第106話 銀と銀【Noah】
ノアが久しぶりに学園を訪れると、馬車を降りた途端大勢の生徒に囲まれた。
普段は身分差があり、堂々と声をかけてくる者は限られていたが、国王が危篤という不安が礼節を吹き飛ばしたらしい。
「王太子殿下! 国王陛下の容態は……」
「お目覚めになられたというのは本当ですか?」
「陛下はご快復されますよね?」
「皆様落ち着いてください!」
「道を開けて!」
ユージーンと護衛騎士が、集まった生徒たちを止めようするがキリがない。
ノアはユージーンたちを制し、生徒たちの前に出た。
「皆、静まれ」
ノアが手を軽く掲げ一言発すると、ぴたりと喧騒が止む。
集まった生徒たちの顔を順繰り確認し、口を開いた。
「陛下はお目覚めになられ、今は容態も安定している。じき快復されるだろう」
「本当ですか!」
「良かった……」
生徒の中には膝から崩れる者もいた。
喜び合う彼らに、ノアは王太子として笑顔を見せる。
「火竜のご加護が陛下をお守りくださる。皆は無暗に騒ぎ立てず、貴族として恥ずかしくない振る舞いを心がけよ。貴族が揺れると、民にも不安が広まってしまう。貴族の一員として皆が責任を持って行動するよう願う」
ノアの言葉に、生徒たちは皆そろって胸に手を当て頭を下げた。
「承知いたしました、王太子殿下」
「陛下が一日も早くご快復されるよう、火竜と創造神に祈りを捧げます」
「よろしく頼む。ここにいない者たちにも、このことを伝えてやってくれ」
話は終わりだ、とノアが歩き出すと、生徒たちは何を言われずとも未来の王のために道を作った。
「オリヴィア様のおっしゃる通りだったな」
「イグバーンには聖女様に神子様もいらっしゃるんだもの。大丈夫よ」
先ほどまでとは打って変わって、安心したように話す生徒たちの声を聴きながらノアは校舎に入った。
そのままロイヤルクラスの授業が行われている教室へ向かおうとした所で、ついてきたユージーンに止められる。
「殿下。どちらへ向かわれるのですか」
「もちろん、オリヴィアの所だ」
愚問を、とばかりに答えたノアに、ユージーンはあからさまなため息をついた。
「殿下……まずは学園長の執務室です。大神官がそこでお待ちのはずですから」
「待たせておけばいい。オリヴィアが優先だ」
「待たせておくべき相手が逆です。むしろオリヴィア様は別に殿下を待っていませんよ。今日学園に来ることをご存じないのですから」
確かに、とノアは思わず足を止めた。
最近の自分の予定は変則的で、約束をしても守れないことが多いのはわかっていたので、あえてオリヴィアには予定を伝えないようにしていた。
期待させてしまうと、落ち込みもその分大きくなる。オリヴィアを悲しませるようなことはしたくないのだ。
「しかしな……」
「学園長だってお暇じゃないんですよ。今日は大神官に祈祷の礼を伝えて、晩餐会に招待するために来たんでしょう。オリヴィア様は後です」
ノアのオリヴィア至上主義には慣れたのか、ユージーンの言葉には迷いも遠慮もない。
ノアは渋ったが、ユージーンにグイグイと背を押され教員棟に向かう羽目になった。
だが、教員棟へと続く回廊が見えてきた所で、ノアは再び足を止めた。ノアの最優先人物がそこにいたのだ。
オリヴィアの美しい銀の髪は珍しく、とても目立つので遠目でもすぐにわかる。
喜んだのも束の間、愛しい婚約者は誰かと立ち話をしているようで、ノアの機嫌が一気に急降下した。
オリヴィアが自分以外の人間とふたりきりで話している。しかも相手は背の高い男だ。
「あれは……」
こちらに背を向けて立つオリヴィアの向こう側。そこにいたのは、彼女と同じ髪の色をした教師のようだった。
「オリヴィア様と、大神官の護衛の神殿騎士ですね。なぜ教員のマントを着ているのでしょうか」
そうだ、昨日王宮で大神官とともにいるのを見た、あの神殿騎士だ。
オリヴィアの銀髪を唯一無二のように思っていたノアは、神殿騎士がまったく同じ色をしていたので見た瞬間本当に驚いた。
その神殿騎士とオリヴィアが、至近距離で見つめ合い、言葉を交わしている。
ふたりが並び立つ様子は、まるで親子のような、兄妹のような、美しい鳥の番のような、親密な姿に映った。
湧き上がる怒りを抑え込み、ノアは足早に回廊へと向かいふたりに近づいた。
「オリヴィア」
驚いたようにオリヴィアが振り返る。
焦った顔に見えるのは気のせいだろうか。まるで浮気現場を目撃されたかのような……そう思うのは、さすがに嫉妬が過ぎるか。
「ノア、様……」
「大神官に話があって来たんだけど……オリヴィアは、一体彼と何の話をしていたのかな?」
オリヴィアは顔を引きつらせながら、神殿騎士から一歩離れた。
神殿騎士のほうは、まるで動じず成り行きを見守っている。その落ち着きが妙に癪に障る。
「私はただ、先ほどの授業について、質問があって……」
授業の質問。ということは、やはりこの神殿騎士のマントは、本当に教員のものだということか。
大神殿の伝手で王立学園に入りこんだのか。ユージーンも知らないようだったし、自分にも学園から報告が来ていないということは、信仰を盾に学園長を抱きこんだのだろう。
「失礼。あなたは?」
ノアが笑顔を向け尋ねると、ユージーンもそれに続く。
「先日王宮でお会いしましたね。その時は確か、神殿騎士の制服を着ていらしたはずですが」
神殿騎士はひとつうなずき、拝礼するでも、祈りの形を取るでもなく、偉そうに仁王立ちでノアたちを見下ろした。
「神殿騎士、トリスタンだ。大神官がこの学園にいる間、臨時の神学教師として勤めることになった」
不遜すぎる態度に、ユージーンが反応するのがわかった。
「……あなたの目の前にいらっしゃる方は、この国の王太子殿下、ノア第一王子であらせられる」
「それがどうした」
「不敬です、と直接言わねばわかりませんか」
声がどんどん低くなるユージーンを、トリスタンは冷めた目で眺める。
嘲ているわけではないようだが、まるで取り合う気はないといった様子だ。
「私にとって主はただおひとり。貴族だろうが王族だろうが関係ない」
「王太子殿下より、大神官のほうが上だとおっしゃるか」
「ユージーン。構わない。いまは彼は臨時といえど教師なのだろう? そして僕は生徒。教えを乞う立場だからな」
双方引く様子はないので、埒が明かないと判断し、ノアは止めた。
神殿騎士ごときに侮られるのは良くないが、だからといってプライドが傷つけられるということもない。そんなことよりも、オリヴィアの前で立場が上だの下だのと、下らないことで争うような姿は見せたくなかった。
自分が誰より尊い身であるかは、自分が一番理解している。
「よろしくお願いします、トリスタン先生」
ノアが右手を差し出すと、さすがにトリスタンも無視はせず握り返してきた。
細身に見えて大きく固い、力強い手だった。相当な手練れでは、と瞬時に判断する。だが負ける気は一切ない。
「でも、僕の婚約者に手を出したら容赦しませんよ」
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