第34話 毒と温泉、のち指輪


 朝食に毒が盛られていた。

 いまはフレッドやアンたちメイドが目を光らせているのに、一体どうやったのか。私は半ば感心しながら、敢えて毒入り朝食を食べた。


 領地の離島に引きこもっていた三年間、毒スキルのレベルアップを目論んでいたのだが、実はまったくといっていいほど進んでいなかったりする。

 そもそも離島なので調達が難しい。持ち込まれるものはすべてフレッドが目を通しているので、ちょっと毒を頼みたいんだけど……などと業者に交渉することはまずできなかった。解毒剤の研究のために、と拝み倒してわずかに手に入れられたくらいで、離島に自生する毒物もほぼなかったのである。


 今後不測の事態が起きても慌てずに済むよう、チャンスがあればどんどん毒を摂取してレベルを上げていきたい。離れの裏の森にもまた探しに行きたいが、あそこで刺客に襲われた過去があるので許してはもらえないだろう。


(だからって、食事に毒を盛られてラッキーと感じるのもどうかと思うけど)


 経験値の入る音を聞きながら食事を終える。

 毒スキルのおかげでやはり普通の食事より上質な味わいがあったが、いまはそれを堪能できる気分ではなかった。


「フレッド。今日は休むと学園に連絡を入れてくれる?」


 専属執事のフレッドを呼び指示を出すと、気遣わしげな目を向けられる。


「オリヴィアお嬢様、お身体の調子が優れないのですか? まさか、食事に何か——」

「少し目眩がするだけだから心配しないで。……そうだ、一応王太子宮にも学園を休むとお知らせしておいて」


 ノアが迎えに来る前に。

 そう言おうとした自分に苦笑する。ノアはもう、私を迎えには来ないかもしれないのに、と。


 フレッドを見送ると、私はベッドにパタリと倒れこんだ。昨日に引き続き、今日も何もやる気になれない。学校もサボってしまった。

 だがこれで継母は、私が毒入りの食事をとったと思うことだろう。ちょうど良かったな、とため息をつき目をつむる。


 美味しい(毒入り)食事、柔らかなベッド、明るく温かい部屋。幸せの中にいるはずなのに、なぜかいまはすべてが色褪せ、味気なく感じた。




『——ビア。オリヴィア!』



 揺れを感じて目が覚めた。

 シロがベッドに前足を乗せて私を見ている。どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。


「どうしたの、シロ……」

『やっと起きたぁ。あのねあのね! いいもの見せてあげる!』

「いいものって? 美味しいデトックス食材でも見つけたの?」


 寝起きでぼんやりしながら言うと「早く、早く」とドレスをぐいぐい引っ張られ部屋を出た。

 本邸を出て、向かったのは三年前私が生活していた離れだ。


「離れにいいものがあるの? でも中はお義母さまにめちゃくちゃにされたままだけど」

『いいから入ってみてよぅ』


 ついて来ていたアンを含めたメイドたちと、顔を見合わせる。

 シロが鼻先でぐいぐい押してくるので離れに入ると、そこには何やら達成感で満ちたような笑顔のフレッドと、想像もしていなかった光景が広がっていた。


「な、何これ……大浴場?」


 離れの一階が、ほぼまるまるバスルームにその姿を変えていたのだ。

 何十人入るんだという広い石造りの浴槽。すぐそばにはマッサージベッド、入浴後ゆったりと休めそうな大きなソファー。大きな鏡の洗面台、パウダールーム。なんと奥にはスチームルームまであった。


「フレッドがここを……?」

「私はシロさまに頼まれ、備品を用意しただけです。設備はシロさまが魔法ですべて造られました」


 フレッドの言葉に、シロがドヤァと誇らしげに胸を張る。


「こんなにすごいバスルーム、見たことがありません!」

「いつの間に……精霊さまはこんなことまで出来るのですか?」


 信じられない、とアンたちがシロに尊敬のまなざしを送っている。

 この世界の風呂は、小さな浴槽に使用人が湯を運び入れるのが一般的だ。だが目の前の広い浴槽には、壁につけられたライオン——ではなく、狼の彫刻の口からお湯が注がれ続けている。


「これってもしかして……」

『あのねぇ、地下から温水を引いてきたんだぁ。オンセンっていうんでしょ? オリヴィアは前世でオンセンが好きだったって創造神様から聞いたの』

「デミウルから、どうしてまたそんな——」


 もしかして、落ちこんでいる私をなぐさめようとしてくれたのだろうか。

 なんだかたまらない気持ちになって、ギュッとシロに抱き着いた。柔らかい毛並みに頬ずりすると、ふわふわの尻尾が左右に揺れる。


「ありがと、シロ」

『オリヴィアうれしい?』

「うん」

『オンセン入ったら元気出る?』

「うん」


 温泉に入ると血行が良くなりデトックスが促進される。リラックス効果も高く美容にもいいので、この温泉に毎日好きに入れると思うと心が躍った。


 いつもはデトックス料理をちらつかせてお願いしないと、面倒がって力を貸してくれないのにこんなサプライズをしてくれるなんて。

 と、感動しながら温泉を堪能したのだが、あとでしっかり(ちゃっかり)デトックス料理を催促された。


 久しぶりの温泉は最高に気持ちよく、新たなデトックス手段を手に入れられたことに、落ちていた気分もようやく上を向いたのだった。



 温泉に浸かりながら考えたのは、乙女ゲームの主人公であるセレナと結ばれる相手のことだ。

 一度目の人生では私の婚約者、ギルバート王子だった。だが二度目も同じ相手とは限らないのではないだろうか。もしかしたら、ゲームでは攻略対象ではなかったノアになる可能性もあるかもしれない。

 私というイレギュラーが存在してしまっている以上、どんな変化があっても不思議ではなかった。


 温泉から上がったあともノアのことをぼんやり考えながら過ごしていると、午後になってノアの来訪が告げられた。

 もう学園が終わる時間になっていたのか、と驚きながら慌てて迎える準備をする。そして部屋にノアを招き入れると、ふたりきりになった途端ノアは「すまなかった」と勢いよく頭を下げた。


「オリヴィアはずっと聖女ではないと否定していたのに、絶対に君は他の人間とはちがうものを持っているから、聖女にちがいないと決めつけていた」


 後悔でいっぱいの顔をするノアに、私は首を横に振った。

 ノアの考えはあながち外れてはいない。私は確かに普通の人とはちがう。何せ二度目の人生を歩んでいる際中で、しかも前世の記憶を持っている。創造神の加護(憐み)や神獣まで与えられた、ある意味聖女以上に特殊な人間だ。

 ノアが勘ちがいするのも無理はなかった。隠していた私も悪い。


「私がもっと強く否定するべきでした。……学園はきっと、大騒ぎでしょうね」

「オリヴィア……」


 本物の聖女が現れたことで、私は偽の聖女となった。噂の渦中にいるだろうことは想像できる。学園だけではなく、王宮でもその話題で持ち切りだろう。


「ノアさま。私を婚約者候補から外してください」

「何を言うんだ、オリヴィア」

「私が婚約者では、ノアさまの威厳に傷がつきます。婚約の儀を済ませていなかったのは幸運でした。まだ正式な婚約者ではありませんから、関係の解消は容易いでしょう」


 ノアは怒りをこらえるように、青い星空の瞳を揺らした。


「本気で言っているのか……?」

「本気です。……もちろん、これからも活性炭は献上しますし、殿下が毒で倒れられたときに私ができることがあれば、すぐに駆け付けます」


 婚約者ではなく、友人として繋がっていることくらいは許されるだろう。

 ノアには毒で死んでほしくない。私が生き延びるためにではなく、単純にノアが好きだから、生きてほしかった。


 ノアはじっと私を見つめていたが、やがて深くため息をつくと、胸元からペンダントを引き出した。

 ペンダントトップになっていた指輪を外し、なぜか私の前に跪く。そして私の左手をとり、薬指に指輪をはめてきたので驚いた。


「ノアさま、これは……」


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