第32話 女神の降臨、真の聖女

 新しい部屋での目覚めは最高のひとことに尽きた。

 メイドがカーテンを開けると、大きな窓から柔らかな朝日が入り部屋がキラキラと輝く。その中で顔を洗い身支度をしていると、それだけで体が浄化されていくような気さえした。


「ここは屋敷でいちばん眺めがよく、日当たりが良い部屋なんだそうですよ! 旦那さまは、前の奥様とオリヴィアさまを本当に大切にされているんですねぇ」


 私の髪を櫛で梳かしながら、アンが鼻歌混じりで言う。

 鏡を見つめ、私は「そうだったら嬉しいわ」と笑った。その顔は、この部屋に飾られていた肖像画の母とそっくりだ。

 肖像画には若い頃の父と、赤ん坊の私も一緒に描かれていた。とても幸せそうに見える家族の肖像画だが、母が亡くなりイライザが後妻に入ってからは、絵はこの部屋とともに封印されていた。父にとっては幸せな記憶だけでなく、悲しい記憶も呼び覚まされるのだろう。

それでも、ここの封印を私の為に解いてくれたことが嬉しい。今日は学園で精霊契約の儀がある。このあと私を待ちうける試練に立ち向かう、気力をもらえた気がした。



「おいで、シロ」


 それっぽく右手を天に向け呼ぶと、どこからか光が集まり白狼の姿に変わった。

 学園の敷地内にある外の演習場に歓声が響く。


「先生。これが私の契約している精霊です」


 昼下がり、精霊魔法の実践授業で精霊との契約が行われることになった。

 通常まず自分の加護を確認してからその属性の精霊との契約式に入るのだが、私の場合は特殊すぎて他人に知られるのはまずい。

 創造神の加護(憐み)は私にとっては微妙な加護だが、おそらく他人の目にはものすごくありがたい希少な加護に映るだろう。つまり、絶対に目立ってしまう。

 不要に目立つことを避けるためにも、私はすでに精霊と契約済みであることを公表することにした。


(どうせ学園側にはノアにバラされているし)


「素晴らしい! これはフェンリル……ですかな? あまり見ない毛色ですが」

「その通りです。すでに契約済みですので、この授業は見学でよろしいでしょうか?」


 教師はシロに興味深々といった様子で、色々聞きたそうではあったが、「ではオリヴィア嬢は見学で」と言うと授業のために離れていった。


「シロ、ありがとね」

『いいけど、おやつはマフィンが食べたいなぁ』


 はいはい、と返事をすると、シロは上機嫌で尻尾を振ってじゃれてくる。

 三年経っても中身は相変わらず仔犬のままだ。扱いやすくて助かる。


「オリヴィアさま、凄いですね! すでにフェンリルと契約していたなんて!」


 魔方陣を出ると、【救国の聖女】の主人公・セレナが無邪気に声をかけてきた。


(あなたはこれから、もっとすごい精霊と契約するんだけどね)


 ゲームでは、主人公は聖女にしか召喚できない精霊と契約するのだ。

 私は無難に「ありがとう」と返し、そそくさと距離を取った。あまり懐かれても困る。


 授業は順調に進み、生徒たちはそれぞれの加護に合った属性の精霊を呼び出していく。時折精霊に反発されることもあったが、大きな問題はなく契約を済ませていった。


 歓声が大きくなったので顔を上げると、演習場中央の魔方陣で、第二王子ギルバートが儀式を始めるところだった。

 召喚されたのは、火の上位精霊・イフリートだ。

 燃え盛る炎を立ち昇らせる魔人の迫力に、悲鳴と歓声が入り混じった騒ぎとなっている。


「やっぱり王族は火系統なんだな!」

「それはそうだろう。イグバーンは火竜の守護する国だからな」


 近くにいた生徒の会話に、なるほどと思う。

 前世でゲームをプレイしていたときや、一度目の人生では意識したことがなかったが、ギルバートが火の加護を持っているのはそういう設定があるかららしい。


「あの、オリヴィアさま……」

「ん? あなたは昨日話しかけてくれた方よね? 確か親衛隊がどうとか」


 恐るおそるといった風に声をかけてきたその女生徒の後ろにも、数名控えている。もう親衛隊ができたのだろうか。


「は、はい! この度、オリヴィアさまの美を崇め隊の隊長を務めさせていただくことになりました、ケイトと申します!」

「ん……? なんだか隊の名前を聞き間違えたような?」

「オリヴィアさまの美を崇め隊の結成を快く承諾していただき、誠にありがとうございます!」


(聞き間違いじゃなかったかー)


 普通にオリヴィア親衛隊ではだめだったのだろうか。

 これだと「私の美を崇めなさい!」と私が親衛隊を作ったかのようだ。いかにも悪役令嬢がしそうなアレである。


「私たち、どうしてもオリヴィアさまにお聞きしたいことがあって……」

「オリヴィアさまは、どうしてそんなにもお美しいのですか!」

「美の秘訣を教えてくださいませ!」

「美の秘訣……? それはもちろん、デトックスね」


 デトックス? と三人が目を輝かせ食いつく。

 私は恥ずかしい名前の親衛隊たちに、デトックスがいかに重要かを熱く語った。日々毒素を体にため込んでいること、それをうまく体外に排出できれば、自然と体は健康になり、美肌や美髪も手に入るのだと。


「そんな方法があるのですか!」

「ぜひ詳しく教えていただきたいものです」


 願ったり叶ったりな彼女たちの言葉に、今度お茶会でもと提案したとき「オリヴィア嬢」と聞き覚えのある声に呼ばれた。

 嫌な予感に笑顔を引きつらせながら振り返ると、予想通りギルバートが私を見ていた。


「少しいいか。聞きたいことがあるんだ」

「……何のお話でしょう?」


 この場でさっさと言え、という本音を飲みこみ尋ねる。

 ギルバートがちらりと親衛隊を見ると、察しの良い令嬢たちは「また後ほど」と微笑んで離れていく。

 なんと教育の行き届いた子たちだろうか。置いていかないでほしかった。


「実は、君と似ている人を探している」

「私と似た方、ですか?」

「君の血縁で、以前王宮のメイドとして仕えていた女性はいないか? メガネをかけていて、年は俺たちとそう変わらないくらいの。ビビアンという名前なんだが」

「残念ながら心当たりがございません」

「そうか……。ところで、真っ黒なクッキーを作ったことはあるか?」


 一瞬、体が固まってしまった。気づかれなかっただろうか。


「……真っ黒なクッキーですか? そうですね、お菓子を焦がした経験は恥ずかしながら何度かございますが」

「いや、焦げていたわけではなく、ただとにかく黒いクッキーで——」


 やはり炭クッキーのインパクトが強すぎたらしい。失敗したなと思っていると、再び演習場が沸いた。

 ハッと中央を見ると、ノアが精霊を召喚したところだった。

 バチバチと火花が散り、青味を帯びた電撃が走る。現れたのは、雷の上位精霊・ペガサスだ。


 周囲から「火の精霊じゃない」と意外そうな、どこか落胆したかのような声がちらほら聞こえてくる。そんなことでノアの王太子としての資質は損なわれないだろうに。

 私はむしろ、ノアは苛烈な火のイメージではないと思っていたので大いに納得した。放電する魔方陣の中でペガサスとの契約をする彼は、威光に溢れ神々しくさえ見える。

 その神々しさを引きずったまま、契約を終えたノアが真っすぐにこちらに向かってきた。


「僕の婚約者に何の用かな?」


 私を背に隠すようにして、ノアがギルバートとの間に立つ。


「またそれか兄上……。婚約者なら、きちんと名前で呼んだらどうだ?」


 ギルバートの呆れ声に、ノアが「僕のオリヴィアに何か用?」とわざとらしく言い直した。強火担こわい。


「クラスメイト同士、会話するくらい普通だろ」

「兄の婚約者に不要に近づくのは誤解を招くぞ?」

「……あまり束縛が強いと嫌われるんじゃないか?」


 兄弟間の火花再び。

 ただでさえ目立つふたりなのだからおとなしくしていてほしい。特に私がいるときは本当にやめてくれと思う。


 止めるべきか離れるべきか迷っていると、突然演習場を眩い光が包み込んだ。

 ハッと振り返ると、魔方陣の中心には【救国の聖女】の主人公・セレナがいて、精霊を召喚するところだった。


(ついにこの時が……!)


 真っ白で清廉な輝きを放ちながら現れたのは、光の精霊最上位・癒しの女神パナケイアだ。

 パナケイアと同様に清らかな光を放つセレナは、息を飲むほど美しい。前世でもこのシーンのスチルが本当に綺麗で印象的だったことを思い出した。


 茫然としていた生徒たちも「伝説の女神だ!」「じゃあ、まさかあの子が……」と騒ぎ始める。

 ちらりとノアを伺うと、星空の瞳を大きく開き、セレナを食い入るように見つめていた。


「神託の、聖女……」


 ノアの呟きが聞こえ、胸が締め付けられるように痛んだ。

 いまこのとき、ノアは何を感じただろう。何を思っただろう。


(だから言ったじゃない。私は、聖女じゃないって——)

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