会に提案するわ」


「無理です、母上。貴族にも、国民にも、許されるはずがない……」


「許しなど必要ないの。誰にも、神でさえ私を止めることはできないわ」



 その時足音がして、王妃の後ろに人影が立った。

 貴族、いや、王族のように煌びやかな装いをした若い男。精巧な人形のように整った顔立ちの男は、目は鮮血のように赤く、頭には禍々しい角が生えていた。



「なんということを……!」



 気づけばギルバートは地に膝をついていた。

 紛うことなき魔族。それも限りなく人間に近い人型の、最上位の魔族だ。神話に出てくる魔王、もしくは大公レベルの――。


 忌むべき魔族が王宮の真ん中で、ギルバートに虫けらを見るような目を向けている。

 その事実にギルバートは吐き気と震えに襲われた。



「母上! あなたは一体、王宮を、この国をどうするつもりだ!」



 魔族を後ろに従えて、エレノアはただ微笑んでいる。

 狂っている。母はとっくに狂っていたのだ。ギルバートはそう理解するしかなかった。



「あなたの歩みの先にあるのは、破滅でしかない……っ」



 項垂れ、地面の土を握りしめながらギルバートが未来を告げても、王妃は毒々しい笑みを消すことはなかった。




「それこそ、望むところだわ」



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