第99話 遠い記憶の子守歌
「これは――」
国王の手に触れた直後、電子音と共に現れた半透明のステータスウィンドウ。
そこに記されていた国王の状態が予想外で、私は思わず息を呑んだ。
「どうした、オリヴィア」
訝しげにノアが私の顔を覗きこんでくる。
ノアは国王が王妃に毒を盛られたと疑っていた……いや、ほぼ確信しているのだろう。
私もつい先刻まではそうだった。毒なら自分がどうにかできる。そう思っていた。だから、妙に堂々とした王妃の態度に違和感を覚えたのだ。
私は悔しさと歯がゆさに唇を噛みながら、国王のかさついた手を離した。
「……ノア様、申し訳ありません。解毒は、出来ません」
隣りでノアが驚いた顔をしたのがわかった。
まさか、と声にはならなかったけれど、彼の唇がそう形作っていた。
「神子が解毒出来ないということは、陛下は毒をもられたわけではないということかしら」
「そうなのか、オリヴィア?」
何も言えずに視線を落とす私に、王妃は勝ち誇ったような笑みを見せた。
まるでこうなることはわかっていたと、彼女の瞳が語っていた。
「もう用はないわね。さあ、陛下を休ませて差し上げなければ。出ていってちょうだい」
王妃の言葉に今度は逆らうことは出来ず、私たちは王の寝所を後にする他なかった。
部屋を出る直前に見た、ギルバートの苦々しい表情がしばらく目に焼き付いて離れなかった。
王の寝所を追い出され、私たちは王太子宮に移動した。
宮まで私たちを送り届けてくれたブレアム公爵は、エントランスに入るなり他の騎士たちとともに膝をつき、ノアを見上げた。
「王太子殿下。どうかお気を落とさず。我々はこれからも殿下を支持し、お守りいたします故」
「ブレアム公爵……貴公らの忠誠心を頼もしく思う」
「勿体なきお言葉。アーヴァイン第二騎士団長とも話し合い、警備を強化しつつ、陛下が貴族派に囲われている状況をどうにか出来ぬか考えます」
王妃側の近衛騎士とやり合っていた時はあれほど怒りに震えていたのに、ブレアム公爵はすっかり落ち着きを取り戻し、最後にはニカッと白い歯を見せ笑った。
ブレアム公爵が帰っていき、ノアの部屋に私たちふたりだけになると、彼は私をソファーに座らせ、自分も隣りに腰を下ろした。
ちなみにヴィンセントは部屋の外にいる。本当はともに入ろうとしたのだが、ノアのお付き侍女マーシャに「ご遠慮くださいませ」と優しく嗜められたのだ。
しょんぼりと垂れる耳と尻尾が見えたが、いまはショックを受けているノアを優先させたかったので、外で待機してもらった。
私を抱きしめると、ノアが深く長いため息をつく。怒りや疲れ、憂い等、様々な感情が含まれたようなため息だった。
「父上は、ご病気なのか? 毒を盛られたわけではなく?」
ノアの問いに、私自身まだ戸惑いながらも頷いた。
「毒に冒されてはいらっしゃらないようでした。ただ、ご病気というわけでもないようで、何も言えなかったのです」
「では、父上は一体どういう状態なんだ?」
「ただ、衰弱とだけ……」
「衰弱……?」
ノアは手で口元を覆い思案する仕草を見せた。
「……確かに、ここの所体調が優れないようだった。食も細くなりお痩せになったので、公務の量も減らし、僕が代わりに引き受けていたんだ」
「そうだったのですか」
「オリヴィアにこれまで教えてもらったデトックスの知識を活かして、適度な運動や休憩をとられるよう進言したりもした。王宮の料理長にも健康的な食事を指示し、父上自身も酒を控える等充分気をつけた生活をされていたのだが……」
病気でもないのに、なぜ衰弱するのかわからない。
そう呟くと、ノアはおもむろに寝転がり、私の膝に頭を乗せた。
急にそんなことをされドキリとしたけれど、腕で目を覆ったノアが本当にまいっているのだとわかり、心配の気持ちが勝る。
青みがかった黒髪にそっと触れると、絹のような柔らかさが指の間を通った。
「せっかく呼んでいただいたのに、お力になれず申し訳ありません」
私の謝罪に、ノアが驚いたように目元から腕を外す。
「何を言うんだ。君のおかげで毒ではないと判明したんだ。感謝しているよ。それに……ようやくこうして会えて、ほっとした」
「私もです」
微笑み合い、部屋の空気が甘く緩むのを感じた。
わからないことで悩んでいても仕方ない。だったら、今私に出来ることは何か。
「ノア様。少しお痩せになりましたね。睡眠はとられていますか?」
「君に叱られるからね、とっているよ。死なない程度には」
「無理はなさらないでください。陛下に続いてノア様まで倒れられては、国が崩壊してしまいます」
「崩壊はまずいな。それで困るのは……国民だけかな?」
私を試すような視線に、思わずムッと頬をふくらませてしまう。
「私は困るのではなく、心配しますし、悲しみます」
「それはいけない。君を悲しませない為にも眠らなくちゃいけないね。でも、色々考えてしまって眠りが浅いんだ」
「では……子守歌でも歌いましょうか」
笑ってもらえるかと思い冗談のつもりで言ったのだけれど、ノアは本気にしたらしい。
星空の瞳を輝かせ「それはいいな」と言った。
「オリヴィアの子守歌か。幸せな気持ちで眠れそうだ」
「え? 本当に……? 私、歌はそんなに得意ではありませんが」
「それは余計に楽しみだな」
微笑んだノアの目元を、私は苦笑しながら自分の手で覆った。
彼の長いまつ毛が手のひらに当たるのをくすぐったく感じながら、静かにゆっくりと歌い始める。
優しい風のような柔らかな旋律のその子守歌は、遠い記憶の中で聴いていた。前世で有名だった童謡とは違う。もっと神聖で、細胞の隅々まで染みわたっていくような、不思議な響きの歌。
それは森の中で眠る子どもの歌だった。子どもはとても気高く、とても賢く、とても強く、とても慈愛に満ちていて、皆に愛され見守られながら眠りにつくのだ。
この歌を私に歌って聞かせてくれていたのは、きっと幼い頃に亡くなった母。甘く温かで、何もかもを許し受け入れてくれるような声が記憶の奥底に残っている。
「不思議だな……。初めて聞く歌なのに、なぜか妙に懐かしく感じる」
そう呟くと、ノアは眠りについたようで、静かな寝息を立て始めた。
ノアが眠りについてからも私はしばらく歌い続け、彼の眠りが深くなった頃そっと歌を終えた。
よくこの子守歌を覚えていたなと、自分で驚いた。
母が亡くなってから、私にこの歌を歌ってくれた人はいなかったはず。自分で歌うこともなかったのに、不思議なほど自然と思い出せた。子どもの頃に覚えたことは、体に染みこんで忘れないものなのだろう。
普段より幼く見える彼の寝顔を見つめていると、侍女のマーシャが毛布を手に現れた。
***
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