第75話 隠れ家
王都の繁華街と貧民街の、丁度真ん中あたりに位置する薄暗い路地。
石造りの集合住宅や蔦に覆われた工房等、背の高い建物の間にその家はひっそりと建っていた。まさに隠れ家、といった雰囲気である。
「ここで……例の商人を捕らえていたのですか?」
ヴィンセントの手を借り、ユージーンの馬車から降りた私は、建物を見上げ隣に立ったユージーンに尋ねた。
日が落ちかけ、どんどん暗くなっていく路地の中、押し上られたユージーンの眼鏡が微かに光る。
「ええ。そして本日午後、王太子殿下と私が会議に出席中、この隠れ家が何者かにより襲撃されました」
「何者か……ということは、犯人は捕まっていないのですね」
「現在追跡中です。襲撃により、捕らえていた商人と見張り件護衛に当たっていた騎士が三名、殺害されました」
淡々としたユージーンの報告に、思わずヴィンセントの手を強く握ってしまう。
気遣わしげな視線が降りてきた気がしたが、何か言われる前にその大きな手を離した。
「どうぞ、こちらです。足元にお気をつけください」
代わりに差し出されたユージーンの手を取り、隠れ家の中へと足を踏み入れる。
入り口に騎士が立っていたが、ユージーンの顔を見ると敬礼の形を取るだけで止めに入ることもなかった。恐らく、王太子の近衛騎士のひとりなのだろう。
室内は薄暗く、狭い廊下には空き瓶や壊れた家具か何かの木片が散乱していた。
慎重に歩を進め奥に向かうと、広間らしき空間に騎士数名とノアがいた。
「ユージーン。急にいなくなったかと思えば……」
振り返り、現れた私たちを見てノアが表情を険しくさせる。
「なぜ勝手にオリヴィアを連れてきた!」
ビリビリと、ノアの怒声が空気を震わせた。
私は思わず肩を竦めたが、隣のユージーンは微動だにしない。
「神子様にご確認いただくためです」
「確認だと? ここには血と、死体しかないのにか!」
腕を広げ、室内の惨状を示したノア。
彼の言う通り、ひどい光景だった。
床には血だまり、壁には飛び散った血痕。カーテンは切り裂かれ、家具は原型を留めないほど破壊されている。
数体の遺体らしきものには、大きな布が被せられていた。
恐らく先ほどノアが見ていた中央の遺体が、商人のものなのだろう。
「商人の死因が、一連の事件のものと同じかどうか確認いただきたいのです。それが出来るのは、神子様しかいらっしゃらないでしょう」
「オリヴィアにも毒の解析は出来ないと、治癒院の一件でわかったはずだ」
「ええ。ですから、今回も毒の解析が出来なければ、同じ毒ということになるでしょう」
「必要ない。商人の死体の状態から、同じ毒である可能性が高いことは僕にでもわかる」
手を振り、側近の進言を却下するノアの声は冷たい。
私はふたりの会話に口を挟むことも出来ず、彼らを交互に見るしかなかった。
「確かにそうですが、前回と違うのは、毒に侵されている体が死んでいる、という点です。もしかしたら何かわかることがあるかもしれません。王宮医さえ知りえない毒ですから、出来るだけ情報が欲しいでしょう」
「その為に僕の婚約者を、こんな血なまぐさい場所に連れて来たと?」
「私は利用できるものは利用する主義ですから」
そう言った途端、突如青白い光が弾けるとともに、轟音が鳴り響いた。
ハッとしたときには、私を守るようにヴィンセントが前にいて、ユージーンは壁際へと飛び退っていた。
そして先ほどまでユージーンが立っていた場所は、床が黒く焦げ、煙が立ち上っている。
目の前のノアを見て、ようやく事態を把握した。
右手を差し出し、二本の指を下に向けているノア。いつの間に召喚したのか、彼の後ろには淡く発光するペガサスが羽を広げていた。バチバチと、その鬣が放電している。
凍てついた目をしたノアが、ユージーンに雷を落としたのだ。比喩ではなく、精霊魔法で本物の雷を。
「オリヴィアを道具扱いするなと言ったはずだ」
「私は——」
床に膝をつきながら、ノアを見上げ何か言い募ろうとしたユージーンだが、ノアの指先が再び自分に向けられたのを見て口を噤んだ。
「二度目はない。その僕の警告をただの脅しだと思ったのなら……浅はかとしか言いようがない」
ノアに見下ろされるユージーンの表情は張り詰めていた。
ユージーン本人だけでなく、見ているこちらまで冷や汗をかいてしまう。
止めに入るべきなのだろうが、ノアの迫力が凄まじく動けない。ここまで怒りを露わにしたノアは初めて見る。
どうしたらいい、と焦っていると、ふとノアが手を降ろした。
同時にペガサスが送還され、ほんの少し緊張感がほぐれる。
「……すまない、オリヴィア。こんな場所に来させてしまった。すぐに侯爵邸まで送ろう」
何事もなかったかのように微笑み、私の手をとったノア。
そのまま隠れ家から連れ出されそうになったので、私は慌てて踏みとどまる。
「オリヴィア?」
「あの……私なら、大丈夫です」
ノアは信じられない、と目を見開き、私の肩を強く掴んだ。
「何を言ってるんだ。ここは君がいるべき場所じゃない!」
わかっている。
王太子の婚約者で、ただの貴族令嬢でしかない私がいるべき場所ではないことくらい、わかっている。
それにノアが私を心配して言ってくれていることもわかっている。
それでも、ノアの言葉を突き放されたように感じてしまうのだ。
私は必要ない、そう言われているように思えてしまう。ノアにそんなつもりはないだろう。純粋に私の身を案じてくれている。
けれど、私がこの場に必要ないことが、事実として私の心を突きさすのだ。
だからこそ、このまま帰るわけにはいかない。
私はノアを守るために、彼の役に立ちたいのだ。
いるべきじゃない、ではなく
いついかなる時も隣りにいてほしい、と言われる存在になりたい。
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