自由

 それから二人は、時々洞窟の外に出て行くようになった。好きな時に好きなだけ出て、そのまま勝手に去ってしまってもいいのに、いつもコウモリがわざわざ言伝ていく。そして律儀にその時間までに戻ってくる。言伝ているのはコウモリだが、コウモリの口振りからして恐らく彼の指示だ。

 市から帰るのが遅くなった日を、案外根に持っていたらしいと気づいた。

 それでも一人でいる時間が少しずつ出て来て、その日もリンネは一人だった。することは彼らがいようといまいと変わらない。しかし、いやに静けさが気に障って、作業が手につかない。

 洞窟を見回すと、ぽつりぽつりと、彼の作った細工が置かれているのが目に入る。初めて針を手に取った日からまたいくらか経って、ずいぶんと上達していた。リンネが置いた物もあればコウモリに勝手に置かれた物も。もしかしたらその内の幾つかは、彼自身が置いているのかも知れない。暗い洞窟の中に花が咲いたような光景だ。

 彼が出て行った後にはもう、新しい花は咲かない。

 市へ降りる回数は少なくなり、彼のための買い物をするでもなく、必要最低限の物だけを買ってそそくさと帰る。彼が来る前の生活に戻るのだ。

 それでも寂しいのは最初だけで、すぐに慣れてしまうのだろう。

 ふと息をついた時、谷の方からあの見知らぬ生物の酷いだみ声が聞こえてきた。あの生物が何なのか、聞こうと思ってまだ聞いていなかったことを思い出す。律儀に夕食の時間になって戻って来た彼に問いかけた。

「……ドラゴン」

「へぇ!」

 魔物の中でもドラゴンは別格だ。その能力や生命力ではなく、生まれながらにして持つ精神性が格段に秀でているが故に、ありとあらゆる生物に崇敬の念を抱かせる。まさかこんな身近にいるとは思わなかった。

「あれ、何言ってるの?」

 大して興味もなかったが、会話の流れで問いかけた。すると、しばし沈黙。顔をしかめる。言いにくそう。

「……知る必要があるのか」

「長いこと隣人でいるけれど何も知らないし、君がいるうちに聞いておこうかと思って」

 大した理由はないと言外に告げて、選択は彼に委ねたつもりだった。結局彼が話すことにした決め手は分からない。 

「喉を潰して、言葉になっていないが……。亡くなった番に呼びかけている」

 心が揺れた。

「そう」

 仲間だったか、と声のする方に目を向けた。興味すらなかった声が、急に哀愁を持って迫ってくる。

「それはそれは。……」

 聞かなければ良かったと苦い顔で沈黙。

 元々言葉数の多くない彼も黙っていたが、ふと脈絡なく聞かれた。

「……お前は何故、このような生活をしている」

「おや、それは知る必要があるのかい」

 そう返すと怒るというより困惑する気配。本当にただからかっただけで、と少し申し訳なくなる。

 お詫びのように答える。

「私も大体あのドラゴンと同じだよ。死者を待ってる」

 正確に言えば、違った。

「……ま、そういう体で、暮らしてるだけ」

 どうせここを出て行くからと、話すことに決める。元々隠してもいなかった。

「昔は蘇生法を探して旅をしてた。ただ、途中でうっかり呪われて、不老不死……か分からないけど、人間にしては長く生きれるようになった。最初はちょうどいいやと思ったんだけど」

 様々な魔術書を読み漁り、伝承を聞きに行った。何回も危険な目に遭った。呪いはその内の一つだ。

「……いつ諦めたらいいのか、分からなくなった」

 死ねば、そこで終わりのはずだった。ところが死ななくなって諦める契機を見失った。自ら諦めることも出来なかった。

 そんな時に幽境の噂を聞く。死者の世界と繋がっているという谷。そこで待てば死者と会えるかも知れない。

 真意は別にあった。

「ここにいるのは。ここにいれば、諦めてないって言えるからだ。……こんなこと言ってる時点で意味はないんだけどさ」

 探すことに疲れ、執着し続けることにも疲れた。ただ待つだけで良いこの場所は、諦め切れないリンネにちょうど良かった。

 話を終えて、リンネは言う。

「君はこうなるなよ」

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