第33話 悪役令嬢の胸の内


 学園からの帰り道。

 私は馬車の窓からぼんやりと外を眺めながら、ため息をついた。


『オリヴィア。うちの馬車で送る。一緒に帰ろう』


 ノアのその申し出を丁重にお断りしたのは、ひとりになって考えたいことがあったからだ。


 乙女ゲーム【救国の聖女】の主人公・セレナが、聖女にしか召喚できない伝説の精霊・パナケイアと契約した。

 召喚時の姿は、ゲームで見たヒロインスチルとまったく同じ。セレナとパナケイアの美しさに、ノアも含めその場にいた誰もが見惚れていた。

 契約の儀が終了すると、戸惑いと興奮を隠せない様子のセレナに拍手と喝采が送られた。そしてしばらくすると私への遠慮がちな視線が増え始めた。

 仕方ないことだと思う。私が『王太子を救った聖女』だという話が社交界では噂になっていたのだから。


 騒ぎを聞きつけた教師陣が集まってきて、これ以上はまともな授業にはなりそうになかったので、私は誰とも会話をしないよう足早に学園を後にすることにした。

 正気に戻ったらしいノアが追いかけてきて、何か色々フォローするようなことを言っていた気がするが、よく覚えていない。私も動揺していたのだ。


「覚悟してたはずなのにな……」


 ぽつりと呟くと、何もなかった空間に光の粒が集まり、シロが現れた。

 私の膝に顎を乗せて「オリヴィア、大丈夫?」とつぶらな瞳で見上げてくる。


「大丈夫よ。わかっていたことだもの。どうしたってこの世界は、主人公のためにあるんだから」


 所詮私は、悪役令嬢なのだ。今日改めてそれを思い知らされた。

 シロの柔らかな毛並みに癒されようと、ギュッと抱きしめモフモフする。おかげで少し気持ちが落ち着いたけれど、ズキズキとした胸の痛みは一向に消えることはなかった。



 侯爵邸に着くと、先に帰っていたらしいジャネットが、エントランスで継母イザベラと立ち話をしているところだった。

 案の定、私を見てジャネットがにんまりと笑う。これから言われるだろうことは、その表情からわかりきっていた。


「あーら。今日は王太子殿下に送っていただけなかったの? そりゃそうよねぇ。だって本物の聖女が現れたんだもの」


 嫌味ったらしくジャネットが言うと、継母が疑わし気に問いかけた。


「ジャネット。その子爵令嬢が聖女だというのは間違いないの?」

「そうよ、お母さま。伝説の、癒しの女神と契約したんだもの。癒しの女神は聖女だけが召喚できるんだから、間違いないわ!」


 まるで自分が癒しの女神を召喚したかのような口ぶりだ。

 私が聖女ではないからといって、自分が代わりに聖女になれるわけではないのにこの喜びよう。ジャネットはそれくらい私のことが目障りらしい。


「ということは、オリヴィアは聖女ではなかった……」


 ジャネットとはちがい、喜ぶ様子はなく何やら思案げな継母だが、その娘は構わず「その通りよ!」と高笑いする。


「聖女の契約相手がただの精霊フェンリルなわけなかったのよ!」


 ジャネットのその言葉に、それまで黙って私の足元に寄り添ってくれていたシロが牙を剥いた。グルグルと義妹を威嚇するように喉を鳴らす。

『僕はただの精霊なんかじゃ——』

「シロ。だめよ」

『……でもぉ』


 不満そうなシロの頭を撫で、ジャネットを見据える。


「ジャネットはよほど素晴らしい精霊を召喚したのね?」

「は……?」

「フェンリルをバカにするくらいだもの。あなたはどんな精霊と契約を結んだのかしら? 水の神? それとも闇の女神かしらね」


 私が微笑むと、ジャネットはカッと怒りにか羞恥にか顔を赤らめた。

 ジャネットは一応貴族の子女として魔力はあるが、それほど量は多くないうえに制御が下手で、一度目の人生では精霊との契約に何度も失敗しているのだ。恐らく今回も、初日では契約できなかったのだろう。


「わ、私のことはどうでもいいでしょ!」

「ええ、そうね。どうでもいいわ。だからこれ以上話すことなんてないので失礼するわね。疲れているの」


 素っ気なく言ってジャネットたちの脇を通り過ぎる。


「なんなのその態度……! 聖女じゃなかったあんたなんて、すぐに王太子殿下に捨てられるんだから! 調子に乗っていられるのもいまのうちよ!」


(そんなこと、私がいちばんよくわかってるわ)


 キャンキャンわめくジャネットだったが、継母は不思議なほどに静かだった。いつもならジャネット以上に嫌味を言ってきそうなところなのに。

 気になりつつも、本当に疲れていたので真っすぐ自分の部屋に向かった。


「はぁ……長い一日だったぁ」


 ふかふかのベッドに倒れこみ、重いため息をつく。

 今日はもう何もしなくない。余計なことは考えず眠ってしまいたい。


『オリヴィア~』

「ん……シロ」


 ベッドの縁に乗せられたシロの頭を撫でる。

 日頃何かと文句の多い仔犬神獣だが、こういうときは心配してくれるんだな、と少し癒されたように感じていると——。


『ねぇねぇ。今日の僕、けっこうお仕事したよね?』

「……ん?」

『だからお腹空いちゃったよぅ。今日のデトックス料理はなぁに?』


 ぶんぶんと左右に振られる尻尾と、つぶらな瞳を眺めながら、今日一番長いため息がもれた。

 やはり空気の読めない仔犬神獣だった。私の感動を返してほしい。


 こういうときの為にと、保存のきくスコーンを作っていた私を誰かほめてくれ、とごきげんでスコーンにかぶりつくシロを眺めながら思う。

 焙煎した玄米粉で作ったスコーンは抗酸化作用が高く、毒素吸着効果があり、食物繊維も豊富というデトックス菓子だ。さらに食物繊維とカリウムを多く含み、血行も高めてくれるデトックス食材のナッツも加えてある。

 解毒効果が高ければ高いほどシロには美味しく感じるようで、尻尾がぶんぶん振られすぎて千切れそうだ。


 私はというと食欲もわかず、日課のヨガをやる気にもなれず、かといってベッドに寝転んでもちっとも眠気がこない。ただぼんやりと窓の外を眺めていると、いつの間にか夜になっていた。

 星空を見ると、ノアの瞳を思い出してしまう。胸の痛みが強くなるのを感じていると、ノックが響き、父が入ってきた。


「夕食もとらず、何をしているんだ?」

「お帰りになっていらしたんですね。出迎えもせず申し訳——」

「そんなことは気にするな。……学園で騒ぎがあったそうだな」


 なんだ、知っているのかと私は肩から力を抜き苦笑した。

 王宮で仕事をしていた父の耳にも届いていたのなら、国王夫妻にもすでに情報がいっているのだろう。


「私は、聖女ではないんです……」


 俯くと、父が傍まで来て私の目元を拭った。

 泣いてなどいないのに、なぜそんなことをするのだろう。不思議に思いながら父の顔を見上げる。


「知っている」

「え……?」

「お前はずっとそう言っていたからな。それに——」


 何かを言い淀む様子に首を傾げると、少し寂しそうに微笑んだ父に抱きしめられた。

 温かく広い胸から、何とも言えない落ち着いた香りがする。


「聖女かどうかは重要ではない。お前が私の大切な娘であることに変わりはない。これまでも、これからも」


 淡々とした口調でも、優しさと愛情に溢れて聞こえた。

 父のその言葉を聞いた拍子に、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。だってわかってしまったから。この言葉をかけてもらいたかったのだと。


(私はノアに、こう言ってほしかったんだ……)


 ずっと気づかないふりをしていた。

 前世はアラサーで、ノアのことは親戚の子を愛でるような気持ちで見ているのだとか、ゲームの世界では同じく毒殺される仲間だとか、運命共同体だとか、都合のいい理由を並べ立て、芽吹いた感情に蓋をしていた。

 でももう無理だ。これ以上は自分をごまかせない。

 私だけに向けられる微笑みに、甘い言葉に、星空の眼差しに、とっくのとうに囚われていた。


(ノアのこと、愛してしまったんだ)



 オリヴィアが父の胸ですすり泣いていた頃、ノアは王太子宮の自室でひとり、胸元からペンダントを引き出し眺めていた。

 ペンダントトップは、ノアの瞳によく似た星空のような宝石がついた指輪だ。

 それを握りしめ、ノアは「オリヴィア……」と恋しい婚約者の名を呟いたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る