第40話 魔族の毒


 第二王子ギルバートに続き、またも想像していなかった人物の来訪に、私は動揺を隠せなかった。


「なぜ、あなたがここに……」


 不快そうに顔を歪め現れたのは、継母イライザだった。

 牢の中を無遠慮に見回しながら、ズカズカ上がりこんでくる。


「牢というからもっとひどい場所を想像していたのに、随分と住み心地が良さそうなところじゃない。さすが王太子の婚約者は扱いがちがうわね」


 一生ここにいたほうが幸せなんじゃない? と嘲るように笑った継母。

 いつも通りの感じの悪さだが、今日はなぜか凄味のようなものを感じた。背中を嫌な汗が流れていく。


「何をしに来たのですか」


 私が警戒しながら訪ねると、継母は冷え切った目を向け腕を組んだ。


「可愛い義理の娘のために、いい話を持ってきてやったのよ」

「いい話……?」

「ここから出たい? オリヴィア」


 何を言い出すのかと、訝しげに継母を見る。

 まさか私をここから出すつもりなのだろうか。王妃の手先として私をここにぶち込んだのは、十中八九継母だ。ジャネットを使い聖女に毒を盛り、私を犯人に仕立て上げたのだろう。一度目の人生でそうしたように。

 せっかく私を牢に入れたのに、わざわざまた出すことに何の意味があるのか。


「私の言うことを聞くのなら、ここからお前を出してあげるわ」

「……私に何をしろと?」


 きっとろくでもないことに違いない。それだけはわかる。

 継母はにやりと笑い、声をひそめて言った。


「王太子を殺すのよ」


 ざわりと肌が粟立つ。 


「王太子は警戒が強くて隙がないらしいのよ。これまで何度も暗殺に失敗しているそうだしね」


 やはりシナリオを本来の形に修正しようと、物語は動いているのだろう。

 ノアは原作ゲームではシルエットすら登場しない、テキストで名前だけが出てくる悲劇の王子だ。本当なら三年前に毒殺されていたところを、私が救った。その結果明らかにストーリーには変化が生じている。

 毒殺を回避したあともノアは命の危機に晒され続けていた。まるで、ノアの生存を許せない何者かが存在しているかのように。


(この世界の基盤である物語の、強制力ってやつなのかしらね)


 だとすると、自分とノアが死ぬまで強制力は働き続けるのだろうか。

 次にデミウルに会ったとき、確認する(殴る)ことが増えたようだ。


「でも婚約者であるお前には隙のひとつくらい見せるでしょう?」

「婚約者である私に、暗殺の手伝いをしろと?」

「どうせすでに聖女毒殺未遂の罪を負ってるんだから、もうひとつ罪が増えたところでたいした違いはないじゃない」


(そんなわけないだろ。全然ちがうわ)


 心の中でツッコミを入れながら、継母の背後にある扉をちらりと見る。

 長時間の面会は許されていない。そろそろ兵が面会の終わりを告げに来るだろう。


「お断りします」


 一度目を閉じてから、ゆっくりとまぶたを持ち上げ継母を正面から見つめ言った。


「……何ですって?」

「お断りする、と言ったのです。殿下を暗殺など、そのような恐ろしいことができるはずありません」

「だとしたら、ここから永遠に出られないか、処刑されるかしかないのよ。わかっていて言ってるの?」

「ええ、もちろん。私が言う通りにしたとしても、どうせ殺すつもりでしょう?」


 よくわかっています、と私が答えると、継母は怒りで顔を歪ませた。

 持っていた扇子をバキリと折り、床に投げ捨てる。


「もう一度だけ聞くわ。よく考えて答えなさい。……王太子を、お前の手で殺すのよ」

「嫌です。絶対に」


 きっぱりと言いながら逆行前を思い出し、きっとこのあと食事に毒を盛られるのだろうなと考えた。

 だがあまりにも流れが変わりすぎている。聖女毒殺未遂事件は、一度目の人生でもゲームでも、もっといろいろなイベントの後に起こるものだった。私がまったく別の行動をとってきたことで、大きく進行が変わったのだろうか。


 例え毒を盛られなかったとしても、悪ければ死刑が待っている。毒殺も嫌だったが、ギロチンも嫌だ。苦しい思いも痛い思いもしたくない。


(大丈夫。ノアさまとお父さまが、きっと助けてくれる)


 だから毅然とした態度を貫こう。改めてそう決意した私の目の前で、継母がぶるぶると震え始めた。


「どうしてお前は言うことをきかないの……」

「お継母さま?」

「お前はわかってない……あの方に逆らうのがどういうことか、わかってないのよ……」


 継母の様子がおかしいと思ったとき、彼女の背中からじわじわと何かが漏れ出していることに気が付いた。

 黒い霧のようなそれは、ぞわぞわと虫のようにうごめきながら集まっていく。


「逆らうことは許されない……命令通りにしなければ死ぬの。お前も……私も!」


 そう叫び私を睨みつけた継母の目は血走っていた。いや、ちがう。瞳が本当に真っ赤に染まっているのだ。

 ハッとして継母の背後を見ると、黒い霧が人に近い形を作っていた。太く禍々しい角、大きな翼。


(そして血のような真っ赤な瞳は、魔族……!)


 驚いて飛びのき、継母から距離をとる。

 だが牢の中はそれほど広くはないし、逃げ道もない。想像もしていなかった危機に、頭が真っ白になった。


(どうしてこんなところに魔族が? しかも継母に憑りついてるなんて)


 魔族は魔物とはちがい、理性——というより、知恵と人格のある存在だ。

 精霊のように稀に人間に力を貸すことがある。その為に契約をし、代償を必要とするのも精霊と同じだが、ちがうのはその代償の内容だ。

 精霊は契約対象者の魔力を代償とするが、魔族は生命力、つまり命を代償とする。上位魔族であれば対象は契約者本人に限らず、無関係の者の命も要求するらしい。

 前世でプレイした乙女ゲーム【救国の聖女】では、主人公セレナたちが戦う敵でもあった。


(その魔族がなぜ継母に——って、まさか王妃!?)


 そうだ、私は未プレイだが、物語の真のラスボスは王妃という設定なのだ。

 つまり王妃が魔族を操っている可能性がある。だから自分の駒である継母に魔族を憑りつかせられた。


「オリヴィア……私たちに協力しなさい!」


 継母は明らかに普通の状態ではなくなっていた。魔族に体か意識を乗っ取られているのか、その顔は人のものとは思えないほど醜悪に歪んでいる。


「い、嫌です!」

「そう……なら、ここで死ね!」


 魔族が継母の体を包みこみ、真っ黒で巨大な爪をこちらに向けてきた。

 同時に頭の中に激しい電子音が響く。それはこれまでとはまるで違う、あきらかに危険を予期させるような警告音だった。



【魔族の爪(毒):黒蟲霧(毒Lv.3)】



 警告ウィンドウの内容を理解するよりも先に、黒い爪が私に襲い掛かってきた。


(ノアさま——)


 最後に感じたのは、全身が凍り付くような痛いほどの冷たさだった。





 侯爵と合流するため王宮の回廊を進んでいたノアとシロを、背後から呼び止める騎士がいた。

 息を切らし駆けてきたのは、オリヴィアにつけていた騎士のひとりだ。


「申し訳ありません、殿下……!」


 追い付くなり、その騎士は床に崩れ落ちるようにして平伏した。

 尋常ではない様子に嫌な予感がし、ノアは騎士の肩を掴む。


「何があった?」

「オリヴィア侯爵令嬢が——」


 騎士は声を震わせこう言った。

 亡くなられました、と。


 絶望の色に染まった騎士の顔に、ノアはよろめく。


(オリヴィア——!)

 

 古塔のある北の空を見上げた次の瞬間には、騎士の制止の声も聞かず駆け出していた。



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