マーカス

マーカスは、弟が亡くなった翌年に貴族院を卒業した。そのまま見習い騎士として数年間の経験を積んだ後に、正式に騎士として配属されるのが通常であったが、マーカスはそのまま貴族院へ残ることを選択した。


貴族院はザドの貴族の子息が集まり学ぶ場所で、社交会への入り口でもある。

13歳の歳に貴族院に入り4年間学ぶ事になる。


内容は修辞法、宗教や歴史、政治などで貴族社会で必要なものがほとんどである。

それ以前は、それぞれの家で家庭教師を雇い、基本的な読み書きや計算を教えておく、あくまで貴族院は勉強の場ではなく社交界への準備の場であった。


マーカスの選択は、異例のことではあった。

貴族院は上院があり、通常の4年間を終了すると、入学の資格を得る。推薦状が必要であるが基本的に資格があれば誰でも入ることができた。

この上院では、法律や宗教、歴史、天文学を専門的に学ぶ事になる。期間は5〜6年程度で特に定めはない。これには少し理由がある。

この上院は行政官や裁判官など、専門的な知識が求められる職業階級である。ただ、これらの職業種は在籍期間も長くあまり入れ替わりもないためポストに空きが出るまで時間がかかる。

見習いとして待っていても10年以上もポストが開かない事にもなりかねないので、これらを希望する者は上院で基本的な知識や専門性を研究し、希望するポストがあくまで上院に在籍する。

このため、上院には代々の行政官や天文官の子息が多く、またこれらの子息は、ほとんど上級貴族の中でも別格の権勢を誇るものばかりであった。


マーカスのこの行動は、もちろん自身の運命への反抗である。

彼は上院で錬金術を専攻した。この学問の活躍は過去ものであり、斜陽の学問と行っても良いほどの不人気であった。彼は社交界には興味はなかったので、ほとんど学生がいないこの専門を選択した。

しかし、この選択が彼の騎士としての地位を揺るぎないものにしてしまうことは、彼にとって皮肉なことであった。

この当時の錬金術は、金を作ることはしておらず、もっぱら化学、生物の研究をしていた。

彼は特に化学に没頭した。自身も、ただただ騎士の道に反抗するため選んだ化学と言う学問に、ここまでのめり込むとは思っても見なかった。


マーカスの父は、騎士として体を鍛えることを疎かにしないように言ったが、それ以外のことにあまり口を出さなかった。武闘系の出自であるにも関わらず子の教育には無頓着なのはソントーレの遺伝子なのかもしれない。


彼は上院を卒業するまでに、ある種の爆発物を開発した。この爆発物は当時は見向きもされない代物であった。それゆえに錬金術士としてポストを得ることは叶わなかった。しかし、この発明が後に彼自身の運命を決定づけるものになった。


彼は父の勧めに従い、戦術官として見習いを務めることになった。

所謂、内勤であった。騎士と言ってもここ200年戦乱のないザドである。戦乱がなければ当然、出世の機会もない。そうなれば内勤が人気となる。肉体労働の末に出世もない実働部隊は下級貴族や平民の持ち場であった。


そんな、父の忖度が気に入らなかったが、面と向かって否定もされてこなっかた故にマーカスも父に対し反抗的な態度は取れなかった。


戦術官の仕事内容は非常に退屈なものであった。3年間の見習いはほとんど付き人のような仕事であり、会議の予定や手紙の返事を書いたり戦術研究(過去の戦術の研究)で終わった。その仕事はかなり手隙の時間が多かった。その時間を利用して読書をしたり、実働部隊の訓練に混ざって一緒に汗を流したりした。

彼のこの行動は、まさに騎士の道、父の選んだ道への反抗であった。

しかし、それは自己満足でしかなかった。まだ若い彼にはわからなかった。それが周囲からどんな評価を受けているか…

勤勉で自ら進んで下級騎士と訓練で共に汗を流す。上の評価はともかくとしても、実働部隊の騎士や兵士からの評価は絶大なものであった。


さらに、彼には指揮者としての才能があった。

実戦形式の模擬戦では、部隊を統率し彼の指揮下では、高い生存確率を誇った。その逃げに徹するような戦闘スタイルは敵部隊を撹乱し勝利に貢献することも多々あった。また、普段から下級の兵と一緒に汗を流していたため、その統率力は群を抜いていた。

一度だけ指揮官として模擬戦で采配を振るったこともあった。この時は情報戦を仕掛けて敵を撹乱、陽動して苦しめたが勝敗はつかなかった。

これには理由があった。この訓練は迫撃戦を想定した短期決戦を想定しており、時間が足りなかった。しかし、この時の評価としては時間があれば確実に勝利していたと言われていた。その証拠に敵味方の損害比が5対1と圧倒的であった。


こうして自身の意に反して、周囲の高評価を得て、そのまま近衛騎士団司令室の下士官として話がきた。これは、ソントーレ家にとって出来過ぎたぐらい良い話であった。この内示はまず父を通して本人の意向を確認した。これは周囲の高位貴族の反発を配慮してのことであり、当時の軍首脳部の配慮が伺える。


しかし、こともあろうにマーカスはその話を断った。

もし、要望を言えるのあれば、東部辺境軍に配属させて欲しいと父に伝えた。

父はこの時も何も言わずに息子の意向に従った。

「お前が獲得した栄達の道だ。それを辞退するなら止めはしない。ただ、もう近衛騎士の道はないと思えよ。」とだけ言った。


その年の夏に希望通り東部辺境軍に配属された。

その地は、小国が小競り合いをしている東国地方に面しており治安が悪い。東国の兵士崩れの盗賊も頻発していた。

その任務は、主に治安維持であった。

戦で敵を倒せば、功績であるが盗賊を打っても功績としては認められなかった。命を張って仕事をしても出世にはつながることはなかったので、特に人気がなかった。


配属当時は司令部では唯一の下士官であった。そのほかには士官が三名と司令官が一名、副司令が一名であった。この司令官が絵に描いたような腐敗軍人であった。食糧や武器を東国の商人に横流しして私服を肥していたのであった。


そのことはマーカスもすぐに気がついた。と言うよりも気付かされた。配属後すぐに物品管理の部門に回された。それはこのことを問題視していた副司令の意向であった。見習い時代のマーカスの噂を聞いて味方に抱き込もうとしてとのことであった。


しかし、当のマーカスは気づいてはいたものの見て見ぬふりをした。

彼とっては正義感に燃えていた訳でもないし、軍部の統率がどうなろうと関心はなかった。それどころか出入りに商人に口利きして爆薬の研究をする設備や材料を手に入れたこともあった。


「そのことで、実入りの少なくなった司令官が不審に思って私に聞いてきたことがあった。ー必要なら調査しますが?と言ったらー ー貴官が把握していないなら構わないのだがー と言っていたよ。まさか自分で横流しいた品の数量を調査させるわけにも行かないからな。」とベッド横に座る年老いた妻にマーカスは微笑んだ。


辺境軍に在籍中に3度ほど盗賊狩りの任務に参加したが、盗賊もいくら士気が低いとは言え正規軍と真っ向からことを構えるような暴挙はせずに、軍が見えたら四散してしまう。近づけば逃げられるの繰り返しで成果らしい成果はなかった。


そうこうして2年が過ぎたときに、中央より来援要請がきた。

奴隷が反乱を起こし、監獄を乗っ取り立てこもっているとのことであった。

マーカスは依然として下士官であったが、実戦を恐れて士官は参加を拒んだため、正義感の強い副司令と共に中央に派遣された。

指令は、辺境方面が手薄になるとして、僅かの2個中隊しか派遣を認めなかった。

「たかだか奴隷風情に1個中隊でも十分だ」と司令官が言った時、誰もたかが盗賊に6個中隊も必要ありません。とは言えなかったことに行軍中に副司令と笑った。

この二人も奴隷の反乱などすぐに鎮圧されると思った。


しかし、実際に中央に着くと自体は想像を超える悪さであった。

どうやら奴隷の統率者は軍経験者でかなり綿密に計画されていたらしく、組織的な抵抗を前に正規軍も手を焼いていた。


市内の各地でゲリラ的に発生する反乱に兵を割かずにはならないため、敵が拠点する監獄に完全な包囲を敷けないままであった。

この事態がマーカスをさらに意図しない運命に導くことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る