嵐の前



いつになく旦那様が悩んでおられる。

エレーナ様が今日の夢、つまりこの商船が沈没する夢は正夢だと告げたのであった。

当主レオポルドの広い額に皺を浮かべて考えている。

この筋肉質な貴族は、貴族としては異端など決断力に富んだ才能豊かな男であった。


しかし、このエウレ海には嵐などほとんど発生することもなく、今日の天気も全く問題はないはずであった。

実の娘であるエレーナが今朝夢にみた船の沈没が正夢で直ぐにでも船を移動させる必要があると告げてきた時までは…


レオポルドも嵐の危険性は認識しているが、それは読んで読んだり聞いたりしたもので自らの経験ではなかった。


エレーナの夢を信じる信じないは別にしても嵐にどう対応するか、何もわからない。


「エド、ブレッダに話を聞きたい。呼んで来て貰えるか?」とレオポルドは外海での経験がある副船長のブレッダに意見を聞くことにした。

最初、嵐の話をしてからエレーナは一言も発することなく、レオポルド様子を眺めている。もう、判断は任せてしまったようであった。


「失礼いたします。」しばらくスルトブレッダの声が響いた。

くすんだ金髪のこの副船長は入室すると、いつも砕けた挨拶ではなく礼儀に節た挨拶をする。

「すまないなブレッダ、実は・・・」とエレーナの嵐の話を伝える。


一同の注目がブレッダに集まる。この男の経験がこの状況を打開できる鍵である。


「まず、嵐に巻き込まれるようなことがあれば、この船は沈みます。」ブレッダは訳も無く言った。レオポルドは少し肩を落としてため息をついた。幾分緊張感も緩んだようでもあった。


巨船ではあるが、それは嵐に合うことを考えていないからで、船体の強度は低い、嵐の只中になっては文字通り海の藻屑になってしまうとのことであった。


「では、打てる手はないのか?」

「できる限り早く寄港する。これが一番かと、と言ってもここから最も近い港となると南朝になります。本来の目的地しかありません。」

「それでは2日はかかってしまう。エレーナの話では明日の夕暮れには船は沈んでしまうということだ。」


ブレッダはお嬢様の様子を伺うように見ている。

当のお嬢様はそんな視線など気に留めずに紅茶を飲んでいる。


「ブレッダ、言いたいことはわかる。私も夢であることは分かっているが、今は賓客もある故に万全を尽くしたい。何事もなければそれで良い。」とブレッダの様子にレオポルドが伝える。


「旦那様がそのようにお考えであれば、何も言いません。私はあくまで船の運行を任されたに過ぎません。この商戦の運営に必要なことであれば最善を尽くすまでです。」


「ありがとうブレッダ」レオポルドは素直に礼を告げる。

「では、どうするかであるが、ブレッダ君の考えは?」

「まずは、夜通し漕ぎ続けることが考えれますが、少し難しいでしょうね岩礁は目視でしかわかりませんので、夜の航行は危険が大きい。」

多くはないが、エルレ海には岩礁や浅瀬があり、そこを航行する際にはやはり注意が必要である。やはり夜の航行は危険であった。


「あとは人力の力に頼る漕ぎ手次第でしょう。」


レオポルドは少し考えるような時間をおき、深くため息を吐いた。「どうやら難しいようだ。エレーナよあなたの情報が間違いであることを祈るしかないようだ。」

「お待ちください。お父様、私に考えがございます。お任せいただくことはできませんか?」

倉庫で今回の虚言の計画を聞いていたエドはようやく口を開いたお嬢様を不思議に思った。


「エレーナに策があるのか?」

「策と言えるようなものではありませんが、先程も少し試しました。速力を上げる方法は思いのほか効果がありました。」

「あっ先程ことはエレーナ様の手によるものでしたか。」とブレッダが思い出したように口に出した。ブレッダも操舵室では基本的に立っているため、短時間であるが船足が上がったことに気づいていた。


「確かに、あの速度を維持することができれば不可能ではない。しかし、いくら奴隷でも死人は出したくはありません。」ブレッダはサド生まれでないため現在の奴隷の扱いに不満を持っていた。


「ふふっ」エレーナは細い指で口ものを抑えて笑った。

「死人など出ません。でも、お父様に一つお願いがございます。食料を少し分けていただきたいのです。」


レオポルドは少し腕組みをして考え出した。しかし今回の決断は早かった。


「よかろう。穀類と肉類は量が多いからそここら回すが良い。奴隷どもに回すのであろう。あまり食べさないように注意せよエレーナ、活力を戻せば何をしでかすがわからない…」そう言ったレオポルドは少し険しい顔になっていた。

どうやら、彼にも奴隷に対して苦い経験があるらしいが、それをこの中に知る者は少ない。(img)


「ご安心くださいお父様。そのような心配には及びません。それで今夜の宴席はどうなさいますか?」


「来賓の乗船済みとの連絡も来ているようだし、中止にはできない。このまま行うしかないだろう。」レオポルドが傍にいる執事長のメストに意見を求めるように眴する。


「実はまだお一人乗船しておりません。粉物商のソントレー殿でございます。」とメストはすぐに答える。このメストはもうすでに3代に当主の仕えた執事で高齢ではあったがその仕事ぶり事務処理能力には衰えは見えない。


「また、あの変わり者か…」レオポルトが困ったように軽く目頭を押さえる。

この乗船式には大きく2回の祝宴が行われる。

サド側で開かれるでの貴族が来賓のものは、主に血縁者など近しいものばかりでビジネスとしては重要度は低いが、今回の南朝側はほぼ顧客であり非常に重要である。もし、トラブルが起きれば今後の商談にも悪影響となる。


「いかがなさいましょうか?」

「あやつの事だ、置いていっても怒りはしないだろう。このまま日没まで南朝を目指すことにする。」とレオポルドはコメカミを軽く抑える。


ソントレーの家は代々騎士であり、近衛団長も輩出する名家である。その長子であるジオ・ソントレーは++調子といってもレオポルトとはそう変わらない子供時代は兄弟のように親しい。++当然騎士として家を継ぐ立場であるが、父が頑健であることを良いことに家の事をいて南朝に留学した。次男や妾子ならいざ知らず嫡子が留学する事は稀であったが、そのまま大店に弟子入りし今では店の経営まで行っているなど前代未聞であった。


「いいかエレーナ、くれぐれも奴隷に気を許すなよ」とレオポルトが厳しい眼光を向けた。


「承知いたしました。」と深く礼をしてエドとエレーナは部屋を後にした。

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