第6話 毒盛り料理、再び
「ヒマだ~……」
ベッドの上で、ヨガのハッピーベイビーのポーズをしながら、ひとりごちる。
仰向けに寝転がり膝を開いた状態で胸に引き寄せ、両足の裏をつかむというこのポーズ。この世界では破廉恥気回りない体勢なので、部屋にひとりきりのときにしかできないのだ。
アンにこのポーズを見られると枕元のデミウル像を増やされそうなので、こうしてこっそり行っている。
それにしても——。
「ヒマすぎ。さすがに引きこもり生活一週間になると飽きてくるなぁ」
軟禁されているのを逆手に取り、デトックスに集中してきた。おかげで体調は確実に良くなっている。
血行が改善され青白さがなくなってきたし、内臓も回復したようで食欲もでてきた。髪や肌の潤いはまだまだなので、栄養をとりつつ化粧水やオイルでケアをしたいところなのだが……。
「忘れてたけど、この頃の私って、美容に関するものは全部取り上げられてたんだよねぇ」
化粧品だけでなく、ドレスや宝石類もすべて継母イライザが管理している。
一度目の人生でも王立学院に入学するまで、私は貴族令嬢らしい生活はさせてもらえなかったのだ。
「別にどこに行くわけでもないし、着飾りたいとは思わないけど、やっぱり前世美容部員としては肌の手入れとメイクはしたいんだけどなぁ」
美容に関することは、仕事であり趣味でもあり、そして生きがいだった。
肌の手入れは何時間でもかけられるし、メイクの研究も時間を忘れて没頭できる自信がある。化粧品さえあれば、ヒマでヨガをやりすぎてデミウル像を量産することもなくなるだろう。
「とは言っても現状何もできることはないし……散歩でもしちゃおうかな」
離れの裏の林なら人目につくこともないだろう、とベッドを降りようとしたとき、部屋にノックの音が響いた。このタイミングの悪さはもしや……。
予想通り、返事も待たず部屋に入ってきたのは、今日も眉間に深いシワを刻んだメイド長だった。
「また、離れを抜け出そうとしていましたか?」
私を見下ろしてくるメイド長に、こてんと首を傾げて見せる。
「まあ、何のこと? 手洗いに行こうとしただけよ」
とぼけて微笑んでいると、メイド長の後ろ、部屋の入口にアンが現れた。
青い顔をしてワゴンを押してくる。ワゴンの上には銀のフードカバーと、グラスにカトラリー。
(そろそろかなとは思ってたけど、やっぱり来たか~)
カバーの下を見なくてもわかる。
毒である。毒盛り料理である。
デトックスで体調が良くなり、食事の内容を変更したことがメイド長の耳に入れば、また毒を盛られるだろうことは予想していた。なので驚きはないが、代わりに妙な期待が湧いてしまう。
今度はいったいどんな毒だろう、と。
「お食事の内容から見ると、随分と回復されたようですね。安心いたしました。元気になられたのなら、もっと食事の量を増やしたほうがいいですね」
「……そうね。少しずつ増やしていくわ」
「あなたの食事だけ別にしていては手間でしょう。私のほうから料理長に伝えておきます。よろしいですね?」
料理のリクエストなど、勝手なことはするなと言いたいらしい。
仕方ないが、料理長にはこっそり作ってもらうよう頼むか。だがバレたときには彼や厨房の使用人たちに迷惑がかかるかもしれない。それは避けたいところだが——。
「随分と不遜な物言いですね」
どう対応するか考えていると、入り口から落ち着いた声がした。
ハッとそちらに目を向けると、アンの後ろにグレイヘアの初老の男性が立っている。
口髭を短く整え、黒のコートにグレーのズボンを着ている彼は、先代から仕える侯爵家の執事長だ。家令の役割も担っている使用人のトップである。つまり、メイド長よりも上の立場にいる人だ。
ちらりとメイド長をうかがうと、明らかにまずいという顔をしていた。
「し、執事長がなぜ離れに?」
「オリヴィアお嬢様にお伝えすることがあって参りましたが……これは一体どういうことですかな?」
「何か勘ちがいをされているようですが、私はお嬢様にお食事の提案をしていただけで——」
「聞いていましたよ」
執事長はワゴンを見下ろすと「失礼いたします」と言ってフードカバーをとった。
私にしか聞こえない電子音が連続で鳴る。やはり真っ赤な警告ウィンドウが表示された。
昼食にと用意されたのは、キャベツとトマトのオートミールスープ、ビーンズのハーブソテー、それからチーズとフルーツのサラダだ。デトックスと美肌に特化した、彩り鮮やかなメニューである。
まあ、全部毒入りなのだが。
(表示されてるのは【ジャコニスの鱗粉(毒Lv.1)】か。この前の毒とはちがうけど、レベル1なら食べても大丈夫なやつだよね……?)
一週間前に食べた毒入り料理の極上の味を思い出し、溢れかけたよだれを飲みこんだ。
「ふむ……」
執事長はちらりと私を見た。
理知的なまなざしに、背筋がピンと伸びる。
「オリヴィアお嬢様。少々お手をよろしいですかな」
「手……?」
「失礼いたします」
執事長は恭しく私の手を取ると、グローブをはめたまま手首の辺りに触れた。
骨と皮しかない腕を見て、一瞬彼が眉をひそめる。
「いま現在、お身体に不調はございますか? 痛みや吐き気、目眩などはございませんか?」
執事長の真意を測りかね、私は口をつぐんだ。
彼はなぜ、急に離れに現れたのだろう。何をどこまで知っているのか。
アンが不安そうな顔で私たちの様子をうかがっている。アンが運んできた料理に毒が入っていることが知られたら、彼女の身が危ういかもしれない。
言い淀んだ私に何を思ったのか、執事長は深刻な表情になる。
「伏せることが多いと聞き及んではおりましたが……ここまでとは」
執事長は私をベッドへとうながすと、メイド長を睨みつけた。
「メイド長。オリヴィアお嬢様がこのような状態になるまで、あなたは一体何をしていたのです?」
「も、もちろん、離れで静養をしていただいて——」
「医者にも診せず、栄養の管理もせず、何が静養でしょう。あなたはただ、お嬢様をここに軟禁していただけではありませんか?」
「軟禁⁉ バカなことを言わないでください!」
濡れ衣だ、とばかりに反論するメイド長に感心してしまう。彼女の前世は女優だろうか。
「ええ、まったくです。こんなバカげたことを仕出かす者に侯爵家のメイド長を任せていたかと思うと、自分が情けない。使用人たちがお嬢様の話をしてくれたから気づけたものの……取り返しのつかないことになる所でした」
「な、何をおっしゃっているのかわかりません」
「ではわかりやすく簡潔にお話しましょう。メイド長。あなたを只今をもって解雇します」
執事長の言葉に驚いたのは、メイド長だけではない。
私もアンも突然の展開についていくことが出来ず、ふたりを交互に見るだけだ。
「奥様がそのようなことをお許しになるはずがありません! 私は奥様がこちらに嫁がれる前からお仕えして——」
「何か勘ちがいをされているようですが、侯爵家の使用人の雇用権限は私に一任されています」
「お、奥さまは侯爵家の女主人ですよ!?」
「その通り。ですが、アーヴァイン侯爵家の当主は旦那様です。私はその旦那様の御意向に沿って動いております。この意味がお分かりになりますかな?」
メイド長が膝から崩れ落ちる。
いくら継母の後ろ盾があっても、当主である侯爵には逆らえない。継母も恐らく、侯爵を敵に回すくらいなら、メイド長を切り捨てるだろう。
執事長が、茫然自失状態のメイド長からアンへと視線を移すのがわかり、私はハッとして彼の袖を引っ張った。
「執事長。そこまでする必要はないわ」
「オリヴィアお嬢様……しかし」
「事を荒立てたくないの。この人が私に近づかないようにしてくれればそれでいい。他には何も望まないわ」
アンに累が及ぶのは困る。いまのところ私の唯一の味方なのだ。
お金で繋がったギブアンドテイクに近い関係だけど、それでもアンしかいないのだから、私が守らなければ。
執事長は納得がいかない様子だったが、私が頼みこむと渋々了承してくれた。
メイド長はその役職を取り上げられ、いちメイドとして継母の元に戻されることになった。離れに近づいた場合は処罰すると執事長に言い渡され、悔しそうな顔をして去っていった。
メイド長がいなくなると、執事長は好々爺のように優しげな微笑みを私に向ける。そして離れに出入りする使用人を指揮する執事をひとりつけると約束してくれた。
「奥さまに遠慮をしたばかりに、お嬢様には苦しい思いをさせてしまいました。誠に申し訳ございません」
「いいのよ。私は無事で、いま生きているもの」
「お嬢様……何かお望みのものはございませんか? お詫びになるとは思っておりませんが、すぐにご用意させていただきます」
何でもお申し付けください、と執事長があまりに悲痛な顔をして言うので、それならばと遠慮なくおねだりすることにした。リクエストはもちろん——。
「化粧品類一式をお願いするわ!」
ちなみに毒入り料理は「作り直させます」と執事長がにこやかに下げてしまった。
ちょっと食べてみたかった、と思ってしまう自分がいるのが悔しかった。
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