第31話 生みの母の名前
学園から侯爵邸へと帰った私は、馬車から降り三年前と変わらない我が家を見上げた。
「帰ってきてしまった……」
懐かしむ気持ちよりも哀愁が勝った呟きがもれる。
離島での平和な隠居生活は終わった。今日からは再び毒と隣り合わせのサバイバルのような生活が始まるのだ。気合をいれなければ。
「大丈夫ですよ、お嬢さま! お嬢さま(金のなる木)のことは、このアンが必ずお守りいたしますから!」
私の荷物を持ったアンが鼻息荒く誓う。
離島での生活で、アンの真意(主に金にまつわること)が副音声で聞こえるようになった。この三年でお金意外の何か強い繋がりができたかといえば、そういうことはまったくない。ただ、デトックス料理や美容化粧品、解毒剤の作り方なんかもアンに教えこんだので、それを元にアンは給金とは別にしっかり小金を稼げるようになったらしく、私(金の湧く泉)への献身度が上がったように思う。
「はいはい。期待してるわ」
「お金さまのためならこのアン、たとえ火の中水のな——」
「誰がお金さまだ、この守銭奴メイド」
「んぎゃっ! ふ、フレッドさま……」
別の馬車から降りて来たフレッドが、アンの顔面を笑顔で鷲掴みした。
フレッドも私専属の執事として、アンと一緒に離島までついてきてくれた、数少ない使用人のひとりだ。
このふたりは離島での生活で、かなり砕けた関係になったように思う。
「まったく。君はお嬢さまに対して度々無礼だぞ、アン」
「そんなことありませんよ。私は心からお嬢さまを尊敬し、お仕えできることに喜びを感じているんです」
胸を張るアンに、フレッドはじとりとした目を向けた。まあ、そういう目になる気持ちもわかる。
「フレッド。アンはこれでいいのよ」
「良くはありません。お嬢さまはアンに甘すぎます」
「だってアンだもの。アンが忠実なのは人間に対してじゃなくてお金。そういうアンだから安心なのよ。私自身に忠誠を誓っている、なんて言われても気味が悪いし、まったく信用できないわ」
「それは……その通りですが」
私たちの会話にアンが「おふたりともひどすぎません?」と傷ついた顔をする。
これでも私は一応アンを気に入っているので、彼女に見限られないよう精一杯、金のなる木として成長していくつもりだ。
父・アーヴァイン侯爵は王宮に出仕している時間なので、まずは荷物を置こうと離れに向かった私たちは、待っていた惨状に一様に言葉を失った。
飾られていた絵画や壺などの美術品はすべて姿を消し、絨毯は剥ぎ取られ、床は塵とほこりだらけ。虫や鼠が走り回っている。
寝室は盗賊でも入ったかのような荒らされようだった。ベッドの天蓋や寝具は切り裂かれ、鏡やテーブルはなぎ倒され、棚という棚が開け放たれ物色された形跡があった。
「な、何ですかこれ……ひどすぎます!」
アンがそう叫んだ直後、後ろからカツカツとわざとらしい靴音が聞こえてきた。
「まあ。本当に帰ってきたのね」
振り返ると、三年前と変わらず着飾った継母イライザが立っていた。私と同じく学園の制服を着たジャネットもすぐ後ろにいる。
私の顔を見て、継母が一瞬怯んだ顔をした。
「ず、随分元気になったようね? そんなに領地での生活が快適だったのなら、ずっと向こうにいても良かったのに」
「お久しぶりです、お義母さま。私もそうしたかったのは山々ですが、アーヴァイン侯爵家嫡女としての責務もございますから」
ジャネットも久しぶりね、と私がにこやかに言えば、ふたりはそろってたじろぐ。
何やらふたりの様子が三年前とは違って、内心おやと思った。領地に雲隠れする前は、常にふたりは私に対し威圧的で、傍若無人なふるまいを見せていたのだが。
「ふ、ふん。でも先ぶれもなしに戻ってくるのは、家族であっても失礼じゃないかしら? おかげであなたの部屋の準備がまったく出来ていないのよ。困ったわねぇ」
「構わないよわお母さま。ベッドが使えないなら、床に寝ればいいんだから」
「それもそうね。田舎の生活が快適だったなら、床で寝るなんて慣れたものよね?」
「森で数日寝起きしたこともあるらしいじゃない。土の上で眠ることだってできるんじゃないかしら?」
そういえば、三年前に薬草を取りに行った私は裏の森で破落戸に襲われ、シロに出会い王太子宮に駆けこんだのだ。継母たちはそのことを知らず、私は森で彷徨った挙げ句衰弱した状態で保護され、そのまま離島へ送られたということになっているのだった。
くすくすと笑い合う性悪親子は相変わらずのようだ。私をいじめたくてたまらないらしい。
「森と言えば……三年前、森で行方不明になったとき、いったい何があったのかしら? 発見されてからも屋敷に戻らず、そのまま領地に療養に向かったと聞いて驚いたのよ」
「まったくだわ。あんたの捜索のために騎士団まで動いたらしいじゃない。恥ずかしいったらないわ」
「あの日何が起こったのか話なさい。ただ迷子になっただけ、なんてこと、あるはずないわよね……?」
継母の目がギラリと光る。
その表情を見て、やはりと思った。あの日、私を殺すよう破落戸たちに指示を出していたのは継母だ。森で何が起こったか、破落戸たちから話は聞いているのだろう。
継母が知りたいのは、破落戸たちがシロの登場に逃げ去ったあとのことだ。私がどうやって生き延び、保護され、領地に向かうことになったのかが気になっている。
ただ、事情を知っているのは継母だけで、義妹のジャネットは何も聞かされていないように感じた。再婚相手の連れ子に毒を盛るような女だが、実の娘は可愛いということだろうか。
さて、どう答えようかと考えていると、不意に「何をしている」と冷たい声が聞こえてきた。
継母とジャネットがハッとしたように振り返る。そのふたりの向こう側から、こちらに歩いてきたのは——。
「お父さま!」
父、アーヴァイン侯爵が執事長とフレッドを引き連れて現れた。
私は駆け出し、継母とジャネットの間を通り過ぎ勢いのまま父に抱き着きかけた。
だが人前であることを思い出し、なんとか衝動をこらえ父の前でドレスをつまみ礼をしようとしたのだが。
「オリヴィア」
頭を下げる前に抱き寄せられ、気づけば父の腕の中にいた。
「大きくなったな。そして、綺麗になった」
先ほどとはちがう温かな声に、ほっとして広い背中を抱きしめ返す。
「お父さま……ただいま帰りました」
「ああ。お帰り」
視界の端で、継母とジャネットがぼう然としている姿が映った。
それはそうだろう。三年前はこんな親子の触れ合いらしいことなど一切なかったのに、私が領地から帰ってきた途端、急に仲睦まじくなったかのようにふたりには見えているはずだ。
領地に立つ前に、私と父がわだかまりを解いていたことなど継母たちは知る由もない。
「それで……ここで何をしていた?」
父が部屋の惨状を見て言うと、継母たちはギクリと顔を強張らせた。
「荷物を置こうと思ったのですが……長く使っていなかったのでどうしたものかと」
「心配ない。お前の部屋は準備出来ている」
「え? ですが……」
「もう離れを使う必要はない。お前は健康になったのだから、本邸に戻るべきだ」
そう言うと、父は私をエスコートし本邸まで連れて行ってくれた。
通されたのは二階の一室。大きなバルコニーのある、日当たりが良く庭の緑がよく見える美しい部屋だった。
華美ではないが調度品は高級感あふれるもので揃えられ、落ち着いた印象がある。とても居心地の良さそうな空間にほぅと息がもれた。
「なぜこの部屋を!? ここは開かずの間だとおっしゃっていたではありませんか!」
追いかけてきた継母が、部屋を見てヒステリックに叫んだ。
ジャネットも部屋を見回すと、オリヴィアにはもったいないと言わんばかりの顔で私を睨んでくる。
「そうだ。ここはシルヴィア……この子の母親が生前使っていた部屋だ」
「お母さまの……?」
「オリヴィア、今日からはお前がこの部屋の主だ。ここを気に入っていたお前の母も、きっと喜ぶだろう」
そう言って私を見つめる父の瞳が、窓から差し込む光を受けて優しく煌めいた。
シルヴィア。それが私の母の名前。
物心つくころには亡くなってしまった母。まるで禁忌とされているかのように誰もその名を呼ばなくなり、私も母の顔も名前も思い出せなくなっていた。
「シルヴィア……」
森、の意味を持つその名前を口にしたとき、自分の中に眠っていた強い何かが目覚めたかのように、全身を熱い血が駆け巡っていった。
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