第105話 惹かれる理由


 生徒たちの間を縫うように駆け足で進んでいくと、廊下の先に揺れる銀髪を見つけた。

 教員棟に続く回廊に入った所で声をかける。



「トリスタン様。いえ、先生」



 緑に囲まれた回廊の真ん中で、トリスタンがゆっくりと振り返る。

 やはり、肖像画の母とよく似ていると思った。額縁の中の母は、もっと柔らかく微笑んでいたけれど。



「先ほどの授業の内容について、質問があるのですが」



 歩みよりながら言った私を、トリスタンは観察でもするかのようにじっと見下ろしてくる。

 冷たく厳しい顔つきは、少し父にも似ているかもしれない。



「随分熱心だな」


「え?」


「王都の貴族は、神学にはほとんど興味を示さないと聞いていた」



 まあ、確かにトリスタンの言う通りだ。

 デミウルという唯一神を崇めるのは貴族も平民も変わらない。だが貴族は、少なくとも王都の貴族はそこまで信仰に厚いというわけではなかった。

 どちらかと言うと、信仰している、という体が大事だ。だから貴族は教会にお布施をするし、礼拝をする。奉仕活動に使用人を参加させ、貴族自身も顔を出したりもする。だが、それが純粋な信仰心から行われているかというと、そうではない。

 中には本当に信心深い貴族もいるだろうがそれは稀なことで、基本的に貴族は神よりも、序列の高い貴族、そして王族を崇めるほうに熱心だ。

 信仰心なら平民のほうがずっと高いと思う。

 私の専属メイドのアンは、悪魔信仰(ヨガ)をする私を改心させようとデミウル像をいまだに増やしているし、実家には小さな祭壇も飾っているという。聞けば、祭壇を飾る平民の家は多いそうだ。

 貴族の屋敷には祭壇も礼拝堂もない。祈る時は教会に行く。人目につくよう礼拝し、神を崇めていることをアピールする必要があるからだ。屋敷の中で祈っていても貴族にとっては意味がない。


 ちなみに我が侯爵邸にも礼拝堂はない。私は神子(勝手にされただけ)だけど、ない。

 あるのはアンがせっせと増やし続けるデミウル像を並べる、忌々しい専用棚だけだ。しかも何体かこっそり処分している。



「だが、お前も他の生徒も、積極的に学ぶ姿勢がある」


「それは先生だからでは……」


「どういう意味だ」



 あなたが魅力的だからだ、と言うわけにもいかず、笑顔で誤魔化す。

 どうやら自身の特殊な容貌には無自覚らしい。神殿騎士という、高潔な職業に就いているからだろうか。



「それより、先ほどの竜と人との橋渡し役だった一族についてなのですが」


「ああ」


「私を含め、生徒はその存在を今日まで知りませんでした。でも、大神官様はご存じでした。古都に住まわれている、あなたと大神官様だけ」



 トリスタンは当然だろうと言うように首肯した。

 若干不快そうに眉を寄せたのは、私のセリフが彼の矜持を傷つけたのだろうか。



「竜にまつわることで我々が知らぬことなどない」


「もちろん、大神殿にお勤めの方々ですから、神や竜については誰よりお詳しいのだと思います。けれど、なぜなのでしょう? 私の読んだ聖書には、一族についての記述はありませんでした。しかし大神官様は、古都にある聖書や他の書物にはしっかり書かれていると。本当ですか?」


「本当だ」


「なぜ古都だけ? その一族について、古都の大神殿の人々しか知らないのですか? 誰かがあえてそうさせたのでしょうか? どうしてその一族は、忘れ去られてしまったのですか?」



 畳みかけるような私の問いかけに、トリスタンは口を閉じた。

 またじっと、観察するような目を私に向けてくる。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。



「……なぜ、そこまで気になる?」



 静かに問い返され、戸惑った。



「え……?」


「次の授業が待てないほど、その一族について気になるのか。今すぐ答えが欲しいと」



 指摘され、戸惑いは更に大きくなる。

 確かにそうだ。私はトリスタンのことが気になっていたはずなのに、と。



「……いえ。そう、ですよね。どうしてこんなに気になるんだろう」


「忘れ去られし一族については、今後の授業で知ることになるだろう」


「わかりました……。あの、では、先生についてお聞きするのは構わないでしょうか」


 トリスタンは意外そうに片眉を上げた。


「私の何が知りたい」


「ええと……先生は、古都出身なのですか?」



 そんなことか、とトリスタンは息をつく。

 彼は回廊から北の空を見上げた。



「いいや。北の生まれだ。山奥の、小さな集落にいた」


「そういえば、大神官様が先ほどそのようなことを言ってらしたような。では、ご家族はその集落に?」



 もしかして、トリスタンの家族も皆同じ色の髪と瞳を持っているのではないか。

 そんな期待をこめて尋ねたが、トリスタンはあっさりと首を横に振った。



「親はもういない」


「あ……し、失礼いたしました」


「構わない。随分の昔のことだ」


 本当にまったく気にしていない様子で淡々と言い、トリスタンは続ける。


「両親が亡くなったのをきっかけに、集落を出て古都に行った」


「なぜ、おひとりで古都に?」


「生まれを辿ると、祖先は古都の辺りの出だったらしい。見てみたいと思っただけだったが……気づくと神殿騎士見習いになっていた」



 そんなわけあるかい、と内心でツッコミを入れる。

 個人的なことを私に話すのが嫌で伏せたのだろう。それか、説明が面倒で詳細を省いたか。何となく後者な気がする。



「では……他に血縁者の方はいらっしゃらないのですか?」



 踏み込みすぎかとも思ったが、聞かずにはいられなかった。

 トリスタンは嫌悪感を見せることなく、やはり私を観察するように見下ろすだけだ。



「……なぜ、そんなことを聞く?」


「おかしなことをと、思われるかもしれませんが……あなたが、似ているので」



 私と、そして母に。

 この世界には前世ではありえない髪や瞳の色を持つ者がいるけれど、決してそれらの色はこの世界では珍しいものではない。

 けれど、私の持つ色は私だけ。私と母だけの色だった。人の多い王都でも、この髪と瞳と同じ色を持つ人に出会ったことがない。

 初めて会ったのが、トリスタンなのだ。



「シルヴィア、という女性をご存じありませんか? 私の母です。あなたや、私と同じ、銀の髪に水色の瞳だったそうです」


「そうです?」


 不思議そうに聞き返され、私は頷き微笑んだ。


「私の母も、小さな頃に亡くなっていますので。あまり母の記憶がないのです」



 遠い記憶の母の姿はおぼろげだ。肖像画だけが、母の姿をはっきりと私に教えてくれる。

 いま母が生きていたら、と最近たまに考える。

 もしかしたら、父やノアには話せないことも、母には話していたかもしれない。前世のことや、この世界のことも。たくさん相談して、甘えられていたかもしれないな、と。


 その時、強く風が吹いた。

 緑の葉が数枚回廊に舞いこんでくる。

 私とトリスタンの銀の髪が、風に吹かれ大きく揺れた。やはり、強烈なシンパシーを感じる。こんなにも彼に惹かれるのはなぜなのか。

 風が止む頃、トリスタンはゆっくりと口を開いた。



「お前は……己の母親が何者か、本当に知らないのか?」



 それは問いただすというより、確認に近い口調だった。

 トリスタンの言葉の意味がすぐに理解できず、私はしばらくぽかんとしてしまった。

 どういう意味かと問おうとした時、背後から足音がして「オリヴィア」と甘い声に呼ばれた。

 振り返ると、笑顔のノアがユージーンを連れ歩いてくる所だった。



「ノア、様……」


「大神官に話があって来たんだけど……オリヴィアは、一体彼と何の話をしていたのかな?」



 笑っているのになぜか圧のある顔をトリスタンに向けるノア。

 業火担が完全に誤解しているのがわかったが、私はどう説明するのが正解かわからず、ノアとトリスタンの顔を交互に見やるのだった。


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