ニ 謎の植物

 ホームセンターで鉢や土、肥料やジョウロなど園芸用品を一式買い込み、さっそく素焼きの小ぶりな鉢に種を撒くと、ベランダの日当たりの良い場所へ置いて水をくれてやる……。


 すると、まだかまだかと待つこともなく、次の日にはもう、あっさりと芽が出ていた。


 まあ、予想していた通り、なんの変哲もない黄緑色の双葉の芽だ。


 この様子では、あまりおもしろい結果にはなりそうもないが、どうやら順調には育ってくれそうである。


 そんな風に楽観的な見方をして、その後、毎日せっせと水くれをしていた僕であるが……どうにもそれ以降の発育がよくない。


 栄養が足りないのかと肥料を増やしてもみたが、多少芽が伸びただけでやはりそれ以上の成長は望めそうもないようだ。


 いや、それどこれか日に日になんだか萎びてゆき、このままでは育つまでもなく枯れてしまいそうである。


 栄養じゃないとすると、鉢で育ててるのが悪いのだろうか?


 こうなったら仕方がない。僕は一縷の望みを託し、夜な夜な鉢を持って外へ出ると、人目につかないアパートの敷地の隅にこっそりそれを植えてみることにした。


 深夜、空に墨を垂らしたような暗闇に紛れ、他の住人達に気づかれないよう足音を忍ばせながらアパートの裏手へ回ると、無雑作に雑草の生えたブロック塀の際を静かに掘り返し、鉢の土ごと種から出た芽をその穴へと植え替える……。


 その際、なぜ芽があれ以上成長しなかったのか? その理由がなんとなくわかった。


 まだ小さな芽だというのに、鉢の中はびっしりとその根で埋め尽くされていたのである。


 おそらく、この素焼きの鉢では小さすぎたのだ。もっと広く根を張るための広い大地が必要だったのだろう。


 だとすれば、僕の選んだこの判断もあながち間違いではなかったのではあるまいか?


 はてさて、そうしてアパートの裏に植え替えた後、人目を忍んで再び水くれに精を出していると、思った通りに芽はぐんぐんと大きくなっていった。


 朝、見る度にそれは大きくなっており、日に数センチは伸びているようだ。鉢で育てていた頃の発育不良がまるで嘘のようである。


 あれよあれよと言う間に、その背丈は人間の大人と同じくらいの高さにまでなってしまった。


 いまだなんの植物なのかまではわからないが、茎や葉っぱの見た感じは、さほど珍しくもない、ありふれたもののような印象を受ける。


 例えるならば、ヒマワリみたいな感じだろうか?


 ともかくも、興味本位で始めた園芸・・の真似事ではあったが、こうして順調に育ってくれると、なんとなくうれしいものである。


 なんか、このまま園芸が趣味になってしまいそうな勢いだ。


 だが、そうして僕がささやかな幸せをアパートの敷地の隅に見つけていたその頃、この近隣界隈では少々不穏な出来事が起き始めていた……。


 あれほど繁茂していたコンクリ壁周辺の雑草が軒並み枯れてしまったのだ。


 いや、壁の周りばかりではない。見ればアパートの敷地内に生えていた草という草がカラカラに枯れて、茶色く小汚い感じに萎んでいるではないか!


 ふと見れば、今やこの土地で青々と元気にしているのは、僕の植えた謎の種の植物ただ一本である。


 小さな芽の段階でもすごい根をしてたし……もしかして、この植物が土の栄養分をすべて吸い尽くしてしまったのだろうか?


 また、そんな疑念を抱いて謎の植物を眺めていたその時、コンクリ壁を隔てたとなりの家の庭で、住人のおじさんが松の木を伐採しているのに僕は気づいた。


「あれ? その松、切っちゃうんですか? もったいない」


 その家の松は素人目にも充分にわかる、ずいぶんと立派な枝ぶりをしていたように記憶している。


 だから一生懸命、ギコギコとノコギリを引いて枝を切っているおじさんに、思わず僕はそんな風に声をかけてしまった。


「いやあ、それがさ。こいつ、急に枯れちまったんだよ。確かにいい松だったんだけどな。松食い虫なのかなんなのか知らねえけど、こうなっちゃもう切るしかないからな……」


 するとおじさんは、一旦、ノコギリを引いていたその手を止め、太い眉毛を「ハ」の字にすると、なんだか口惜しそうな表情でそう答えてくれる。


 ……ま、まさか……ひょっとして、この松もこれ・・のせいだったり……?


 他の枯れた雑草にしても、まだそうだと決まったわけではない……だが、そんな疑念にますます捉われてしまった僕は、首にかけたタオルで汗を拭き、再び作業へと戻ってゆくおじさんに何も告げることなく、どこかうしろめたさを感じながらその場を後にした……。

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