第28話 再会と抱擁

 柔らかな陽気の中、スターリッジ王立学園の前庭は多くの貴族の子息子女で賑わっていた。

 大地の月の始まりの今日は、学園に新たな生徒たちが入学する日である。それはつまり、本番前のプレ社交界の参加者が増えるということだ。

 年齢よりも身分が人間関係の上下を決めるのは、学園でもそう変わらない。在園の学生たちも、新入生たちに挨拶をしようと集まり、この賑わいだった。


 新入生のひとりである、オリヴィアの義妹・ジャネットも真新しい制服に身を包みその場にいた。

 顔見知りの令嬢たちと談笑しながら、周囲の会話に耳をすませる。


「例の噂、お聞きになりました?」

「引きこもりの侯爵令嬢のお話でしょ?」

「私は王太子殿下をお救いした聖女と聞きましたけど」

「殿下と同い年で、今年入学されるという噂ですよね」

「婚約も内定しているというのは本当なのかしら?」


 引きこもりの侯爵令嬢。

 聞こえて来たその話題に、ジャネットは意識を集中した。


「何でもひどい病を患って、王都を離れ領地で療養しているとか」

「まぁ。聖女なのにご病気に?」

「そうそう。王都と同じく領地でも引きこもっているそうですね」

「病気でとても醜い容姿になってしまったという話も聞きましたわ」

「そんな方が領地を出て、貴族の集まるこの学園にいらっしゃるかしら?」


 話の内容に、ジャネットは内心ほくそ笑む。

 約三年前、突然侯爵邸から姿を消した義姉・オリヴィア。

 裕福な貴族令嬢とは思えないほどやつれ、幽霊のように青白く陰気な顔をしていた女が、ジャネットは嫌いだった。

 同じ年でも、オリヴィアは侯爵の実子で嫡女。宝石とまで言われた前妻の容姿を受け継ぎ、銀の髪に泉のように澄んだ瞳を生まれながらに持っている。それが腹立たしく、母と一緒にオリヴィアをいたぶった。整った容姿がボロボロになっていく様を見ているのは心地が良かった。


 そのオリヴィアが急に活動的になり、魔法のような化粧を駆使し、王太子の婚約者になったときは衝撃だった。

 ありえない、信じたくない。どうしたらあの義姉を離れの幽霊に戻せるかと本気で考えていた中、オリヴィアが突然姿を消した。森で行方不明になり、生死の境を彷徨うほど衰弱した状態で発見されたという。

 そのまま侯爵邸には戻らず、遠く離れた領地で療養することになったと聞いたときは「そのまま死ねば良かったのに」と思った。だがまあ、あの幽霊のくせにひどく整った顔を見ずに済むようになると考えると気分も良くなった。


 本人がいないのをいいことに、ジャネットは友人の令嬢たちに、オリヴィアについてあることないこと吹きこんだ。

 眠る宝石などと言われているが、本当は貧民街の物乞いよりみすぼらしい見た目だとか、侯爵邸ではわがまま放題だったとか、男好きで王太子宮に侵入し王太子殿下をたらしこんだとか。それはあっという間に噂となり、様々な脚色がされ貴族社会に広まっていった。


 鬱憤を晴らすのもあったが、いちばんの目的は不名誉な噂でオリヴィアを王都に戻りにくくすることだった。最悪な令嬢という噂が王宮にまで届けば、王太子との婚約も白紙に戻されるだろう。

 実際、オリヴィアは領地から王都の屋敷に戻ってきていない。学園に通わない貴族は社交界でもまともな扱いはされない。オリヴィアの婚約の話が立ち消えになるのも時間の問題だろう。


(オリヴィアを幸せにさせてやるものですか。あの女が持っているものはすべて奪ってやる。地位も名声も、私にこそ相応しいわ)


 笑い出したいのを堪えていると、正門に一台の豪奢な馬車が現れた。

 遠くの門からすでに生徒たちは馬車に気づき、釘付けになっていた。なぜならその馬車が騎乗した騎士を伴っていたからだ。王都の中でも特に治安の良い地域に建つ学園に、わざわざ騎士を連れてくる貴族はまずいない。いるとすればそれは貴族ではなく——。


 ポーチにゆっくりと停まった馬車を見て、誰かが「火竜の紋章だ!」と叫んだ。

火竜の紋章とはすなわち、王家の象徴である。王家の馬車の登場に周囲がどよめいた。先ほどの賑やかさとはちがう、緊張をはらんだざわめきが辺りに広がっていく。

 今年学園に入った王族はふたり。しかも直系の王子たちだ。

 王太子である第一王子か、現王妃の息子第二王子。馬車に乗っているのはふたりのどちらか、あるいは両方かとまず誰もが考えたその時。


「道を開けよ!」


 突然そんな声が響き、人垣が左右に割れた。

 現れたのはあきらかに新入生ではない体つきの男子生徒。その生徒は生徒たちが道を作ったのを確認すると、脇に避け頭を下げた。

 すると噴水を背に、優雅に、そして威風堂々と現れたのは——。


「王太子殿下……!」


 ジャネットのそばにいた令嬢が、悲鳴のような歓声を上げた。

 ノア・アーサー・イグバーン。青みがかった黒髪を揺らし、王族特有の星空のような瞳を輝かせ、次代の王が馬車へと向かっていく。王立学園に通う生徒なら、誰しも一度はノアと話をしてみたいと夢見るが、誰一人として彼に話しかけられる者はいなかった。


 ノアの放つ王者の風格に圧倒され波のように礼の形が広がっていく。それでも彼が自分の前を通り過ぎると、ノアの一挙手一投足を見逃さないよう皆が彼に注目した。

ジャネットが緊張しながら頭を下げると、ノアがすぐそばで立ち止まったのでドキリとする。

 もしかして、何か声をかけられるのではという期待が胸に広がった。なぜなら自分は誉れ高きアーヴァイン侯爵家の令嬢で、オリヴィアがこのまま王都に戻らないのなら自分に王太子妃の座が転がり込んでくる可能性があるからだ。

 ノアも自分を意識しているのでは——。


「……オリヴィア」


 ノアの艶やかな声に、周りにいた令嬢たちがはしゃぐように反応したが、ジャネットはひとり凍り付いた。いま王太子は何と言ったのか。

 まさか、とジャネットが顔を上げるのと、馬車の扉が開かれるのは同時だった。

 柔らかな花の香りと共に現れたのは——。


「女神だ……」


 思わず、といったような誰かの呟きを否定する者は皆無だ。

 馬車から姿を現したのは、白銀に輝く髪と、透きとおる泉のような瞳を持つ女生徒だった。

 スッと通った鼻筋、最も美しく宝石が煌めくようカットされたような輪郭。ほっそりとした長めの首筋、容易く手折られる花のように華奢な手足。

 全身が発光するような神々しさの美少女が、蕾がほころぶように微笑んだ。


「ノアさま……」


 その微笑みを見た生徒が、突然何人もその場に倒れ込んだ。

 倒れた生徒が皆「う、美しすぎる……っ」と呻きながら恍惚の表情を浮かべ、呼吸困難のような症状に陥っている。


「待っていたよ、オリヴィア」


 そう言ってノアが差し出した手に、アーヴァイン侯爵家の令嬢、オリヴィア・ベル・アーヴァインがそっと手を重ねる。


「女神もひれ伏す美しさだな」


 星空の瞳を細めると、ノアはオリヴィアの手の甲に口づけた。

 あちこちから女生徒たちの悲鳴が上がる。


「ノアさまも、素敵な王子様になられましたね」

「僕は元々素敵だろう?」


 ノアがいたずらっぽくウィンクすると、オリヴィアが小さく吹き出し「そうでした」と口元を隠して笑う。

 次の瞬間、ノアはもう我慢できないとばかりに勢いよくオリヴィアを抱きしめた。


「の、ノアさま!?」

「会いたかった、オリヴィア! 僕の聖女!」


 ドラマティックな光景に、歓声が沸き起こり学園はいまだかつてない騒ぎとなった。

 その中でジャネットただひとりが、凍てついた表情でオリヴィアをじっと睨みつけていた。 

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