第57話 騎士と犬


 馬車が侯爵邸に停まり、扉が開かれる。

 私に手を差し出したのは、片目を眼帯で覆った無表情の騎士。その手を取り馬車を降りると、出迎えてくれた侯爵家の使用人たちが揃って驚きの表情を浮かべていた。


 何だろうあの顔は。単純に驚いているというより、もっと複雑な感情が含まれているように見える。焦り、不安、疑り……そんな感じだろうか。

 専属騎士になったヴィンセントが原因なのは間違いない。だがヴィンセントの凛々しさや美しさに驚くならまだしも、そういった様子でもないのだ。

 戸惑いながらタラップを降り、ヴィンセントの手を離すと同時に、代表して執事長が歩み出てきた。


「お帰りなさいませ、お嬢さま」

「ただいま、執事長。お父さまにご相談したいことがあるのだけど、まだ王宮に出仕中よね?」

「はい。お帰りは晩餐前の予定でございますが、お嬢さまがお会いしたがっていると報せを出しましょう。きっと早めにお戻りになられますよ」

「そこまでしなくていいわ。お仕事も大切だもの」

「左様でございますか。……ところで、こちらの騎士の方は?」


 モノクルの向こうの瞳が、ヴィンセントを捉えて光る。

 ヴィンセントは気づいているだろうに、無表情のまま黙って私の後ろに控えたままだ。


「こちらはブレアム公爵のご子息、ヴィンセント卿よ。学園の先輩なのだけれど、今日から私の専属騎士として護衛についてくださることになったの」

「……よろしく頼む」


 ノアさまの決定だと伝えると、執事長他、使用人全員があからさまにほっとした顔をした。

 まさか、私が浮気をしているとでも思ったのだろうか。

 急にノアではない別の男性を連れ帰り、エスコートをされているのを見て勘ちがいをした。だから皆あの奇妙な表情をしていたのだ。ノアは政務で真っすぐ王宮に帰ったから、一緒ではなかっただけなのに。


(冗談じゃないわ。浮気なんてしたら、業火坦の婚約者が何をしでかすか……)


 とりあえず、この王都は火の海になるだろう。

 想像してゾッとする私の前で、執事長とヴィンセントが挨拶を交わしている。ついでに私専属の、執事のフレッドとメイドのアンを紹介し、侯爵邸を案内することにした。

 ヴィンセントはホールから食堂、応接間、私室、庭園、どこを見ても「把握しました」「問題ありません」としか言わず、シロが離れに作った温泉を見ても顔色一つ変えなかった。温泉は王宮にもないほど贅沢な造りなので、少しは驚くだろうと期待したのだが……ヴィンセントの表情筋は死んでいるのかもしれない。


 本気でそう思ったのだが、そのあとヴィンセントが反応を示したものがあった。

 庭園を見渡せるテラスで、四肢を投げ出しただらしない格好で日向ぼっこをしているシロに出くわしたときだ。


「丁度良かった。ヴィンセント卿。これはうちのシロです」

「飼い犬ですか。大きいですね」

「いいえ。神獣です」


 ヴィンセントは鼻提灯をふくらませて眠るシロをじっと見下ろしたあと、無表情のまま私を見た。


「……これが?」

「はい。これが」


 スピスピ鼻を鳴らし『もう食べられないよぅ~』と寝言を呟くシロ。

 ヴィンセントはもう一度シロを見下ろし、ひとつ頷いた。


「神子さまには、創造神デミウルの遣わした神獣がついている、と聞いてはおりましたが……想像とは少々違ったので」

「ええ、そうでしょうね。わかります」


 普通、神獣と聞いて想像するのは、もっとこう神々しかったり、麗しかったり、凛々しい雰囲気の獣だろう。だが実際のうちの怠け者神獣はというと、狼というか大きい仔犬……というかポメラニアン。想像と現実のギャップにがっかりすること請け合いだ。


 何だか申し訳なく思っていると、屋敷の中が騒がしくなったことに気がついた。

 ほどなくして現れたのは、王宮に出仕しているはずの父・アーヴァイン侯爵だった。


「お父さま! お帰りなさいませ。こんなに早く、何かあったのですか」


 まさか執事長がこっそり連絡を入れたのでは、と予想しながら尋ねると、父はいつものように私を抱きしめ「ただいま」と囁いた。


「予定より仕事が早く片付いただけだ。気にするな」


 にこりと父が言ったが、目が笑っていない。

 絶対嘘だ。執事長に報告を受けて、慌てて帰ってきたのだ。間違いない。


「ところで……ヴィンセント卿。君が娘の騎士に選ばれるとはな。王太子殿下から聞いたときは驚いたよ」

「私も驚きました、アーヴァイン卿」


 びっくりのびの字も知らないような顔で言うヴィンセントに、父の笑顔がますます凍る。


「……そうだろうとも。君はまだ学生の身だしな。学生といえば、学業と護衛の両立は難しいだろう」

「いえ、私は——」

「そこで提案だが。君は娘の学園内の護衛にのみ専念してくれ。この屋敷での警備や送迎は、当家の兵が担うので問題ない」


 役割分担と言えば聞こえがいいが、要するに父は、ここではお前は必要ない、と言い切ったようなものだ。

 確かヴィンセントは第一騎士団所属。父とは団が別だが、騎士としては上司と部下のようなものだろう。これはパワハラになるのでは、と私が心配していると、


「警備と護衛はまるで別のものです。私は夜もこちらで護衛させていただくつもりです」


 ヴィンセントはまるで動じていないようで、さらりとそう返した。

 父のこめかみがピクリと動く。


「……それは、我が家に住みこみ護衛するという意味か?」

「護衛ですので」

「却下だ。嫁入り前の娘、しかも婚約者がいるのに、別の男をそこまで近くに置くことはできない。大体、王太子殿下はそこまで指示をしたのか?」

「殿下には、護衛の任務の詳細については侯爵と相談するようにと」


 そうだろうな、と私も恐らく父も思っただろう。

 あの業火坦な婚約者が、私と他の男が二十四時間ともに過ごすことなど許すはずがない。それが例え騎士であってもだ。複数人いるならば交代制となり話は別だが、今回はヴィンセントひとり。あらぬ噂が立っても困るので、私も住みこみは反対だ。


「であれば、やはりヴィンセント卿には学園での護衛を頼みたい。卿は騎士だが、同時にブレアム公爵のご子息でもある。王太子殿下の婚約者となった娘と、寝食をともにするのはまずいことはわかるだろう」


 父の言葉にヴィンセントはしばらく黙っていたが、やがてコクリと頷いた。


「わかりました。では、侯爵がご帰宅される夜には私も任を離れます。そしてまた朝にお迎えに上がりましょう。私の任務はオリヴィアさまが家を出られてから夜まで。これ以上は譲歩できません」


 あの父の牽制を受けてもなお、ヴィンセントは己のペースを保持したままだ。

 クールなのかマイペースなのか。はたまた空気が読めないだけなのか。何にせよ強いと感心してしまう。


「まあ、そのあたりが妥当だろうな。オリヴィアも、それで構わないか」

「私は構いませんが……ヴィンセント卿は、それではあまりお休みになれないのでは?」


 交代要員がいないのに、成り立つのだろうか。

 そんな私の心配をよそに、ヴィンセントは問題ありませんと短く答え、早速そのまま少し後ろに控え護衛騎士として働き始めた。

 クールというか真面目というか何というか。まるで感情のないロボットのようだ。


 ときおりヴィンセントがじっとシロを見下ろしているのが気になったが、当の怠け者な神獣は昼寝から目覚める様子もなく、気持ちよさそうに鼻提灯をふくらませ続けたのだった。


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