商
「お姉さん、これいくら?」
山では手に入らない物を求めて、市をうろつく。
市にはいつでも人と物が溢れている。方々に散らばった村から集まって来るのである。特別な祭がなければ、およそ三日ごとに出店する店の業種が変わる。
彼の体調が良くなってきたので、いくらか放っておいても大丈夫だろうと、物資を求めて久しぶりに下りて来たのだった。
この日は布の市だった。黄色の布がはためいている。
「そりゃ男物だが、山姥……」
顔見知りの店主はいぶかしげにした。
「男でも出来たんかえ」
「今、行き倒れの旅人がいるんだ。世話してる」
「世話? いつもみたいに市に放り出しときゃええじゃないか」
「ちょっと情が湧いた。で、いくら――っと、あとこれもおくれ」
リンネの目に入ったのは、端切れの束だった。数は多いが、それぞれ子供の手のひらほどの大きさだ。形も不揃いで、中々に使いようがなさそうだった。
「んあ? そりゃ捨てようと思って置いといた奴だ。オマケで付けといてやるよ」
「ありがとう」
服は今日の持ち合わせで足りたので、まとめて買い上げる。
「こんなもん何に使うんだい」
「暇潰しに」
「暇潰しって、アンタ暇じゃないだろう」
「や、その旅人にあげようと思ってさ。怪我で何も出来なくて、暇を持て余しているから」
店主のひねた目が、面白いものを見つけたように輝く。
「何だ何だ。アンタともあろうものが、ずいぶんとお優しいじゃないか。色男かい? 情が湧いたってそういうこと?」
「そういうことではないけど……。いやに嬉しそうだね、お姉さん」
店主は「そりゃそうさ」と深く頷く。
「いくら時間が有り余ってるからって、死者を待つなんて、不毛だからね。それより新しい男作る方が断然有意義だ」
死者を待つことを不毛だと言われたり、馬鹿にされたりしたら、昔は少し怒っていたのだが、いつからか言う通りだと思うようになった。リンネがうなずくと、店主は気を良くした。
「どんな奴だい。怪我が治ったら連れておいでよ」
死んだはずの魔王と、その部下であるコウモリもとい悪魔。正直に言う訳にもいかなかったので適当に嘘をついた。しかし、嘘が下手だったか、話していく内に店主の表情が曇っていく。
「……なぁそれ、ヤバい輩なんじゃないかい?」
答えに窮する。
「中央の王様が魔物と協定を結んでからこっち、魔物と暮らしちゃいるけどさぁ……。やっぱり根本的に人間と上手くやっていけない習性の奴はいるし、戦争の生き残りの中には人間に恨みを持って復讐しようと企んでる奴もいるらしいしさ。ま、それは魔物に限らず、その逆も然りだけど……。そいつもアンタをだまくらかして、財産を巻き上げて、一旗あげようとしてるとか。この市を狙ってるとか。話聞いてるとそんな雰囲気がするよ」
「……うーん」
これは駄目だと店主は首を振る。
「バカなんかね、アンタ。やっと捕まえたのがそんな怪しい奴なんて。厄介事になる前に、さっさと殺して谷にでも捨てるか、自警団に渡しちまいな」
「私の話し方が拙かっただけで、そこまで手に負えない奴じゃないよ」
結局、怖がらせてしまった。
反省しつつリンネは布と服を受け取り、店を離れた。荷物は全て背中に背負った袋に放り込み、また他の店を覗きこむ。
そうやって、行く先々で話し込んでいたら、帰る頃には暗くなり始めていた。
帰途についてしばらくした頃、空から黒い影が降りてきた。見張りだと言ってついてきたものの、人の前に姿を現すことも出来ずに市の上空で待っていたコウモリだ。いつもの元気がないどころか、少し消沈している。
「どうした?」
コウモリはてん、と地面に下りて、小さな足で歩き始めた。飛ぶ元気もないのか。歩幅が狭いので合わせようとするとゆっくり歩くしかない。
「魔王様の居場所は、もうないのだろうか」
無言で耳を傾ける。
「魔物も人間も幸福に暮らしている。かつてのように、虐げられる魔物はいない」
夜鳴鳥の声が聞こえて来た。美しい声だけれど、夜に聞くには少し美しすぎる。
「これから魔王様は、何を目的に生きていけばいいのか」
全ての魔物が幸福にいる訳ではないから、するべきことは幾らでもある。そもそも魔王として生きなくても良いんじゃないか。色々と思い浮かびはしたものの、どの言葉も自分に跳ね返ってきた。自分に出来ないことを言うのも不誠実なように思えて、結局助言や励ましは諦めた。
「大丈夫じゃない? コウモリがいるし」
「え、我?」
「そうそう、我」
あの人は幽境のそばに倒れていたのをリンネが見つけたのだが、コウモリはその後で、どこからか彼の気配を嗅ぎつけて来て飛んで来た。戦争からもう数十年が経つが、コウモリは彼と同様にこの数十年の記憶を持たない。自覚はないようだが、コウモリもまた死者だったのだろう。しかも蘇りの理由が分からない彼と違って、コウモリはただ彼を求めて生き返ったのに違いない。
「そうやって我が身みたいに自分を気にかけてくれる人がいるってのは、まぁ、有り難いものだよ。鬱陶しいこともあるけど。ちょっとは自分を大切にしようと思う。……あの人がこれからどうするのかは、あの人次第だと思うけど、何をするにしても、君がいれば大丈夫じゃない?」
コウモリは照れ臭そうに、嫌味っぽく答えた。
「お前にそこまで評価されてるとは思わなんだな」
「うるさ過ぎるんだ。でも、実際、コウモリがいるお陰で、暗くなり過ぎずに済んでるよ」
「我のお陰で?」
うなずくと、コウモリは嬉しそうに羽ばたいた。
「我は役に立っているか?」
「うん、役に立ってる」
完全復活。コウモリは落ち込んでいたのが嘘だったかのように夜空を飛び回って騒ぐ。夜鳴鳥も鳴くのを止めてしまった。
「だから、そのうるさいところさえなければな」
たぶん聞いていない。
「おい、早く帰るぞ! ずいぶんと遅くなってしまった。きっと魔王様が心配しておられる!」
背後から追い立てられて、仕方なしに急ぎ足で洞窟に帰り着いた。
しかし、辿り着いてみると、いつも洞窟の奥にいる彼が、入り口の所に座っていたので驚いた。
「足は?」
肉体に傷はなくとも霊体が欠けていて、まだ足は上手く動かないはずだ。少し視線を奥にやれば人が地面を這いずったような跡が見えた。
「……心配させた?」
荷物を下ろしつつ問いかけると、彼は僅かに顔をしかめた。
「……」
「悪かった。今度からコウモリは早く帰すようにするよ」
彼ははっきりと苦々しい顔をした。
「……お前もだ」
「それじゃ、私を心配してたように聞こえるけど」
ため息。
「……ヴァン。戻る。杖になれ」
コウモリが慌てて自分の体を杖として差し出した。彼はやりにくそうにしながらも、賢明に空中に留まるコウモリの足をつかんで、洞窟の奥へと引っ込む。
コウモリが嬉しそうにしていて、少し笑ってしまった。
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