怨嗟と混乱

マーカスは総司令部に着くまでの間に、市内の緊迫した状況を感じ取った。目貫通りの店は閉じており路地には誰一人としていなかった。時より火の手や叫び声が上がっていたが、恐らく暴徒化した奴隷によるものであろう。


司令部は近衛騎士団の司令室に設けられていた。

敵拠点からこのように離れていては、戦況に対応できないではないかと疑問を通り越して怒りすら覚えていた。

敵は監獄を拠点に市内の各地で略奪やテロ行為を行なっているようであった。この監獄はザドが建国当初からある古いもので、要塞として建設されたものある。老朽化してはいるが外からの攻撃に対しては正に要塞であった。


要塞には、暴徒やテロは陽動にしてかなりの物資を要塞に運び入れていた。この事実はまだマーカス討伐軍は知らない。このことから言ってもこの暴動は軍部出身それも指揮の取れる高級軍人が関わっていることは明らかであった。

この情報が早い段階でザド側に伝わっていれば、対応と結果は違っていたかもしれない。


マーカスは援軍が到着して包囲網が完成するまで、市内の暴徒鎮圧を命ぜられた。担当は市内の西側とだけ命ぜられた。

その一帯で暴徒が多発しているとのことで、配備図を渡され、適宜に中隊を巡回させよとのことであった。

「なんと適当な。援軍が来るまで適当に時間を潰してろってことか?」と漏らした。


その日の日中は行軍の疲れもあるため、兵を休ませて日没より一個中隊で巡回を開始した。残りの一個中隊は副司令とともに翌朝まで待機することになった。


日没を過ぎると市内であるのにあたりは真っ暗になった。民家から漏れる光すらない。まるで誰も住んだいないようであった。

突然、悲鳴と怒号が響き渡る。

急いで駆けつけると、貴族の家が襲われていた。今にも門扉が打ち壊されようとしていた。急ぎ抜刀の号令を出し突撃をした。暗闇で市街戦では迂闊に銃は使えない。


暴徒達はマーカスの兵に気がつくと、スグに逃げ出していった。

マーカスは襲われた貴族宅の被害の様子を聞いた。門扉を壊されただけで人的な損害はないとのことであった。

その、報告を受けながら違和感を感じていた。

暴徒どもの逃走の仕草に、秩序を保っていたように見えた。そう、東方辺境の盗賊の血相を欠いて逃げるようなものではなかった。

その疑問を拭えぬまま、巡回に戻るとまた、暴徒の集団に遭遇した。この時もこちらに気がつくとすぐに逃走し暗闇に消えていった。

夜明けまで都合6回もこのような遭遇戦を繰り返し全て徒労に終わった。マーカスもかなり精神を消耗していたが、気が付いたことがあった。

最初に遭遇した暴徒グループに恐らく、その日のうちに少なくとも3回も遭遇していたのである。

もはやこれは単なる暴徒ではなく、ある意図を持った軍事行動であるとマーカスは確信した。それも恐らく陽動と撹乱である。


マーカスは駐屯地に戻ると、疲れにより重くなった体を引き起こすように市内の地図の前に立った。

その地図には西側、つまり貴族街に展開図や暴徒の発生状況が書き込まれていた。貴族街であれば奴隷達は目の敵にして暴徒が頻発するのは納得がいく…

しかし、暴徒にしては組織化された行動に違和感を感じた。

「戦況を動かしているのは敵ではないか?」とマーカスは思う。


そのまま西側地区から目を離し更に俯瞰で地図を眺める。

そうすると西側地区以外にも暴徒が発生していることに目が止まる。しかし、その数は少ない。それに伴い、軍の展開も少なくなる。

地図に書き込まれるまでいくらか時間差があるだろうが留意することはないだろう。


中央広場を挟んだ東地区にはほとんど暴徒が発生していないことに気がついた。この地域は平民街だが見慣れない地図記号の建物があることに気がついた。軍関連施設のものであった。


ここが、なんの施設であることを思い出した時、マーカスは背筋が凍りついた。


軍の物資の貯蔵倉庫であった。兵器や食糧が備蓄されいた。

今兵力の大半は主戦場の西地区に集中している。これが陽動なら衆目を集めるだけ西地区に集めて、奇襲を仕掛けるはずである。問題は…いつどこであるか?

どこかは、間違いなく東地区の軍貯蔵庫である。問題はいつか?敵はどこまで読んでいるかわからないが包囲網完成前であろう。その後では敵も身動きが取れなくなる。そうなると後数日内に決行される可能性が高い。


彼はすぐに副司令に報告した。

副司令もことの重大さを理解した。しかし、渋い顔している。

彼にも副司令の渋面の理由がなんとなく理解できる。頭の硬いお歴々がこの話で動くかどうか…

そもそも、増援を呼んで包囲すれば勝てる思っている時点で現実を見ていない。

あの要塞に立て篭もるとなかなか手が出せない。長期戦になる。もちろん兵力は十分にあるので、力攻めで打ち破ることもできるだろうが、こちらもかなりの損害つまり死者が出る事になる。

戦のない200年を過ごしてきたザド軍が、奴隷相手の戦に死ねるだろうか?この点になんの疑問も抱かずに無条件に勝利を確信しているように見えた。


やはり、期待はできない。敵の動きから警備を強化せよ、との注意喚起をするとして、動けるものだけで東地区に赴くことにしようと副司令と話した。


副司令の同期に近衛師団の参謀がいるので彼にことの次第を伝える書簡を送りすぐに行動に移すことにした。


副司令は、しばらくマーカスの様子を見て書簡を準備する間に休息を取るように命じた。この付近に展開している警備隊の司令当てに兵を回してもらえるように求める書簡である。

司令のいく人かはどうやら面識があるらしい。

マーカスはこの副司令の行動力と決断力を見ていると、過去にこの副司令の意図を気付きながら黙殺したことを恥じた。

5時間後に兵を集めるだけ集めて、東地区に出発することを指示されそれまでの休息を命ぜられ副司令のもと辞した。


休息後に副司令のもとに行くとすでに数部隊が集結していたが、数はそれでも2個中隊に届かない。

敵が、物資が狙いであれば多少の犠牲は覚悟で作戦を決行するであろうから、戦闘ありきで考えれば十分とは言えない。


副指令も中央広場まで軍を下げて東地区への即応体制を取るとのことで、一団は東地区に向かうこととした。


一団が倉庫に到着したのは薄暮であった。到着後、マーカスと中佐は守備隊の司令官に面会した。

この司令官は中央より派遣された30過ぎの男の優男という印象であった。

一応は援軍に対して謝辞を言っていたが、なぜこんなところに援軍などきた?

と嫌味が多分に含まれていた。


それほど、この東地区は穏やかであった。

もともと平民街だったので、治安はそれなりではあるが、夜間でも人の気はあり酒場も開いていた。

その気配を感じて守備隊の危機感や警戒感も薄い。

まさに、敵の狙い通りと言った雰囲気で、敵も見ているなら笑いが出るであろう。


そこに苦戦していると言われている地区から増援が来たのだ。聞いたほどのこともないのかと思われても仕方ない。とマーカスは思った。

守備隊司令の顔を見る限り予想は的中したようであった。

これでは協力は期待できないか…


その後、貯蔵庫の案内を受けていると、俄に慌ただしい様子になった。兵がそこかしこに出てきたり走って様子を伝えたりしているのが目に入った。


どうやら、何か動きがあったようであった。

マーカスは確認を切り上げて、守備隊の本部へ向かった。


本部のテントに入ると、息をからせた男が抱えれて出てきた。どうやら伝令のようだ。

司令が地図を見ながら幕僚と軍議を開いていた。

幕僚の一人が、マーカスに気がつくと加わるように進めた。司令は少し怪訝な顔をしていたが、マーカスは気にせずに座った。


どうやら、敵は南の地区に襲撃したようであった。それも今までの規模とは比較にならない。

南地区は商業地区であったが、貴族も住んでいた。ここに住む貴族は下級であり、生業として貿易や商業を営んでおり、下級とは名ばかりでかなり裕福なもの多い。この下級貴族の稼ぎがザド財政基盤を支えていた。ザドの産業は主に農産物であるが、そのほとんどは大貴族が運営しており、貿易を営む貴族を通して外貨を獲得している。ザドと貴族にとってはなくてはならない存在となっていた。そして、奴隷を一番酷使していたのも彼らであった。そのつもり積もった怨嗟が今回の襲撃を苛烈なもにしていると見られた。商業地区の至る所で今まではなかった。放火による火の手が上がり当たり構わず暴行と強奪が行われていた。


軍の首脳部もこの地区の重要性を理解しているので、救援作に頭を痛めた。

西地区からは川を挟んだ対岸にあり、救援には橋を渡る必要があるが、2本ある橋をあろう事か、敵に抑えられ突破にはかなりの時間がかるとのことであった。


そして、近衛師団より一つの命令がこの貯蔵地区の守備隊に下されていた。

その事について軍議を開いていたのであった。


『守備隊は速やかに南地区の増援に迎え』


これが、命令であった。

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