第58話 騎士の匂い


 日が完全に沈みきった頃、私はヴィンセントを見送るために屋敷の外に出た。

 ヴィンセントの黒い髪を見上げ、ノアとはちがうなと思う。ノアは青空を反射させたような青みがかった黒髪だが、ヴィンセントは夜の闇にとけそうな深い色の黒髪だ。


「父がごめんなさい、ヴィンセント卿」


 ヴィンセントが振り返り、不思議そうに私を見下ろす。

 何のことだ、とその片目が言っていた。


「父の態度です。別にあなたの実力を疑っているとか、あなたのことが嫌いなどということはありません。ただ、娘の私を心配しているだけなので、誤解しないでいただきたいのです」

「わかりました」


 あまりにあっさりと返されると、逆に疑わしく思えてしまう。


「……本当に? 何も気にされていません?」

「ええ。特に何も」


 無表情で言い切るヴィンセント。本当に何も感じていないのか、遠慮をして言わずにいるのか、まったく判別ができない。

 彼はいつでも、誰といてもこうなのだろうか。私が悪役令嬢オリヴィアだから、というわけではなく。


「ヴィンセント卿。最近、何かで笑いましたか?」

「……笑う?」

「ええ。おかしくて笑ったり、嬉しくて笑ったりしたこと、最近ございました?」


 私の問いに、ヴィンセントは訝しがる様子もなく、素直に考えていた。どういう意味があるのか問うこともしない。


「……記憶にありません」

「最近は一度も笑っていないと?」

「最近というか、過去笑った記憶がありません」


 これは表情筋が死んでいるというより、感情がないと言ったほうが正しいのでは。

 乙女ゲーム【救国の聖女】でも、ヴィンセントはこんな淡々とした男だっただろうか。寡黙でクール。ミステリアスなキャラだったはずだが、なんというかこれは——。


「では、ヴィンセント卿のご趣味は?」

「特に何も」

「何も、ということはないでしょう? 空いた時間にすることとか」

「空いた時間……鍛錬をします」


 真顔で返され、一瞬「そういうことじゃない」とツッコんでしまいそうになった。


「それは……趣味とは言えませんね。では休日は何をされていますか?」

「鍛錬をしています」

「……趣味と言ってもいいかもしれませんね」


 何だか目の前にいる人が、本当にロボットのように思えてきた。もしかして、何を考えているのかわからないのではなく、何も考えていないだけなのではないだろうか。


「では、好きなものは? 食べ物や、集めているもの、音楽など何でも構いません」

「甘い物は、よく食べます」


 今度はすぐにまともな答えが返ってきた。

 あら意外、と私は内心驚きながらヴィンセントの声に耳を傾ける。


「あとは……動物が好きです」

「動物? ああ、だからシロをじっと見ていたんですね」


 そういうことかと納得し、私はシロを呼び出した。

 黄昏の中現れたシロは、くあっとあくびをしながら着地する。


『おはよぉ~オリヴィア』

「もう夜だけど。いつも食べるか寝てるかなんだから。ますます太るわよ」

『寝る子は育つんだよぉ』


 どこで覚えてきたのか、そんなことを言うシロ。それ以上大きくなるつもりだろうか。

 そのままごろりと寝そべりかけたシロだが、自分をじっと見下ろしてくるヴィンセントの存在に気づき、びくりと体を震わせた。


「シロ?」


 慌てて私の後ろに隠れるシロ。

 顔を見ると、鼻にシワを寄せてヴィンセントを警戒しているようだった。いまにも唸り声を上げそうだ。


「どうしたのよ。ヴィンセント卿に失礼じゃない」

「構いません。昔から動物に嫌われているので」


 淡々と答えるヴィンセントに、私は首を傾げる。


「それなのに、動物が好きなのですか?」

「はい。眺めているだけで充分です」


 甘い物が好き。動物が好き。黙って護衛として立つ姿はぼんやりして見えなくもない。

 見た目に反して、実は子どものような人なのではないかと思えてきた。


「そうですか……。なんとなくわかる気がします」


 ついクスリと笑ってしまった私をじっと見たあと、ヴィンセントは不意に「お気をつけください」と言った。

 唐突すぎて、私はパチパチと瞬きを繰り返す。


「気をつける?」

「例えご自宅の中であってもです」

「何か気になることでも?」

「王妃の動きが怪しいと、王太子殿下がおっしゃっていました」


 ヴィンセントの言葉に、頭に王妃の毒々しい笑みが浮かび鳥肌が立った。

 あの恐ろしい人が再び動き始めたのか。ノアや私を消すために。


「実は……昔、屋敷の裏の森で、殺されそうになったことがあるんです。王妃側の手の者でした」


 ヴィンセントは屋敷を見上げ、片目を細めた。


「……森は、そのときのままですか」

「お父さまが見張りを増やしたり罠を設置したりと対策はしてくれています。それにシロがいるし、いまの侯爵邸は安全なので、あまり心配しないでください」


 王妃と通じていた継母も義妹ももういない。

 使用人は身元のはっきりしている者たちばかりだし、いまのところ脅威はないはずだ。そう信じたい。


「学園内でも、ひとりにならないよう気をつけますから」

「私がお守りします」


 無表情だが真っすぐに見つめられそんなことを言われると、一瞬ドキッとしてしまう。

 さすが攻略対象キャラ。しかも前世の私のもっとも好みのタイプだった男。色んな意味で油断できない。


「は、はい。ヴィンセント卿の実力は、信頼しております」


 なんとか笑顔を作ってそう答える。ヴィンセントはやはり感情のない顔でひとつうなずくと、頭を下げた。


「それではまた明日」

「ええ。お気をつけて」


 黒い愛馬に軽やかに跨ると、ヴィンセントは颯爽と夜の道を駆け、闇に溶けるようにして去っていった。去り行く後ろ姿までイケメンだった。

 蹄の音が遠ざかると、ようやくシロが警戒を解いて前に出てきた。


『あれ誰ぇ?』

「ヴィンセント卿よ。私の専属騎士になったの。どうしてそんな不快極まりない、みたいな顔してるの?」

『だってあいつ、嫌~な匂いがするんだよぅ』


 前脚で器用に鼻をふさぐシロに首を傾げる。

 私は匂いなんてまったく感じなかったのだが。神獣も犬のように嗅覚が優れているということだろうか。


 何か大事なことを忘れている気がするのだが、どうしても思い出せない。

 私はもう一度ヴィンセントの去っていった方向を見つめ、モヤモヤした気持ちを抱えながら屋敷の中に戻るのだった。


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