第48話 祝福と毒の婚約式
王宮にある聖堂に入場した瞬間、参列した王族や国の重鎮数十名の招待客の視線が、一斉にこちらに集中するのを感じた。
誰もがぽかんと口を開け、私の隣を歩くノアに目を奪われている。
「なんと美しい……」
誰かの呟きが聞こえ、なぜだか私が誇らしい気分になった。
(ふっふっふ。そうでしょう、そうでしょう。今日の彼は神話に出てくる、あらゆる生命を魅了した美少年イーライも霞むほどの美しさだもの)
軽く横に流れるようにセットされた黒髪は、メイドが張り切ったのかいつも以上に艶めき、肌は内側から発光するかのように輝いている。
詰襟の白いジャケットには金色の肩章と飾緒がつき、肩から腰に回るサッシュは青、マントの裏地は赤という鮮やかさ。凛々しく迫力のあるノアの美貌を見事に際立たせている。
ノアが控室にこの正装姿で現れたときは、私もあまりの美しさに息をするのを忘れてしまったほどだ。
「ふふ。皆さまノアさまの美しさに圧倒されていますね」
カーペットの上を歩きながら私がそう囁くと、なぜかノアに「本気で言ってるのか?」とあきれたように返されてしまった。
「君は相変わらずだな……」
「まあ。どういう意味ですか?」
「皆が圧倒されているのが私に対してなわけがないだろう? オリヴィア・ベル・アーヴァインのあまりの美しさに心を奪われているんだよ」
ノアにそう言われても、私はぴんとこずに内心首を傾げてしまった。
確かに今日までアンたちの手で念入りに磨かれてきたし、私もデトックスに力を入れてすっかり玉のような肌を手に入れはした。メイクも王宮の侍女にいちいち指示を出し、完璧に仕上げたと自信を持って言える。
(そうは言っても悪役令嬢だしねぇ)
伝統的な清楚なレースのドレスに、ノアとお揃いのローブを羽織っているのだが、醸し出る悪役感は否めない。私と比べ、ノアは正統派の正しき王子といった高潔さがある。
「ノアさまはご自分の魅力をおわかりでないのです」
「それはそっくりそのまま君に返そう」
小声で言い合っているうちに、祭壇で待つ司教の前にたどり着いた。
脇にはイグバーン王国国王と、王妃エレノアもいる。
司教と参列者の前で、私とノアは結婚の約束を誓い合った。婚約の指輪を贈り、神聖な宣誓書にサインをし、立会人として国王夫妻も署名をする。
「先の魔族襲来で侯爵夫人が亡くなったのは、本当に残念なことです」
私に聖花の冠を下賜する際、王妃はまるで聖母のような顔をしてそう言った。
「これからは、私のことを本当の母と思い頼ってちょうだいね」
駒だった継母を殺した張本人のくせに、と王妃を睨みつけたかった。
本当になんと恐ろしい人だろう。まるで自分は事情を知りません、というような完璧な演技。人を殺しておいて、とても普通の神経をしているとは思えない。
だが、恐れて負けるわけにはいかないのだ。
私も自分は何も知りません、という完璧な笑顔で応じた。
「勿体なきお言葉です、王妃陛下」
王妃の笑顔が一瞬ぴくりと引きつったように見えた。
負けない、という私の宣戦布告が正しく伝わったのだろう。
国王夫妻が下がり、司教が再び前に立った。
「創造と万能の神の御名において、誓約は為されました。若き太陽と月の未来に祝福あれ!」
司教がそう杖を高く振り上げた瞬間、突然聖堂に強い光が降り注いだ。
聖堂内にざわめきが広がる。
温かい光は私とノアを祝福するように照らすと、やがて宝石を砕いたような細かな輝きを残し消えていった。
「こんな奇跡が……っ」
「創造神デミウルが、おふたりの婚約をお祝いされたんだ!」
「王太子殿下万歳!」
「神子オリヴィアさま万歳!」
ノアも驚き、参列者たちが歓声を上げる中、私はただひとり「あのショタ神……」と苦々しく呟いた。
まったく、どういうつもりだろう。サービスのつもりか、それとも本当に心から私を祝福したかったのか。
どちらにせよ、そんなことをするくらいならもっといいスキルをくれと頼みたい。
「行こうか、オリヴィア。皆が外で待っている」
いちはやく我に返ったノアが、そう言って腕を差し出してくる。
私は苦笑しながら「はい」と彼の腕に手をかけた。
ノアのエスコートで聖堂から出ると、私たちを待っていたのは歓声と空を舞う花びらだった。
「婚約おめでとうございます!」
「おふたりともお美しい!」
聖堂に入れなかった騎士や貴族、王宮で働く者たちが大勢集まり、私たちを盛大に祝福してくれる。
群衆の中には王太子宮で世話になったメイドたち、私が囚われの身となったとき親切にしてくれた騎士の姿もあった。
「ここにいる者たちは皆、僕たちを祝福してくれている」
「ありがたいことですね……」
「彼らの期待に応えるためにも、卒業したらすぐに結婚をしよう。必ずだ、オリヴィア」
「それは——」
「この世の誰よりも幸せにしてみせよう。絶対に逃がさないから、覚悟しておいてくれ」
(い、言い方……)
さすが私の業火担。こんな日なのにセリフが過激だ。
少々背筋がぞわぞわと震えたが、これも彼の愛の深さだと自分に言い聞かせ笑ってみせた。
「もう逃げるつもりはありません。ノアさまを……愛しているので」
「……ああ。世界一愛おしい、僕のオリヴィア」
うっとりと呟くと、ノアは突然私を抱きしめ口づけた。その熱烈さに一瞬理性が飛びそうになったが、大勢の人たちの前であることを思い出し我に返る。
あちこちから「きゃあ!」「素敵!」というやけに嬉しそうな女性の声と、男性たちの「王太子殿下は婚約者さまに夢中だな」「お気持ちはよくわかる」という感心したような声が聞こえてくる。
すぐ傍にいる父や、聖女セレナを護衛するギルバートが不穏な空気を放ち始めるのがわかった。
恥ずかしい。出来ることならシロに乗ってどこかに飛んでいきたい。
ノアの熱い口づけを受けながら本気でそう思ったのに、私の足元にいたシロはくあっとあくびをしながら「卒業より先に子どもが生まれそうだねぇ」などと他人事のように言った。
本当にそうなってしまいそうなので、冗談でも言わないでほしい。しかもシロ用に親衛隊のケイトたちが作ってくれたデトックスケーキを頬張りながら。式の前にもデトックス料理をたらふく食べたていたくせに。
どいつもこいつも、と思いながらノアの胸を強く叩くと、ようやく開放しれくれた。
「もう、ノアさま! 何をするんですか!」
「すまない。だがオリヴィアが愛らしいのがいけない」
もっと僕のものだと見せつけておかないと、と笑うと、再びノアは私に口づけた。
もう抗う気も失せて、私は彼の背に腕を回し、愛がたっぷりと詰まった口づけに応えることにした。
◆
継母は魔族とともに消滅したが、黒幕とされている王妃はまだ生きている。
これからも私とノアが毒で狙われる日々は続くだろう。
毒殺される悪役令嬢と、暗殺されていたはずの王太子。物語から退場する予定だったはずの二人が生き延び、これからどんな人生を送るのかは恐らく神にもわからないはずだ。
私はもう逃げることも恐れることもしない。ノアとともに、細く長く穏やかに生きていきたいから。私を愛してくれるノアを、私もそれ以上に愛し大切にしていくと決めたから。
その為にも——。
給仕が持ってきたワイングラスで祝杯を挙げようとしたノア。私は彼の手からグラスを奪い取り、一気に飲み干す。
建国前から熟成していたのかというくらい芳醇な香り、そして豊な甘さが口の中に広がると同時に、私の頭にだけ経験値の入る電子音が響いた。
「ノアさま、もっともっとデトックスをがんばりましょうね!」
第一章・完
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