三 謎の生態

 それからというもの、なんだか少し怖くなったので、僕は水くれをするのをやめた。


 それまでは是が非にでもその正体を知りたいと思っていたのだが、まあ、ここまで育てたんならもういいか…という、妥協的な満足感とそれにともなう好奇心の薄れもあったのだ。


 しかし、その後も時折、様子を見に行って観察は続けていると、それで枯れるかと思いきやそんなことはなく、むしろよりいっそう日に日に大きく成長していっているのだ。


 思うに、あの立派な根を大地の下で広く深く張り巡らし、水くれなどしなくとも水分はどこかから充分に吸収しているのだろう。


 そこで、植物の太い茎を握って軽く引っ張ってみたが、案の定、硬く地面と結びついてまったくビクともしない……これは、水くれしなくても枯れないのはもちろんのこと、上の部分だけ切り倒しても根が残るし、何か強力な除草剤でも使わない限り滅するのは難しいかもしれない……。


 なにか、とんでもないことをしでかしてしまったのかもしれない……と思い始める僕だったが、そうこうする内に僕より頭一つほど高い背丈にまで成長したそれは、天を目指すその先端部にとうとう立派な蕾を一つつけた。


 だが、その蕾を見てもやはり正体はいまだにわからない。


 大きくて、やはりヒマワリみたいな感じであるが、どこか違うようにも見える。


 とりあえず芥子に似ていなかったのは幸いだ。もしそんな感じだったとしたら、間違えて通報されかねないからな……。


 まあ、これであと二、三日もすれば花が咲く……。


 花は葉っぱや茎なんかよりも個々の種の特徴が明瞭だ。図鑑と照らし合わせるなどすれば、ようやくこれの正体がわかることだろう。


 そもそもそれが本来の目的だったんだし、正体さえわかればあとはもう用済みだ。


 ひょっとしたら繁殖力の強いヤベえ外来種かもしれないし、種ができて飛散なんかしたら大変なことだ。正体がわかったらすぐにホームセンターへ行って、超強力な除草剤でも買って撒くことにしよう……。


 抜けるような青空にそそり立つ、威風堂々としたその蕾を見上げながら、僕は再び好奇心を取り戻すと、少年みたいにわくわくした心持ちでその時を待つことにした。


 ……ところがである。


 三日経っても四日経っても、一向に花の咲く気配がないのだ。


 いや、そのまま弱って枯れてしまうだとか、蕾が萎んでしまっただとかそういうわけでもない。


 若干、開きかけたようにまではなったが、またそこから先へまったく進まなくなってしまったのである。


 どういうことだろう? 蕾ができてから花が咲くまでに時間がかかるのか?


 不思議に思い、変わりばえのしない蕾を眺めながら小首を傾げる僕であったが、他方、このアパートを中心としたご近所界隈では、些細ながらも不可解な出来事がまたしても密かに起こっていた。


「最近、やけに静かだと思ったら、鳥の声をぜんぜん聞かないわねえ」


「ああ、そういわれてみれば……スズメもハトもぜんぜん見ないわねえ」


 最初にその異変に気づいたのは、そんな近所の奥さん達の世間話を聞いた時だった。


 そういえば、確かにここのところ、鳥の鳴き声を聞いた憶えがないし、その姿を見ることもなくなったように思う。


 電線を埋め尽していたムクドリもいなければ、しつこくゴミ捨て場を荒らしていたカラスなんかもいなくなっているのだ。


 皆、どこへ行ってしまったのだろう? 渡り鳥ならばわからなくもないが、カラスまでいなくなるというのはやっぱり異常だ。


 それに、またある日のこと……。


「タマ〜! タマ〜! ごはんあげるから戻っておいで〜!」


 やはり近所に住むおばさんが、いつも世話をしている地域猫を捜しているところに出くわした。


「どうかしたんですか?」


「それが、二、三日前からどっかへ行っちゃったのよ。今までこんなに長く姿見せないなんてことなかったのに……」


 気になって尋ねてみると、心配そうな面持ちでおばさんはそう答え、再び猫の名を呼びながら捜索を続けるために歩いて行ってしまう。


 ……いや、その猫だけじゃない。思い返せばここ最近、野良猫もこの界隈で見かけなくなったような気がする。


「いったい、何が起こってるんだ……」


 もしかしたら偶然が重なっただけで、ただ単に鳥や野良猫達が寝ぐらを変えただけなのかもしれない……。


 周りの植物が枯れたのだって、ただタイミング的にそう関連づけてしまっただけで、まったくの無関係なのかもしれない……。


 でも、僕にはどうしても、これらの不可解な出来事の原因が、この謎の種の植物にあるのではないかという考えから逃れることができなかった……。


 さて、そうした不穏な気持ちを心の奥底に抱きながら、なおも花の咲くその時を待っていた僕は、その間、ずっと蕾を観察していてふと気づいた。


「……! いや、違う。これは咲かないんじゃない……僕は、大きな思い違いをしていたんだ……」


 この開きかけた蕾……これは開きかけているのではなく、一旦、開いたものがまた閉じた状態なのではないかと……。


 そう。朝顔とか夕顔とか、一日のある時間帯にだけ花が咲き、すぐに閉じてまた次の日になれば咲く……これは、そうした類のものなんじゃないだろうか?


 だとしたら、いくら待っても花が咲かない謎も容易に説明がつく……咲かないのではなく、僕の見ていないところですでに咲いていたのである。


 では、いったいいつ咲いているのか?


 昼はどの時間帯も見に来たことがあったと思うし、夜も何度かコンビニに行った帰りなど確認したことがある……とすれば、まだ見に来たことのないのは夜型の僕にとっては弱い朝、それも日が明けるか明けないかくらいの早朝だ。


 朝短い時間だけ咲いてすぐ閉じてしまうのだとすれば、僕が咲いているところに出くわさないのもおかしくはない。


 そうか……そういうことだったのか……これはさっそく、明日の夜明け前に確かめてみよう……。


 そんな結論に至ると、その日はいつもより早くベッドに入り、目覚ましをめいっぱいにかけて早起きを試みることにした。

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