第7話 忘れていた毒殺事件
部屋にずらりと並べられた化粧品の数々を眺め、うっとりとため息をもらす。
夢のような光景に、何時間でもこうしていられる気がした。
「すごい量ですねぇ。こんなにあると、全部使うのは難しいんじゃないですか? 売っちゃいますか?」
指でコインの形を作るアンにあきれる。
もらったばかりで、すぐに売るという発想になるのが彼女らしい。
「何言ってるの、アン。全部使うわよ。とりあえず使い心地や発色を確認して、色を混ぜたり重ねたり、色々試してみたいわ」
「え……数えきれないくらいありますけど? というか、もしかしてお嬢様ご自身で化粧をされるおつもりですか?」
「もちろん! ああ、本当に夢みたい。ブラシもこんなに種類がある。なんて素敵なの~」
今朝、これらが届いたときは本当に驚いた。
肌にも髪にも使えるローズウォーターや香油などの基礎化粧品類に、白粉や頬紅などの化粧品、そしてブラシなどのメイク道具が数えきれないほど。メイドの手によって部屋に次々と運びこまれていく様子は圧巻だった。
執事長が昨日、すぐに用意するとは言っていたが本当にすぐだった。しかも私の考えていた一式の量ではない。百式……いや、千式くらいある。
アーヴァイン侯爵家の執事長は、どうやらとても有能らしい。できれば味方になってほしい存在だ。昨日の様子だと私を蔑ろにする様子はなかったけれど、実際のところはどうだろう。。これからゆっくりと見極めていかなければ。
とりあえず、いまは手に入れた化粧品類の把握だ。
鼻歌を歌いながらブラシの柔らかさを確かめていると、ノックの音が響いた。
入室を促すと、入ってきたのは穏やかで理知的な目をした青年、フレッドだ。
彼が今日からこの離れの仕事を取り仕切ってくれる執事で、なんと執事長の孫らしい。確かに目元がそっくりだ。
「オリヴィアお嬢様。そろそろお時間ですが、準備はよろしいでしょうか?」
「ええ。行きましょう、アン」
アンを伴い、フレッドの先導で離れを出て本邸の食堂に向かう。
家族と食事をするためだ。
今朝、フレッドが挨拶に来たあと言ったのだ。「旦那様が、体調に問題なければ晩餐に出席にするように、とのことです」と。
フレッドは私の体を心配し、無理することはないと言ってくれたが、そういうわけにもいかない。なにせ当主のご命令なのだから。
それに二度目の人生で継母には会ったが、父と義妹にはまだだ。ふたりが一度目の人生と変わりないのかも確認しておきたかった。
◆
静かな食堂に、微かにカトラリーの音が響く。
テーブルウェアで飾られた長卓には継母と義妹、そして父がつき食事をしている。
派手なドレスを着た巻き髪の少女が、継母の連れ子で義妹のジャネットだ。相変わらず継母によく似た、嫌な目つきをしている。
私のことを嫌悪しているのも、一度目の人生と変わらないようだ。
暖炉を背にしているのは、アーヴァイン侯爵家の当主、クライヴ・ジョン・アーヴァイン。この場で唯一血の繋がりのある、私の実の父親だ。
一度目の人生で最後に見たのは、牢獄塔へ連行されるときだ。
冷めた目を私に向け「何と愚かな娘だ」とひとこと呟いただけ。愛情はどこにも見当たらなかった。
二度目の人生でも同じなようで、食堂に現れた私を見て「来たか、オリヴィア」と言った父の目はやはり冷めていた。
悲しくないわけではないが、愛してくれない父親の心よりもいま問題なのは——。
煌びやかな長卓の上に並べられた食事を眺め、その量の多さと内容に、思わずうっと口に手をやりたくなった。
(見渡す限り、肉肉肉ね。見てるだけで胸やけしそう)
鶏、豚、仔牛、鴨にウサギに羊に鹿。とにかくこの世界の貴族は肉ばかり食べるのだ。魚介類は海が近くにないためほとんど食卓にはあがらない。野菜は肉と一緒に調理されることはあっても、サラダなどの野菜メインの料理としてはまず出ない。貴族が好まないのだ。
どの料理にも毒は盛られていないようだが、毒がなくても肉と油に殺されそうだと思った。
いまの私の体には、少々ヘビーな料理ばかりだ。デトックスにも程遠い。
家族の手前、創造神に形ばかりの食前の祈りを捧げはしたものの、食べようと言う気にもならなかった。
「アン。フルーツをいくつか取り分けてくれる?」
「畏まりました」
大皿からブドウやリンゴを取り分けてもらう私を、父がじっと見つめてくる。
「……お父様、何か?」
「いや……。体調を崩していたそうだな。食欲がまだ戻らないなら、例の件は難しいか」
例の件とは何のことだろう。
父は食事の手を止め、私たちを見るとゆっくりと口を開いた。
「神託が下った」
父のその言葉に、継母たちが驚いたようにカトラリーの音を立てた。
私はまじまじと、父の平然とした顔を見つめる。
そうか、この年だったか。神殿に、創造神デミウルの神託が降りたのは。
「あなた。神託とはどのような内容だったのです?」
「聖女が現れるという神託だ」
「聖女……伝説の、光の女神と契約を結ぶ乙女ですね!」
ジャネットの言葉に父がうなずく。
私は知っている。このあと、父が何を言うのか。
「三年後、王立学園に聖女が現れるそうだ。そこで三年後に入学する年齢に該当する貴族の子女は王宮にて国王陛下に謁見することになった」
「三年後ということは……」
「私、該当するわ! 王宮に行けるんですね!」
ジャネットは、まるで自分が聖女であるかのように顔を輝かせている。
悪役令嬢オリヴィアをいじめる更に上の悪役のくせに、とその図太さに感心してしまった。
「ああ。……オリヴィア。お前もだ」
父の言葉に、シンと部屋が静まり返る。
歪な家族たちの目がそろって私に向けられた。
「私は——」
「お姉様には無理です!」
私の言葉を遮り、ジャネットが悪意のある笑顔で言った。
「そんなにやつれていては、侯爵家の令嬢は病人だと王宮で噂になってしまうもの。国王陛下にもその状態でお会いするなんて失礼よ」
そうだ。一度目の人生でも、ジャネットにまったく同じことを言われた。
反論せず黙っていた私に、父は確か「無理をする必要はない」とジャネットの意見に賛同したはず。
当然私は聖女ではないので、王宮に行く必要はないのだ。国王陛下にお会いしたいとも思わない。むしろ一度目の人生で関わった王族たちには、近づきたくも——。
(……待って。そういえば、謁見の日に何かが起こったんじゃなかった?)
私は行かなかったが、王宮で歴史的大事件が起きたのではなかったか。
事件。そう、事件だ。王族のひとりが謁見の日に亡くなった。それは私と同じ年の子どもで——。
(そうだ! 第一王子殿下が毒殺されるんだ!)
思い出した。謁見の日、王太子宮で前王妃の息子である第一王子が何者かにより毒殺されたのだ。
そして現王妃の長子である第二王子が王太子となり、のちに私はその婚約者となった。
もしかしたら、現王太子の第一王子が死ななければ、ゲームのシナリオが変わり、私の運命にも影響があるかもしれない。
「お父様!」
迷いはなかった。
愛のない父の視線に臆することなく、真っすぐに見据える。
「私も王宮に参ります」
「まあ! 何を言うかと思えば」
「お姉様、鏡を見てから言ったら? とても王宮に行ける姿じゃ——」
「王宮からの呼び出しを拒否するなど、それこそ不敬です」
不敬という言葉に、継母も義妹も面白くなさそうな顔をしたが口を閉じた。
「失礼のないよう身なりを整えれば、連れていっていただけますか?」
父を見つめながら問えば、氷のように冷たい目が細められ「いいだろう」と返事が。
「ありがとうございます、お父様」
継母や義妹は、無理に決まっていると言いたげな嘲笑を浮かべていたが、私には自信があった。
全国売上一位を記録し、社長に表彰されたこともある前世の美容部員の私が叫んでいる。
(腕が鳴るわ!)
◆
三日後、謁見の日。
髪を結い、自ら化粧をほどこし、謁見用に急遽あつらえたドレスを身に纏って本邸のエントランスに向かった。
ヒールを鳴らしゆっくりと現れた私の姿に、継母や義妹だけでなく、父さえも驚き固まっている。
「嘘よ、こんなの……ありえないっ!」
わなわなと震える義妹に、私は王宮に行く資格を得たのを確信し、悪役令嬢らしく笑ってみせるのだった。
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