第26話 しばしの別れ、そして不穏
領地へと向かう日。
職務中であるはずの父が、わざわざ王太子宮まで見送りに来てくれた。すぐ近くの林の中に馬車を待機させる指示を父が出していて、私はそれに乗り領地の離島に向かう。
馬車に乗ると門で出入りを確認されてしまうので、来たときと同じようにシロに乗って王宮を出ることになった。もちろん父は仕事があるので一緒には行けない。これからしばらく会うことができなくなるのだ。
騎士団長の服を身に纏った父は、私の肩に手を置き「道中気をつけなさい」と言った。
「護衛はつけて、馬車も侯爵家のものとはわからないよう偽装してある。それでもお前自身が目立つ容姿をしていることを自覚し、用心するんだ」
「わかりました、お父さま。シロもいるので、きっと大丈夫です」
シロの頭を撫でて言うと、中身仔犬な神獣はもっと言ってとばかりに胸を張った。
心なしか、出逢ったときよりもふっくらした気がする。デトックス料理とはいえ食べさせすぎただろうか。
「そうか。離島の屋敷には、お前の専属メイドだった者を送っておいた」
「アンのことですか? どうしているか気になっていたんです。ありがとうございます」
王都の屋敷に置いていけば、継母に狙われるのではないかと心配だったのだ。
アンがいるなら離島での生活も心強い。
「お父さまもどうか、お体に気をつけくださいね」
体調だけでなく、王妃や継母周辺の動きにも気をつけてほしい。
重職につき、国王の信頼も厚い侯爵である父に手をかけることはないだろうが、あの王妃のことだ。ノアが生き延びシナリオが変わりつつあるいま、何が起こるかわからない。
「わかっている。こちらのことは心配するな。お前の帰りを待っている」
あまり表情に変化のない父だが、以前は冷たいばかりだった眼差しがいまは優しい。
笑顔で父との別れを済ませると、ノアが父の代わりに前に出た。
「オリヴィア……」
王太子宮の庭に咲くアマリリスの香りをまとったノアが、私の髪に触れた。
青い瞳が切なげに揺れる。
「覚悟はしていたが……明日から君に会えなくなってしまうのか」
「ノアさま……」
「手紙を書く。オリヴィアも返事をくれ」
ノアの言葉に、私は数度瞬きしたあと「もちろんです」とにっこり笑った。
「ノアさま。私がいなくなってもデトックスは続けてくださいね? 紅茶ばかり飲んでいてはダメですよ? お水や白湯、デトックスティーをたくさん飲んでください」
「……ん?」
「好き嫌いせずに栄養のあるものをたくさん食べてください。朝食を抜くのはダメですからね。あとはヨガ! 私がお教えした基本のポーズくらいは毎日してくださいね。大丈夫です。悪魔を崇拝する儀式ではないのでデミウル像は必要ありませんから。きちんとデトックスを続けられているか、マーシャを通じて定期的にチェックしますからね!」
後ろに控えたマーシャが、ハンカチで涙を拭きながらうなずいている。
「オリヴィア……」
「それからこれ」
シロの力を借りて作った活性炭の錠剤。それが入った瓶をノアに手渡す。
「これは?」
「活性炭という解毒剤です」
瓶の中身をしげしげと見ていたノアは、解毒剤という言葉にハッとした顔をした。
「ノアさまがまた毒を口にしてしまったときは、なるべく早く胃の中のものを吐き出してください。出来れば私がしたときのように水で洗い流せるといいのですが……」
「いま王宮医にやり方を研究させている」
「よかった。胃の中を洗浄し吐き出したあと、この活性炭を飲んでください。これは体内に入った毒素を吸着して、そのまま体外に排出する作用があるんです。先日のようにすぐに解毒剤が用意できず急を要するときに使ってください。常に持ち歩いて、マーシャさんにもお渡ししてくださいね」
「すごいな……どこで手に入れたんだ?」
「作りました」
つい流れのまま正直に答えてしまい、この場にいる面々に驚いた顔をされる。
「作ったって、一体どこで、どうやって」
「その……王太子宮の裏の土の中で、シロに手伝ってもらって」
ノアは何やらぽかんと固まったあと、くつくつと腹を抱えて笑い始めた。
「王宮で何をやってるんだ。君は本当に退屈しないな」
「すみません……」
「そういう君がいいんだ。だからこそ……寂しくなる」
そう言って笑いを止めると、ノアは私を強く抱きしめた。想いをぶつけるかのように、強く。
「……私も、寂しいです」
「三年後、待っている。それまでに僕は君を守れる力をつけよう。約束する」
その時まで、どうか元気で。ノアはそう囁くと、私の頭にキスを落とした。
父がノアの後ろでわざとらしく咳ばらいをする。マーシャはやはりハンカチで涙を拭いながらうなずいていた。
少し恥ずかしくなりながら離れ、ノアの顔を見つめる。
「……では、行ってきます」
「ああ。気をつけて」
笑顔を交わし、私はシロの背に乗り空へと飛びあがった。
ノアたちがどんどん小さくなっていく。
私の大切な人たち、どうか次に会うときまで元気で。
◆
紫のジキタリス、白いスズラン、青いダチュラ、真っ赤なリコリス。
王妃宮の庭にある温室では、様々な花が咲き乱れている。甘い芳香を漂わせる危険な花々は、王妃自らが手入れをしていた。
広い温室の真ん中では定期的に茶会が開かれている。
王妃主催のその茶会に呼ばれるのは、もれなく貴族派の貴婦人たちだ。王妃に重用され、王妃に支配される女たちの中に、オリヴィアの継母であるイザベラとその娘のジャネットも含まれていた。
貴婦人たちの会話と笑い声が温室に響き、一見穏やかな雰囲気に見えるが、実際は参加している誰もが緊張の中にいる。
主催する王妃がいつどんなことで機嫌を損ねるかわからない。機嫌を損ねれば最後、それまでどれほど王妃のお気に入りだった人間だとしてもこの世に別れを告げることになるだろう。
「アーヴァイン侯爵夫人」
隣りの伯爵夫人と談笑していたイザベラは、王妃に呼ばれビクリと肩を跳ねさせた。
「は、はい。王妃さま」
「そういえば、あなたのご息女……義理のほうよ。王太子の婚約者候補のあの子。領地で療養中だそうだけれど、お元気になったのかしら?」
イザベラは内心冷や汗をかきながら、なんとか笑顔を作る。
「あの子については、夫がすべて管理しておりまして。私も領地へ遣いをやったりしているのですが、血のつながりがないせいか避けられているようで……」
領地に密偵を送り、小さな離島にオリヴィアがいることはわかった。だが肝心の島に入ることができない。護衛は多いし、唯一物資を島に届ける船もアーヴァイン侯爵の部下が管理し見張っている。
遠回しにそれを伝えると、王妃は「まだ侯爵との関係は新婚の頃と変わらないのね。羨ましいわ」と笑った。これは意訳すると「まだ中立の侯爵をこちらの貴族派側に引き入れられないのか」と言っているのだ。
イザベラは顔を青くし震えた。娘のジャネットも母の様子に怯え始める。
「氷の侯爵は美しいものね。国王陛下もお気に入りなのよ。そしてその娘もまた美しく、王太子のお気に入り」
王妃は水色の花をつけた木を眺め「美しくても、邪魔になるなら剪定してしまわないとね」と薄く笑った。
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