第5話 悪魔崇拝と強肝ハーブティー
オリヴィアとしての二度目の人生が始まって三日目。
表向き、私は体調を崩し離れで休養中ということになっているが、実際は——。
「お嬢様。またその面妖なダンスを踊られているんですか……」
メイドのアンが、部屋に入るなり私を見てなんとも言えない顔をする。
「ダンスじゃないわ。ヨガよ、ヨガ」
片足を後ろに下げ、前の膝を曲げ、両腕を前後に伸ばす英雄のポーズをしながら私は答えた。
ヨガは腹式呼吸で血行を促進し、新陳代謝を高める。内臓を刺激するので便通も良くなる、デトックスにぴったりの運動だ。
毒で弱っているこの体では、ジョギングなどの激しい運動はできない。ヨガはその点でも私に打ってつけなのだ。
「アンも一緒にヨガをやらない? 教えてあげる」
「仕事中なので遠慮いたします。ヨガだかヨダだか知りませんけど、そんな格好をしているところを誰かに見られたら、気が狂ったと思われちゃいますよ」
夜着のドレス姿で大股を開いているのがいけないらしい。
今度は上半身を大きくひねり、前の足に片手をつけ、反対の手は天井に向け真っすぐ伸ばす三角のポーズをしながらアンを見る。
「だって、この服がいちばん動きやすいんだもの」
「いえ、服装のことではなくて。……それは魔獣か何かの真似ですか?」
「……こういう形の魔獣がいるのは知らなかったわ」
魔獣は悪魔によって生み出される、理性のない獣の総称だ。
普通の獣とちがうのは、魔法の性質を持ち合わせていること。火を吐く魔鳥や、雷を帯びた魔魚等、精霊と区別がつきにくいものも中にはいる。
精霊は相性が良ければ契約できたりと、人間に比較的友好的な存在だが、魔獣はちがう。問答無用で襲いかかってきて、意思の疎通は不可能だ。
まさかヨガのポーズをその魔獣に例えられるとは思わなかった。まあ、普通の貴族令嬢はヨガはもちろん、運動らしい運動などしないのだから、それも仕方ないのかもしれない。
ならば神秘的に見えるポーズはどうだ、と渾身の三日月のポーズを繰り出したが——。
「悪魔に祈りでも捧げてるんですか?」
「何で悪魔なの? そこは神でもよくない?」
アンが完全に引いた顔をするので、仕方なくヨガを中断しベッドに戻った。
そこまでおぞましい動きに見えるものなのか。ヨガは本当に美容と健康に良いので、毎日のルーティーンに組み込みたいし、なんなら外の芝生で風を感じながらやるのもいいなと思っていたのだが……。
他人に見られると悪魔を崇拝していると誤解される可能性があるとは盲点だった。
「お嬢様の指示通りにお茶を淹れてもらいましたよ」
アンはそう言ってワゴンをベッドの脇につけ、カップに茶色のお茶をそそぐ。
見た目は紅茶とそう変わらないが、実は味にはかなりの違いがある。
「でもこれ、本当に飲まれるんですか? 少し味見させてもらったんですけど、か・な・り、苦かったですよ?」
「そうね。確かにアーティチョークはちょっと苦いけど、ペパーミントとブレンドしたらそこまで気にならなくなるのよ」
前世の日本ではメジャーではなかったアーティチョークを食品庫で見つけたときは、内心ガッツポーズをしてしまった。
アーティチョークは強肝・利胆で知られるハーブのひとつで、海外では薬草茶、薬草酒としても利用されていた。日本では育てるには気候が合わず、調理も手間がかかるためあまり流通されていなかったものだ。たまに見かけると、嬉しくなって買い占めた。
蕾は芋のようにホクホクとして甘味があり、フライや煮込みにすると美味しい。オイル漬けにして食べたりもした。
「料理長は蕾の部分しか調理しないって言っていたけど、アーティチョークは苦~い葉の部分に肝臓の解毒効果があるの」
「葉っぱにですか? 蕾以外は捨てるのが普通だと……」
「もったいないでしょ? だから料理長に、葉やガクをまとめて煮て、乾燥させておくように伝えてくれる? 生のアーティチョークから毎回お茶を淹れると時間がかかるから、乾燥ハーブにして保存がきくようにしたいの」
アーティチョークティーをこくりと飲む。
草木のような香りが広がる。やはり苦みはあるが、ペパーミントの効果で爽やかさが追加され、後味は悪くない。ペパーミントにも肝臓や胆のうの働きを促進する効果があるので、デトックスには最適なブレンドハーブティーだ。
「乾燥ハーブができたら、アンにも分けてあげるわ」
「えっ。私、苦いのはちょっと……」
「いらない? むくみに効くし、血行が良くなって美肌になる——」
「いつ完成しますかね!? すっごく楽しみです~!」
嫌そうな顔をしていたのに、急に目を金貨にさせ小躍りし始めるアン。
後でハーブをメイド仲間に売りつける算段でも立てているのだろう。この前の玉ねぎの皮でだしをとったデトックススープのレシピでも、小金を稼いでいるらしい。
メイドとして主人に仕えているというより、私を金のなる木と考えお世話しているような気がする。
あまりにブレないので、わかりやすくて良いと思うことにしていた。
「お嬢様の知識は本当にすごいですねぇ」
「うん? デトックスのこと?」
「そうそう、デトックスです。だってお嬢様、お顔の色が見違えるほど良いですし、どんどん綺麗になられていますよ!」
アンがぐいと手鏡を向けてきたのでのぞきこむと、確かに多少血色がよくなった自分がいた。
でもまだまだだ。痩せこけているし、目の周りも黒ずんでいる。カサカサだった肌に少し潤いが戻ってきて、目の充血がなくなった程度で、健康体にはほど遠い。
「うーん。胃腸の調子が良くなって、食欲も出てきたから、食事の内容を変えて量も増やしてみようかしら」
「それはいいですね! お嬢様はもっとたくさんお食べにならないと。悪魔に祈りを捧げている場合じゃないですよ!」
「祈ってないから。ヨガだから」
継母のイライザが直接食事を運んできたあの夜以降、料理に毒は盛られていない。
毒でしばらくは動けないだろうから、盛る必要はないと考えているのだろう。毒で弱らせ、支配し、利用し、使い道がなくなれば毒で殺す。もう継母の思惑はわかっているのだ。そこをあえて利用してやる。
毒を盛られたら寝込んだふりをし、その間デトックスに励む。おとなしく離れに引きこもっているうちは、継母もメイド長もわざわざここには訪れない。まずはそうやって健康体を手に入れよう。
幸い、厨房にいる使用人たちは私に好意的だ。料理長はアンを通して伝えたデトックスレシピを忠実に再現してくれるし、もっと食材のデトックス知識を教えてほしいと言ってくれる。お見舞いにと花やお菓子をくれるメイドもいた。
軟禁中なので会うことはできないが、彼らの気持ちは伝わってきた。アン以外にも私に優しくしてくれる人たちがいることが、本当にうれしい。これは一度目の人生では味わえなかった幸福だった。
アンの他にも、私の味方になってくれる人は現れるかもしれない。
だが、信用できる人間かは慎重に見極めなければいけない。おそらく継母側の人間は、メイド長だけではないだろうから。
本当なら、血縁者が最も信頼できる可能性があるのだが——。
「……ねぇ、アン。お父様はどうされているかしら?」
「旦那様ですか? いまはお城にいらっしゃる時間だと思いますが。旦那様付きのメイドに確認してきますか?」
「ううん、いいの。聞いてみただけ」
一度目の人生では、実の父は近くて遠い存在だった。
親子らしい会話をした記憶はない。父は私が継母に虐待されていたことにも気づいていなかっただろう。記憶の中の父・アーヴァイン侯爵の態度はいつもよそよそしく、私を見る目は冷たかった。愛されてはいなかったのは確かだ。
(性悪継母と結婚するくらいだもの。きっとろくな男じゃないよね)
期待してはいけない。女の見る目のない実父など、ゆるい創造神より役に立たないに違いない。
血縁より大事なのは解毒である。
ということで、ハーブティーを飲んだあと早速ヨガを再開した。
アンはもう何も言わなかったが、次の日ベッドのそばに創造神デミウルの小さな像が置かれていたのだった。
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