第8話 悲運の王子


「お待たせいたしました、お父様」


 ドレスの裾を軽く持ち上げ、礼をする。

 顔を上げると父と目が合い、今度は私が驚いた。

 父の表情が、いままで見たことのないものに変わっていたのだ。何かを懐かしむようなその表情には、愛のようなものが滲んでいる気がした。


「似ているな……」


 ぽつりと、父が何かを呟いたけれど、すぐにジャネットが「ありえない! どんな魔法を使ったのよ!」と騒ぎ出したので、最後まで聞き取ることができなかった。

 ジャネットの反応を見るに、私の姿は合格だということだろう。準備を手伝ってくれたアンも、私を見て何度も「本当にお美しいです……!」とため息をついていた。

 この三日、デトックスに集中し、執事長にもらった基礎化粧品で肌を磨き、血色の良く見えるメイクを研究した甲斐があった。


『えっ!? クリームに顔料を混ぜるんですか⁉』

『そうよ。白粉をつける前に、ノリや持ちを良くするために薄く塗るんだけど、それに色をつけて血色良く見せるの』

『ええっ!? 白粉にも顔料を混ぜちゃうんですか⁉』

『もちろん。真っ白な白粉なんて浮いちゃうし、顔色も良く見せられないもの。ピンクをベースに、目の周りは少し黄色やオレンジも混ぜると、青黒いクマも隠せるわ。頬の下に真珠入りの粉をつければ、ハイライトになってこけた部分を誤魔化せる。……使うのもったいないけど』


 メイクについて語るたび、アンはひたすら感心していた。

 目がまた金貨になっていたので、私が教えた知識を使って一儲けするつもりだろう。

 アドバイス料でもとってやろうかと考えていると、目の前にスッと大きな手が差し出された。


「行くぞ、オリヴィア」


 父の緑色の瞳が私を映している。

 何を考えているのかは読めないが、冷たさはないように思う。私は少し緊張しながらその手を取り、馬車に乗りこんだ。


 はじめて触れたように感じた父の手は、グローブ越しなのになぜかとても温かかった。



「ここが王宮……なんて立派なのかしら! 王族になるとこんな所に住めるのね!」


 王妃にでもなるつもりなのか、ジャネットが野心に満ちた顔で言った。

 王宮に到着し馬車を降りてすぐ、義妹はそんな風にはしゃぎだしたが、私は逆にいまにも帰りたい気分になる。

 まさか二度目の人生でもここに来るハメになるとは。出来れば避けて通りたかった。今日で訪れるのが最後になればいいのだが。


「おい、団長じゃないか?」

「本当だ、団長がいらっしゃるぞ!」

「団長! 今日は休みを取られていたのでは?」


 黒い騎士服を着た男たちが、父を見て大勢集まってきた。

 皆、騎士服の上に短めのマントを羽織っている。彼らはおそらく、第二騎士団の団長を務める父の部下たちだろう。


「休みだ。これから陛下に謁見する。私に構わず持ち場に戻れ」


 散れ、とばかりに手を払う父だったが、騎士たちは立ち去る様子はない。

 父が怖くはないのだろうか。無表情で、何を考えているのかわからない、冷たい態度の人なのに。まさか案外慕われていたりするのだろうか。


「今日が謁見の日でしたか」

「ではそちらがアーヴァイン侯爵家のご令嬢で——」


 騎士たちの目が一斉に、父の後ろにいた私に向けられた。


「これは……!」

「な、なんと美しい」

「まるで女神のようじゃないか」

「団長の亡くなった奥方様に瓜二つでは?」

「確かに、イグバーンの宝石と謳われたあのお方にそっくりだ」


 何やら騎士たちが囁き合っているが、よく聞き取れない。それに何だか目が怖い。

 あまりにも凝視されるので、そっと父の影に隠れる。

 するとどこからか「女神……いや天使」と聞こえてきたが、幻聴だろうか。ここには悪役令嬢しかいないのだが。


「はじめまして! 騎士の皆さま! 私、アーヴァイン侯爵家の娘、ジャネットと申します!」


 突然、ジャネットが私を押しのけるように前に出て、騎士たちにお辞儀をした。

 父がいつもお世話になっています、とご機嫌で話し出す義妹に、騎士たちは戸惑ったように顔を見合わせる。


「団長のところ、娘さんはひとりじゃなかったか?」

「ほら、数年前に総団長の親戚筋の未亡人と……」

「ああ。例の後妻の連れ子のほうか」


 騎士たちの反応が不満だったのか、ジャネットはぐいぐいと前に出て自分のアピールを始めた。


「私、ずっと騎士団の方々に憧れていたんです! 他家の令嬢たちとのお茶会でも、いつも騎士の皆さまの話題で持ち切りで——」


 ぺらぺらと喋るジャネットに、騎士たちが圧倒されている。

 彼らの視線が義妹に集中していることに気づき、私はハッと辺りを見回した。

 チャンスだ。父たちと離れ単独行動をとるならいましかない。


 じりじりと後ろに下がり、気づかれないよう距離をとる。まだジャネットのお喋りは止まらない。誰もこちらに気づく様子もない。

 私は王宮に出入りする貴族たちに紛れるようにしてその場を離れ、右手の庭園へと身を隠した。


「意地悪な義妹さまさまだわ。よし、私がいないことに気づかれないうちに行かないと」


 目指すのは、第一王子がいるだろう王太子宮だ。

 目的は第一王子の暗殺の阻止。


 第一王子は乙女ゲーム【救国の聖女】では名前すら登場しない過去の人だったけれど、この世界では彼はまだ生きている。名前のある立派なひとりの人なのだ。

 シナリオに逆らい生き続けてくれるなら、私の運命を変える一手になるかもしれない。仮に影響がなかったとしても、知っていて見殺しにするのは寝覚めが悪くなりそうだ。だから助ける。自分のためにもなると信じて。


 一度目の人生で、王太子の婚約者として何度も訪れている場所だ。王太子宮への道は熟知している。

 バラの咲き誇る庭園を抜け、小川にかかった橋を渡ると、高い生け垣が現れた。この向こうが王太子宮である。

 花のアーチの前に創造神デミウルの石像が立っていたので、思わずぺしりと頭の部分を叩いてしまった。叩きたくなる丁度いい高さだったのだ。別に恨みを晴らそうとしたわけではない。


「だいたい、本物のデミウルは全然ちがうし。見た目も中身もただの小僧って感じなのに」


 彫刻や絵画、書物で目にする創造神は、性別不明の人間の大人の姿をしている。長いローブのフードをかぶる姿は、前世で見た聖母マリアに少し似ていた。

 実際に会った彼は、まるで威厳のないちびっこ神だったが。

 いま油性ペンを持っていれば、デミウル像にらくがきをしてやったのに。鼻毛やうずまきほっぺを描いてやったのに。などと若干悔しく思いながら花のアーチをくぐる。

 するとふわりと甘い花の香りがし——。



「誰だ?」



 白いカサブランカが咲き乱れる庭。その中に建つ、蔦の絡まったガゼボの下から声がした。高くも低くもない、凛とした声。

 少年だ。テーブルにつき、本を片手にこちらを見ている。

 柔らかそうな黒髪の下からこちらを覗く瞳は、星空を閉じこめたような深い青。それは直系の王族の特徴的な瞳である。


「君は……」


 私を映した青い瞳が、大きく見開かれる。


(彼が……)


 ゲームでも、一度目の人生でも目にしたことのない、悲運の王太子がそこにいた。

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