第27話 婚約者からの手紙【Noah】

 窓辺に降り立った伝書鳩から手紙を抜き取る。筒状に丸められたそれを広げると、ふわりと花のような香りがした。

 イグバーン王国王太子・ノアは目を細め微笑んでから、ゆっくりと手紙を読み始めた。


『ノアさま、お元気ですか。私がいなくても、きちんと食事と休憩を取られていますでしょうか。マーシャを困らせてはいませんか? 基本のヨガのポーズ、お忘れのようでしたら絵に描いて送りますから遠慮なくおっしゃってくださいね』


「まだ僕に悪魔崇拝をさせようとしているか」


 独創的な動きをノアに勧めてくる婚約者の姿を思い出す。

 彼女は王都どころか国中で噂になるほどの美貌の持ち主でありながら、実に貴族令嬢らしからぬ珍妙——変わった趣味嗜好の持ち主だ。


 オリヴィア・ベル・アーヴァイン。

 イグバーンの宝石と謳われた母親と瓜二つの彼女は、病弱で屋敷から出ることがないため、侯爵家に眠る小さな宝石と言われていた。噂に違わぬ美しさだが、屋敷から出ないのは病弱だからというより、継母に虐待を受けていたのが真相だった。


 強烈な出会いだった。王太子宮の庭で初めてオリヴィアを見たとき、そのあまりの美しさに頭から足先まで雷で打たれたような衝撃があった。

 直後、オリヴィアはノアの代わりに毒を飲み倒れる。命をかけてノアに敵ではないことを証明し、ノアを救おうとした彼女に、運命を感じたのは当然のことだった。


『私は食事と運動の量が増え、最後にお会いしたときよりずっと健康になりました。毎日地道に続けたデトックスの成果です。離島に来てから半年が経ち、いまや別荘の庭はデトックスに使える草花で溢れています。私が丹精込めて大切に育てているのです。植物の研究も始めまして、毒草や薬草についての知識が増えましたから、庭の草花も比例して順調に品種を増やしております。そうそう、手紙に薔薇の香水を吹きかけたのですが、お気づきになりました? 薔薇はハーブティーにして飲むと、強肝に便秘改善といった解毒作用があるんですよ! 香水はついでに作ってみました。今度私の作ったハーブをいくつか送りますね。』


「香水はついでか……」


 実に彼女らしい、とノアは微笑む。

 普通の貴族令嬢なら花を美しいと愛でるだけだろう。だがオリヴィアは花を利用できるものとして自ら育てる。花だけでなく、時には葉や根まで、彼女にかかるとデトックス(解毒)の道具になる。オリヴィアにとっては『デトックスに使えるもの』と『デトックスに使えないもの』の二種類しかこの世に存在しないのではないだろうか。

 それはオリヴィアが継母から受けた虐待のひとつとして、食事に毒を盛られていたせいだ。生きるために彼女が培ったのが、様々なデトックスの方法だった。

 ノアも幼少期から何度も毒殺されかけた。実際ノアの実母である前王妃は毒で殺されている。

 だからこそ、生活のあらゆる場面においてデトックスを実行しようとするオリヴィアを逞しく、そして眩しく思う。あのヨガとかいう悪魔崇拝の儀式だけはいただけないが。


「近いうちにまた、デミウル像を送るか……」


『またお食事に毒を盛られたそうですね。その前は毒矢で狙われたとか。ノアさまが王宮で日々命の危機にさらされていると思うと、離島で平和に暮らしていることが申し訳なくなります。離れていても何かお役に立てないかと考え、以前お渡しした活性炭の改良を研究し、毒の吸着効果を4倍に高めたものの開発に成功しました! 何で出来ているか気になりますか? 知りたいですよね? 実は、麻の茎を炭にしたものなのです! 麻は紙や布、油などにもできますが、薬や解毒剤にもできてしまう優れた植物なのですよ!』


「婚約者に送る手紙の内容の九割がデトックスについてとは、実にオリヴィアらしいね」


 欲を言えば、ノアさまに会えなくて寂しい、などといった恋人らしい文言がほしいところだが仕方ない。

 オリヴィアは言葉で愛を伝えるタイプではないことは、短い時間の中でもよくわかった。彼女の愛はもっと深く果てしない。わかりやすい甘い言葉より、行動で示す。誰よりも、自分のことよりもノアを優先し、心配してくれるのだ。あれほど献身的で健気で清廉な愛の表現を、ノアは知らない。


(まさに聖女だ。その神託の聖女の可能性が高いために、王妃に命を狙われるようになってしまったが)


 オリヴィアは現在、父であるアーヴァイン侯爵の領に身を隠している。

 王都から遠く離れた領の離島のため、王太子という不自由な身分のノアはオリヴィアに会いに行くことができない。あと二年以上彼女に会えないと思うと、いますぐ王太子の身分を捨て城から飛び出してしまいたくなる。もちろん実行には移さないが。

 いずれ臣下に下り公爵の爵位でも受ければ、侯爵家のオリヴィアとの縁談は継続可能だろう。だがそうなると次期国王は第二王子・ギルバートになる。

 つまりギルバートの実母である王妃が完全に王宮を、イグバーン王国を掌握することになるだろう。あの毒婦に国を支配される事態だけは避けなければならない。


 本当ならオリヴィアの愛に報いるために、自分も彼女の幸せと安寧だけを考えて生きたいところだが、生まれながら次代の国王だったノアは理性を捨てられない。

 彼は悩めるオリヴィア強火担であった。


「ギルバートと言えば、あいつもオリヴィアを気にしているようだったな……」


 オリヴィアが領地へと立って数日後、ギルバートが珍しく王太子宮を訪ねて来た。

 ノアとギルバートは同い年の異母兄弟である。本人たちは不仲というわけではない。会えば言葉を交わすし、ノア自身異母弟を嫌いだと思ったこともない。


 だが王妃がノアを冷遇しているのは貴族社会では公然の秘密であり、ふたりの王子が兄弟仲を深めることをよしとしない雰囲気がある。そのためギルバートは王太子宮を避けているようで、ノアもそのほうが王妃を刺激せずに済むのでいいと思っていた。

 そのギルバートが何の前触れもなく、王太子宮を訪れこう聞いてきたのだ。


『野暮ったい眼鏡をかけた若いメイドはいますか?』


 聞けば、ハンカチを借りたので返しに来たのだという。

 おまけに信じられないほど真っ黒だがやたらと美味しいクッキーをもらったので、その礼にと花束まで持参していた。

 オリヴィアのことだとすぐにわかった。ノアも彼女の作った引くほど黒い炭クッキーを食べている。

 いったいどこで二人が接触したのか気になったが、それについてはギルバートが頑として口を割らない。


『彼女は結婚することになり、遠い田舎に帰った』


 結局そう言って誤魔化すと、ギルバートは目に見えてショックを受けていた。


『あのメイドの名前だけでも教えてください、兄上』

『……ビビアンだ』


 あまりに異母弟が傷ついた顔をしていたので、仕方なく答えてしまった。偽名のほうだが、それさえ教えたくはなかったのに。

 ノアはたとえオリヴィアの偽りの姿でも、彼女についてのすべての事柄を独占していたかった。


「血の繋がりが半分でも、さすが兄弟といったところか。女性の好みが同じとは」

 本当に、どういう経緯でふたりが顔を合わせることになったのだろう。油断も隙もない。

 王立学園に入学した際は、ふたりを近づけないようにしなければ。その為にも、離れていてもオリヴィアとの仲を深めておく必要がある。他者の入る隙を与えないくらい親密に。


「だが……先は長そうだ」


 内容の九割がデトックスだった手紙を窓にかざし、苦笑する。


『殿下のご健勝を、何よりもお祈りしております。どうかご無事で』


 デトックスについてもだが、最後も実にオリヴィアらしい一文だ。彼女は本当に、ノアの無事を心から願っている。


「オリヴィアの為にも国の為にも、僕は早急に力をつけなければな」


 力とは武力のことではない。もちろん騎士や兵士の力も必要だが、重要なのは人脈だ。

 王妃の勢力に負けない、自分の支持勢力を作る。それも信頼できる仲間を。すでに候補は絞り接触も始めていた。

 約二年後、オリヴィアが王都に戻ってくるとき、万全の態勢で愛しい婚約者を迎えるのだ。


「待っているよ、僕の聖女……」


 青い瞳を細めたノアは、薔薇の香る手紙に口づけをするのだった。

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