第49話 【番外編】執事長は今日も見て見ぬふりをする


 イグバーン王国の中でも指折りの名家、アーヴァイン侯爵家。

 その侯爵家に先代から仕えている執事長レイモンドには、最近悩みの種があった。

 もちろん優秀な執事である彼は、悩みがあることなどおくびにも出さない。常に冷静、常に品よく、しかし目立たず行動することを心がけている。


 そんな滅多なことでは動揺しない執事長の悩みの種は、ひとりの少女だった。

 オリヴィア・ベル・アーヴァイン。

 侯爵家の嫡女であり、皇太子殿下の婚約者。更には神獣を従える創造神デミウルの神子という、とんでもない肩書を持った令嬢である。


 月の輝きを浴びたような銀の髪に、透きとおった水色の瞳を持つオリヴィア嬢。

 亡き前侯爵夫人と瓜二つの、神話に出てきそうな美しい容姿をしている彼女は、幼い頃から王都で有名であった。

 以前は病弱で寝込むことが多く、屋敷の離れからほとんど出ることがなかった。そのため社交の場にも当然参加することもなく、深窓の令嬢扱い。前侯爵夫人がイグバーンの宝石と謳われた美女であったことから、アーヴァイン侯爵家には小さな宝石が眠っているという噂が立った。


 噂に違わず、オリヴィア嬢は確かに宝石のごとき美貌を持つ、侯爵家の宝であるのは間違いない。

 間違いないのだが……最近はなんというか、色々と規格外過ぎて、深窓の云々というのは少し違うような気がしている執事長である。



「執事長にご報告いたします。本日お嬢様は早朝から神獣シロさまのダイエットということで、シロさまにリードをつけ軽く侯爵邸の敷地内を走られました」

「神獣さまにリードを……」

「一応お止めしたのですが、シロさまの健康のためだとおっしゃるもので」

「なるほど。健康のためならまあ……致し方あるまい」



 侯爵邸でレイモンドに与えられた一室。

 そこでオリヴィア嬢の専属執事であり、自身の孫でもあるフレッドの報告を聞いていた執事長は、思わず眉間を揉み唸った。

 フレッドのほうは慣れた様子で、オリヴィア嬢の行動履歴を記載した書類を読み上げていく。



「シロさまがぐったりされ動かなくなったところで、今度は特注の男性服に着替えられ、緑の間のバルコニーにてヨーガをなさりました」

「未来の王太子妃が男装してバルコニーに……」

「あまり人目につくのはまずいと、一応またお止めしたのですが、自然を感じるのが効果的なのだとおっしゃるもので」

「そうか。効果的ならばまあ……致し方あるまい」

「相変わらずの禍々しい動きに、アンが二十七体目のデミウル像を飾っておりました。そろそろデミウル像の飾る場所がなくなってきたので、棚を増やすか何かしなければなりません。早急に対応しないと、オリヴィアさまがデミウル像を暖炉に放りこみかねません」

「ううむ。デミウル像を燃やされる前に職人を呼ぶのも……致し方あるまい」



 病弱で離れに引きこもっていた頃からは想像もできないような奇行の数々。オリヴィア嬢がこうなったのは、いつからだったか。無口で気弱、継母や義妹に従順で、常に人の顔色をうかがっているような少女だった。それがあるときから人が変わったように溌剌となり、堂々と継母たちに意見できる立派なレディになったのだ。

 三年ほど領地で静養し、王都に戻ってきてからは更にすごかった。元々見目好い少女ではあったが、健康な体を手に入れたオリヴィア嬢はその美に磨きをかけていた。

 前侯爵夫人に瓜二つの姿を目にしたとき、執事長はオリヴィア嬢が近いうちに眠れる宝石ではなく、イグバーンの宝石と謳われるようになることを確信した。

 まあ、磨きをかけてきたのは美しさだけではなく、その変人っぷりにもだったのだが。


 イグバーンの宝石と謳われるよりも先に、侯爵令嬢は大層な変わり者だという噂が立ちそうで頭が痛い。

 王太子妃や神子という立場からある程度のことは目を瞑ってもらえそうではあるが、その立場ゆえに誰にも諫めてもらうことができなければ、オリヴィア嬢は不名誉な形で歴史に名を残すことになるのではないか。

 そうは思いつつも、これまで侯爵の後妻であったイザベラにオリヴィア嬢が苦しめられていたことを考えると、何も言えなくなってしまう。侯爵家の執事長として、嫡女であるオリヴィア嬢を守れなかった負い目が、執事長の理知を鈍らせていた。

 主人であるアーヴァイン侯爵からも「オリヴィアが不自由なく屋敷で暮らせるよう、使用人全員が最大限心を配るように。王宮より家がいい、とオリヴィアに思わせることを最終目標とせよ」と強く言われたのも大きい。

 氷の侯爵と畏怖された当主が、いまでは立派な親バカとは。喜ばしい気持ちもあるにはあるが、正直複雑な心境ではある。



「それから、お嬢様がこちらの商品をご所望です」



 そう言ってフレッドが執事長に見せたのは、ずらりと品名が記載されたリスト。

 そこには『毒の歴史』『薬と毒』『毒草図鑑』と毒に関する書物の名前だけでなく『ベロスの種』『ランカデスの角』など毒物そのものの名前まで書かれている。

 リストの最後にはオリヴィア嬢の字で『他にも入手可能な毒を一通り』などという狂気の一文が加えられていた。



「お嬢様は誰か抹殺する予定でもおありなのか。それならばわざわざお嬢様が毒を手に入れる必要はないとお伝えしなさい。標的の名前を教えていただければ、こちらで処分すると」

「じーさん、いま自分が何を口走ってるかわかってるか?」

「フレッド。職場では執事長と呼ぶように。それになんだその口のきき方は」

「はあ……。執事長。お嬢さまは別に誰かを毒殺しようとされているわけではないと思われます。恐らく解毒薬を作られるつもりなのでしょう。ご本人も“生き延びる為にはどうしても毒が必要なのよ!”とおっしゃっていましたからね」

「む。解毒薬か。それならば致し方あるま——いや。待て。毒のあれこれについては一旦保留とする。直接私がお嬢さまにご確認しよう」



 先日、聖女毒殺未遂の疑いをかけられたばかりだ。良からぬ噂が立ってはまずい。

 さっそくフレッドとともに緑の間に向かうと、中から悲鳴が聞こえてきたので、執事長はノックを省略し扉を勢いよく開いた。



「オリヴィアお嬢様……!」



 白昼堂々、大切な侯爵家の宝を狙った不届き者が現れたか。

 本気でそんな心配をした執事長の目に映ったのは——。



「あの鳥、前に読んだ図鑑に載ってたわ! 卵の殻に毒があるの! さらにフンは解毒薬に使われるって! ほら、シロもっと速く飛んでよ!」

『ムリだよう~僕もうお腹ぺこぺこ~』

「お嬢さま! あの鳥の羽、高級品ですよ! 帽子の羽飾りにするのが王都で流行ってるんです! 高く売れますから、羽は傷つけちゃだめですー!」



 この世に二体といない神獣にまたがり、鳥を追いかけ空を飛んでいる男装の神子と、ヘロヘロになりながらも神子に尻を叩かれ必死に鳥を追いかける神獣。そして鳥を売る算段を立て目を金貨のように輝かせているメイドと、彼らを止めようとしながらもハラハラと見守る使用人たちがそこにいた。

 フレッドが後ろで「ああ、また……」とあきれたようにため息をつくのが聞こえる。またなのか、この騒ぎが。いったい領地の離島では三年間どんな生活をしてきたのだろう。


 人目はあるし、何より危険だ。早急にお止めしなければ。

 そう思い早足でバルコニーに出た執事長だったが、



「あ! 執事長!」



 オリヴィア嬢がこちらに気づき笑顔を見せたので、言いかけた「お止めください」が引っこんだ。止めるのを躊躇うほど、眩い笑顔だったのだ。



「珍しい鳥がいたの! 絶対捕まえてみせるわ!」

「……それはようございました。お怪我をしませんよう、どうぞお気をつけくださいませ」

「ええ、もちろん! あ、それと……お父さまとノアさまには内緒ね?」



 お願い、と両手を合わせるオリヴィア嬢は、魔族を打ち払い王宮を守った神子ではなく、年相応の無邪気な少女だった。

 執事長はそんなオリヴィア嬢の姿に肩から力を抜き、自然と微笑んでいた。

 まいった。これは敵わない。



「フレッド」

「はい、執事長」

「お嬢様のご所望の品はすべて買い付けて差し上げなさい。名目は解毒薬の研究のため、とするように」

「よろしいのですか? 結局、お嬢様にはみんな甘くなるんですねぇ」

「まあ……致し方あるまい」



 見上げた先で、オリヴィアが布袋を振り回し、鳥を捕まえていた。

 歓声が上がる。専属メイドが「さすがお金の泉の女神さまー!」と叫んでいる。これがアーヴァイン侯爵家の日常風景。



「私は仕事に戻る。あとは頼んだぞ、フレッド」

「畏まりました、執事長」



 慇懃に礼をする孫に肩を竦め、執事長はバルコニーをあとにする。


 オリヴィアが笑顔で過ごせることが何より大事。他はすべて些末なことだ。

 その為に、執事長は今日も見て見ぬふりをするのであった。






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