第39話 招かれざる客
王太子宮に戻ったノアは、すぐにお付き侍女のマーシャを下がらせると、目の前のテーブルに両拳を叩きつけた。
昂ぶる感情を押さえられない。これほどの憤りを感じることがいままであっただろうか。
衛兵に連行されるオリヴィアの、絶望したような表情が頭から離れない。王太子としても婚約者としても何もできなかった、無力な自分が憎くて仕方ない。
学園で毒入りの紅茶を飲み倒れた聖女は、すぐさま王宮に運ばれ無事だった。
紅茶を飲みはしたが少量で、王宮医が適切に処置しすぐに回復した。意識もはっきりしており会話も可能だ。
聖女と同席していた生徒から、聖女が飲んだのはオリヴィアから贈られた紅茶だと語られたために、その場にいもしなかったオリヴィアが拘束されてしまった。
国を救うとされている聖女を守るための措置だとしても、あまりに性急すぎる。侯爵令嬢という身分を考えると、拘束前にオリヴィア自身にも聞き取りを行うのが当然のはずだが、ノアがそれを訴えても衛兵は聞く耳を持たなかった。
つまり、ノアよりも上の立場の人間が指示を出していると推察できる。
黒幕はわかりきっていた。王妃エレノア以外にいない。
「父上に助力を願おう。そのためにも聖女の証言は必須だが、動かすのは王宮医に止められた……」
しかし聖女の完全回復を悠長に待つわけにもいかない。いまこのときも、オリヴィアは投獄され恐ろしい思いをしているのだ。
一刻も早く助け出さなければ、とノアが父王に会う意思を固めたとき、突然部屋の中央に光の粒子が集まり始めた。
「お前は、オリヴィアの……」
現れたのは、白く輝く獣だった。
オリヴィアの契約している精霊だ。彼女が呼んでいた名前はたしか、シロだったか。水の精霊フェンリルだというが、それにしては大型で、毛並みも真っ白という変わった個体だ。
「なぜお前がここに?」
『オリヴィアから伝言があって来たの』
「伝言……? なぜお前が牢にいるオリヴィアから言伝を預かれるんだ? 彼女がいる古塔は、精霊召喚を封じる魔法陣が敷かれているはずだぞ」
振る舞いも精霊らしくないと度々感じていたが、まさか主が牢に入れられているときに現れるとは。
シロはキョトンとした顔で首を傾げた。
『だって僕、精霊じゃないもん』
「精霊じゃ、ない……? だったらお前は何なんだ?」
『僕はねぇ、創造神デミウルの遣いの神獣なの。オリヴィアのことをちょ~っと助けるために造られたんだぁ』
ノアは自分の思考が停止する感覚を、生まれてはじめて味わった。
創造神デミウルの遣い? 神獣?
そんな存在、見たことも聞いたこともない。だが、目の前の白狼が精霊ではないということだけは大いに納得できた。こんな人間くさい精霊がいるはずなかったのだ。
では、仮にシロの話が本当だとして、神の遣いである神獣を従えるオリヴィアはいったいどういう存在なのだ?
もしかすると、聖女よりもっと尊い存在なのでは——。
『オリヴィアがね、私は無事だから落ち着いてーって』
シロの声に、ハッと我に返る。
そうだ、いまはオリヴィアを救うのが優先だ。
「オリヴィアは無事なのか。怪我はしていないんだな? 泣いてはいなかったか?」
『泣いてはなかったけど、不安そうだったかなぁ。あとは、えーと、何だっけ? あ、そうだ。ノアに油断しないでって言ってた。毒で狙われるかもしれないからーって』
「こんなときに僕の心配をするのか……」
オリヴィアのいじらしさと献身に、切なさと愛おしさが胸に溢れる。
(それに比べて僕は——)
ノアは己の不甲斐なさを強く恥じた。
『ねぇねぇ、オリヴィアのこと早く助けてあげて? じゃないと、デトックス料理が食べられないんだよぅ』
精霊の言葉に、ノアはキッと顔を上げる。星空の瞳は決意に満ち、強く輝いていた。
「彼女を早く助けたいなら、協力してくれるな?」
ノアの確認に創造神の遣いは「うーん。ちょっとだけなら」と渋々といった風に答えたのだった。
◆
なぜこの人がここに、と私は複雑な気持ちで目の前にいる男を見た。
ダークブロンドに若葉色の瞳。第二王子ギルバートは突然この古塔の牢に現れた。
「このような所に、一体何用で……」
「お前は嵌められたんだ、オリヴィア」
真剣な顔でそう言い切ったギルバート。
一度目の人生では婚約者だった彼を、訝しく思い距離をとる。
「どういう意味です?」
「そのままの意味だ。お前は無実だろう。だが罪人にさせられた」
「まるでそうなるように仕向けた犯人を、ご存知かのように話すのですね」
ありえないだろうと思いながら言う。
なぜなら犯人は十中八九、ギルバートの実母である王妃なのだから。
だがギルバートは私の予想に反し「知っているさ」と、痛みを耐えるように顔を歪め呟いた。
「犯人の本当の狙いはお前じゃない」
「……本当に、ご存知なのですか」
母親の所業を知っていると、そう言うのか。
私は信じられない気持ちでギルバートを見つめた。一度目の人生で私が連行されるとき、彼が向けてきたのは蔑む眼差しだ。だがいま彼が私に向けてくるのは悲しみと心苦しさで揺らいだ瞳であり、一度目とはまったくちがう。
「だとしても、なぜギルバート殿下がここにいらっしゃったのかわかりません」
「決まっている。無実のお前を助けるためだ」
「私を助ける……? 母君に逆らうおつもりで?」
「そうだ。俺に母上を止めることはできなかった。あの人は、心の底から兄上を憎んでいる。兄上を陥れるために、何の罪もないお前を利用するくらいには」
(王妃がノアを憎んでいる? 邪魔に思っているだけじゃなく?)
欲にまみれた王妃は、実の息子を王位につけ権力を握りたいだけなのだと思っていた。確か前世でプレイした乙女ゲーム【救国の聖女】では、そういう設定だったはずだ。
それとは別に個人的恨みがあるのだとしたら——前王妃の毒殺も関係があるのだろうか。
「だが、お前だけは助けてやりたい」
ギルバートの言葉に、俯きかけていた顔を上げる。
「俺の妃になれ、オリヴィア」
「は……?」
「兄上との婚約を破棄し、俺の妃になればここから救い出してやれる」
まじまじと、ギルバートの顔を見た。冗談を言っている様子ではない。
本気なのか、と意外な思いでかつての婚約者を見つめる。正直複雑な気分だ。一度目の人生では、私を婚約者として認めていないような扱いをしていた男がいま、自分の妃になれと言っているのだから。
「……ありがとうございます、ギルバート殿下」
「オリヴィア、では」
「お気持ちだけ、受け取らせていただきます」
「……なぜだ、オリヴィア。このままでは処刑されてしまうかもしれないんだぞ」
苦しげに眉根を寄せるギルバートに、私は笑った。
「あなたの母君は、私が婚約者になることを絶対にお許しにはならないでしょう」
「それは——」
「ギルバート殿下がそこまでなさる必要はありません。私のことよりも、本物の聖女であるセレナさまを気にして差し上げてください。この国に必要な、大切な聖女さまですから」
ここまで言っても、ギルバートは納得できない顔で「だが、」と食い下がろうとした。
私はそれを首を振ることで止める。
「それに、私はノアさまの婚約者でいたいのです」
「オリヴィア……」
「ギルバート殿下のお心遣いを無下にする形となってしまい、申し訳ございません」
深々と頭を下げる。
しばらくギルバートの反応はなかったが、やがて「そうか」と力なく呟く声が降ってきた。
そっとうかがうと、傷ついた顔のギルバートが私を見下ろしていた。
「お前の気持ちはわかった。……邪魔をしたな」
悲しげな微笑みを残し、ギルバートは牢から去っていった。
なぜ彼があんな表情をするのか、私を助けようなどと思ったのか、理解できない。
奇妙な罪悪感に襲われていると、突然宙に光の粒子が集まり始めた。
「シロ!」
『オリヴィア~! 僕ちゃんとお仕事してるよ!』
現れたシロは、ノアからの手紙を預かってきていた。
シロの首にかけられていた筒状の手紙を開くと、そこにはノアの筆跡で『必ず助ける』と書いてあった。父・アーヴァイン侯爵と連絡をとり、救出を急ぐ、と。
「牢の中でデトックスは控えるように——だって。ノアさまってば、私のことを何だと思ってるのかしら」
『デトックス教の狂信者?』
「……本当に思ってそうで嫌だわ」
シロと顔を見合わせ笑った。
きっと大丈夫。すぐに出られる。ノアの手紙でそう思えた私だったが——。
次の日の夕刻。扉の向こうに人の立つ気配がし、新たな客人の来訪を告げる不吉な兵士の声が響いたのだった。
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