第100話 銀と水色


「毛布をおかけしますね」


「ありがとう、マーシャ」


 そっとノアに毛布をかけながら、マーシャは首を振る。


「お礼を言わなければならないのはこちらのほうです、オリヴィア様。実は殿下は、国王陛下が倒れられてからほとんど眠られていないのです。私共も何とか少しでもお眠りいただこうとあれこれ考えたのですが……。オリヴィア様にいらしていただけて本当に良かった」



 安堵したようにそう言ったマーシャの目の下にも、うっすらと隈が浮いていた。

 侍女のマーシャまでもが疲弊している。いまこの王宮で悠々と暮らしているのは、恐らく王妃エレノアくらいだろう。



「そう……。次の公務の時間まで、眠らせて差し上げましょう。マーシャもそれまで少し休んでいて」



 何度も私に礼を言ってマーシャが退出すると、部屋には静寂が訪れる。

 疲れの色が濃く浮かぶノアの寝顔を見つめながら、私は国王のステータス表示について考えた。


 衰弱。

 私が二度目の人生をスタートした時の状態が正にそれだった。あの時の私より、国王の体の状態は悪いと言える。

 毒ではない。ノアの話が本当なら、疲労とも違う。食事はとっていたようなので、栄養失調というわけでもない。年齢が理由になるほど国王は老いてはいない。

 国王はなぜ倒れたのか。どうしたら治せるのか。

 今のところ、私にわかることは何もない。それがつらい。


 ノアの髪を撫でながら、私は自分に何が出来るのか、思いを巡らせるのだった。



 ノアの公務の時間が迫り、忍びない気持ちになりながらもノアを起こした。

 寝ぼけながら、私を見て嬉しそうに笑ったノアには、心臓がギュンと収縮した。寝起きのノアの破壊力は強すぎる。



「女神の微笑みに迎えられるなんて、最高の目覚めだな」



 ご機嫌でそう言ったノアに引き寄せられ、私たちはひとときの間、あらゆる憂いを忘れ口づけを交わし合った。


 短時間の睡眠ではあったけれど、ノアはすっきりした顔で私を見送ってくれた。

 私の子守歌くらいでノアが休まるなら、いくらでも歌いに来よう。

 前世のレコーダーのような録音機があればいいのに、とついないものねだりしてしまう。

 神獣シロ様に言ったら、魔法を駆使してどうにかしてくれないだろうか。


 王太子宮を後にし、王宮の回廊に入ったところでユージーンと遭遇した。

 こちらもまた、怜悧な美貌を疲労で陰らせていた。誰もが疲れ切っている。こうなると、あまりに変わらない王妃が、たくさんの人の精気を食らっているのではないかと考えてしまう。


 ユージーンは立ち止まり優雅に礼を取ると、私の後ろに立つヴィンセントを見て指で眼鏡を押し上げた。

 わざわざ挨拶はしなくても、視線は合わせるようになっただけ進歩だな、と異母兄弟たちの様子にひとりほっこりする。



「オリヴィア様。もうお帰りですか」


「ごきげんよう、ユージーン公子」


「国王陛下への謁見は無事終えられたのですね」



 現宰相の跡取りとはいえ、学生の身分のユージーンの同行は叶わなかった。

 きっと悔しさを感じながら、気をもんでいたことだろう。



「ええ。陛下にはお会いすることが出来ましたが……私の力及ばずでした」


「そうですか……」



 ユージーンは残念そう、というよりは思案するように視線を落とした。

 神子である私の力が及ばなかった。つまり国王が倒れた理由は毒ではない。すぐさまそれを察した彼は、今後の展開を考えているのだろう。

 ユージーンがノアの側近としてこちら側についてくれて、本当に良かった。一度目の人生でのように、ギルバートの側近――王妃側につかれていたらと思うとゾッとする。



「ノア様は少し眠られていたのですが、先ほどお目覚めになり、公務の準備をされていますよ」


「殿下が少しでもお休みになれたのなら良かった」


「ええ。ユージーン公子も無理はなさらないで下さいね。……そうは言っても、今はなかなか難しいのでしょうけれど」


「そうですね。今が踏ん張りどころですから、多少の無理はいたしますよ」



 珍しく冗談めかして答えたユージーンに、私は笑おうとして失敗してしまった。

 ユージーンも王宮から帰ることが出来ずにいると、マーシャから聞いている。まだ完全に回復できていないユーフェミアを家にひとりにしている状況は、さぞ心配だろう。

 ましてや彼は、姉の為に貴族子女の流行をリサーチするほど、かなりのシスコンなのだ。きっと傍にいてあげたいに違いない。それなのに――。


 思わず俯いた私に「オリヴィア様?」とユージーンが怪訝そうな声をかけてくる。



「……何だか、皆様を見て申し訳なくなりました。私だけ王宮の外にいて、何もしていないなと。似たような立場のセレナ様も、大変な状況ですのに」


「聖女様は第二王子が後ろ盾についている分、王妃に近いですからね」



 そう、セレナは立場的に私よりずっとエレノアに近い所にいる。それは王妃に守られる、という意味にはならない。

 いや、守られるかもしれないが……それは王妃の気分次第と言えるだろう。



「先ほど陛下の寝所でお見掛けしましたが、顔色が悪かったのが気になります。ユージーン公子。何とかセレナ様にお会いすることは出来ないでしょうか?」



 親衛隊の子たちとの約束もある。心配している。待っている。それだけでも伝えたい。

 けれどユージーンは申し訳なさそうに小さく首を振った。



「お気持ちはわかりますが……今は難しいかと」


「そう、ですか……」



 やはりユージーンでも無理か。

 今は下手に動くと文字通り命取りになるのかもしれない。

 王宮内に漂う張り詰めた緊張感にそう考えた時、



「何が難しいの?」



 突然私たちの間に、マントのフードを目深にかぶった怪しい人物がひょっこりと現れた。



「……っ⁉ 何者だ!」



 ユージーンが私を庇いながら叫ぶのとほぼ同時に、ヴィンセントが剣を抜き闖入者から私を守ろうと前に出た。

 その瞬間、キィン!と金属のぶつかる音が高く響く。

 ヴィンセントに剣で切りかかる、もう一人の存在がいたのだ。

 ギリギリと、ふたりの剣がこすれ合う。ヴィンセントの背中がひどく緊張しているように私には見えた。

 先に動いたのはヴィンセントだった。相手の剣を強く弾き切りかかる。

 相手はそれを素早く避けたが、拍子に被っていたフードが外れ顔が露わになった。

 私は、現れた銀の輝きを見て驚いた。


(私と同じ、銀髪……!)


 銀髪は珍しい髪色だ。この髪を持つ人を、私は自分と母親以外に知らない。

 しかも瞳の色まで同じだ。そのせいか、相手の方が十歳ほど上の男だというのに、まるで自分を見ているかのような気持ちになる。

 私が驚き固まっていると、ユージーンが「待て」と冷たい声を発した。



「双方剣を収めなさい。王宮での無暗な抜剣は禁じられています」



 ヴィンセントと謎の銀髪の男はその言葉に顔を見合わせ、剣で押し合うように距離を取る。ふたりが剣を鞘に収めると、もうひとりが前に出た。



「ごめんね。私たちは怪しい者じゃないよ」


「怪しくないと言うなら、その深く被ったフードを外してはどうですか」



 ユージーンの言葉に、フードの人物は「それもそうだね」と頷くと、あっさりとフードを外して見せた。



「あなたは……!」




***


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