第107話 王太子と大神官


 ノアとトリスタンが握手をした直後、なぜかトリスタンが軽く目を見開いた。

 笑顔で握手を終わらせたノアが、私の肩を抱き寄せてくる。まるで目の前のトリスタンに見せつけるかのように。

 後ろからユージーンのため息が聞こえてくる。

 トリスタンは私たちを見て、あきれたような顔をした。



「お前の番いは、随分と狭量のようだな」


「はい……?」



 いきなり何のことだ、と私は眉を寄せた。

 なぜか私の肩を抱くノアの手に力がこもる。



「番う相手はよく考え選んだほうがいい」


「ええと……?」


「では、失礼する」



 戸惑う私を気にすることなく、トリスタンはマントを翻し教員棟へと去っていった。

 言いたいことだけ言っていなくなるなんて、どれだけ自由な男なのだ。



「何ですか、あの無礼者は」


 憤るユージ―ンに、ノアが苦笑する。


「確かにね。あれほど無礼な態度を取られたのは生まれてはじめてだ」


「教団に正式な抗議文を出しましょう」


「そこまでしなくてもいいさ。それに、敬う心は強制では生まれない」


 鷹揚な態度でそんなことを言ったノアを、私はじっと見つめる。


「……ノア様。トリスタン様に何か言いました?」


 ノアは朗らかに微笑みながら首を傾げた。


「何かって?」



 普通の令嬢が見たら、見惚れたまま倒れてしまうような爽やかで甘やかな笑顔。

 でも私は騙されない。うちの業火担がこういう態度を取るのは、大抵何かを誤魔化したい時だ。



「言ったんですね……。本当に、授業の内容について質問をしていただけなのに」



 私がため息をつくと、途端にノアは態度を変えて、私の機嫌をうかがうように顔を覗きこんでくる。



「ごめんね、オリヴィア。怒った?」


「怒ってはいませんけど……」


「許して。君と彼が並んでいる姿に、つい嫉妬してしまったんだ」



 素直に謝罪されては、私もこれ以上責める気にはなれない。

 ただ、ノアに信用されていないという悲しみだけがわずかに残った。



「嫉妬なんてなぜ……」


 ノアは迷うような素振りを見せたあと、言いにくそうに答えた。


「君たちが少し、似ていたからかな」


「確かに、私もトリスタン様には妙な親近感を覚えますが」


「まあ、そうだよね。親族とかではない? 母君の遠縁とか」



 私と同じことをノアも考えたらしい。

 私はゆるく首を振った。



「ご存じのことと思いますが、私の母は貴族の養女になってから父と結婚しました。その前は血縁者のいない、天涯孤独の身だったと聞いています」



 だからトリスタンは血縁者ではないのだろう。

 本当は期待したのだが、トリスタンの反応はいまいちだった。

 だが、彼は母について何かを知っていそうな口ぶりでもあったのだが。



「でも、オリヴィアは気になるんだね」



 私の心を見透かしたようにノアが言った。

 驚いて、彼の顔をまじまじと見てしまう。



「ノア様……」



 別にトリスタンに男性的な魅力を感じているわけではない。

 ノアに対して抱いているような恋愛感情があるわけでは決してないのに、気まずさを覚えるのはなぜだろう。



「ユージーン。あの神殿騎士について調べてくれないか」


 笑顔を消したノアの頼みに、ユージーンは戸惑いを見せる。


「構いませんが……今はそれよりも、王妃側の動向を注視されるべきでは?」



 もっともな意見に、私も慌てて同意した。

 今は私の名前のつけようのない感情を気にしている場合ではない。



「ノア様、ユージーン公子のおっしゃる通りです。ノア様はノア様にしかできないことをなさってください」


「でもね、オリヴィア……」



 納得のいっていない様子のノアが何か言おうとした時、回廊の向こうから誰かが駆けてくる足音がした。



「あ。いたいた~!」



 顔を上げると、ニコニコと笑う大神官シリルが衛兵を後ろにつけてこちらに手を振りながら現れた。

 トリスタンとは入れ違いになったようで、なぜか今はほっとしてしまった。



「遅いからこっちから来ちゃったよ。オリヴィアも一緒だったんだね」



 オリヴィア。私をそう呼び捨てたシリルにその場の空気が凍る。

 まず私とユージーンの目が合った。



(なぜ大神官に名前を呼ばせてるんですか!)


(勝手に呼び始めたんです。私のせいじゃありません!)



 目だけでそんな会話を交わしたあと、私たちは同時にノアを伺い見た。

 完璧な王太子スマイルだった。絶対に剥がしてはいけないタイプの笑顔である。

 無言になるしかない私たちに、シリルが首を傾げた。



「あれ? どうかした?」


「い、いえ……何でもありません」


「そう? 私って間が悪かったり、空気が読めなかったりするらしいからね。迷惑だったらそう言って」



 あけすけなその言い方に、ノアとユージーンが更に固まるのがわかった。

 あの神殿騎士にしてこの大神官あり、等と思ったのかもしれない。

 神官たちに蝶よ花よと育てられたのだろう。人類の中で神に一番近い存在であれば、誰も彼を尊ばずにはいられない。しかもこの愛らしい見た目だ。古都の姫君のように扱われていても不思議ではなかった。

 空気が読めない、等とシリルに言ったのはトリスタンだろうか。彼なら相手が王子だろうが大神官だろうが、臆さず思ったことを言いそうだ。

 そういう意味で、シリルとトリスタンは相性がいいのだろうと思う。



「……とんでもない。それよりも、大神官。改めて昨日の御礼をさせてください」



 気を取り直した様子で、ノアがにこやかに言って頭を下げる。

 ノアが頭を下げる相手はこの国で多くない。父親であり国を統べる国王と、形だけだがその伴侶である王妃。そして王族と対立することもある不可侵の神域、神に仕える教団のトップである大神官くらいのものだろう。

 大神官には国王でさえ敬意を示す。いわば大神官と国王は対等に近い存在なのだ。



「国王を、父をお救いくださり王族の代表として大神官に深く感謝いたします」


「いいよ、改まらなくって。第一私は何もしていないしね。陛下が目覚めたのも、私が魔法をかける前だったし」


「きっと、大神官が小神殿で祈りを捧げてくれたことで、神のご加護があったのでしょう」


「それなら感謝は私ではなく、創造神デミウル様にするといいよ」



 大神官らしいシリルの言葉に、私は思わず遠い目になる。


(いや、あのショタ神に感謝する必要はない)


 そんな神子にあるまじきことを考えていると、シリルと目が合い、なぜかパチンとウィンクをされた。



「それか、陛下を診るように頼んできたそこの神子様にね」


「え。い、いえ、私はお願い申し上げただけで」


「オリヴィア。ありがとう」



 ノアに微笑まれ、私は気が引けながらも頭を下げた。

 何も出来ていないのに、感謝されてしまった。そんな申し訳なさが先に立つ。



「ねぇ王太子殿下。話をするなら、別に学園長室じゃなくてもいいでしょう?」


「それは構いませんが……」


「じゃあどこかでお茶でも飲みながら話そうよ。オリヴィアも一緒に」


 頼むからこれ以上気安げにしないでくれ、と願いながら「残念ですが」と私は頭を下げる。


「私はこの後、親衛隊の子たちとお茶会が……」


「親衛隊って何? 私もそのお茶会に混ざりたい!」


「ええ……?」



 女子会みたいなものなのに、大神官が来ると?

 いや、見た目は完全に溶け込むだろうけれど。大神官という立場であることは秘密なのに、ケイトたちにどう説明したものか。

 しかしシリルはもう参加する気満々で、衛兵たちに移動を伝えている。

 ユージーンは学園長への連絡を手配し始めたので、ようやくノアとふたりで話せる時間ができた。



「ノア様。陛下がお目覚めになられて、本当に良かったですね」


「うん。そうだ、手紙の返事をありがとう。シロが神獣使いが荒いと文句を言っていたから、王宮の菓子を与えておいたよ」


「シロったら……。ノア様、これ以上神獣が太るのはまずいので、あまり餌付けしないでください」



 肝に銘じよう、と畏まった調子で言ったノアに思わず笑ってしまう。

 先ほどまでの気まずい空気は霧散し、穏やかな雰囲気が訪れたことにほっとする。



「あの後、ギルバート殿下やセレナ様にはお会いになりましたか?」


「いや。まだ、個人的に会うのは難しい状況に変わりはないよ」


「そうですか……心配ですね」


「ああ。ギルはあれで真面目な奴だから、あまり思いつめてなければいいが」



 それもあるけれど、私は陛下が目覚めたことで起こるであろう変化が心配だった。

 陛下の意識がない間、ここまで王宮で大胆な行動をとってきたのだ。今更引けはしないと、これまで以上の強行を見せそうで恐ろしい。


 ギルバートとセレナがそれに巻き込まれないことを、私は本気で願った。


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