第3話 大好きなメイド
翌朝。私は息を潜めつつ学園に登校した。昨日のような”荒くれ者の夜”は、この学び舎に足を踏み入れた瞬間にまるで幻のように感じてしまう。
無菌室育ちの彼らには、ヒリヒリした庶民の感覚は誰もわかるまい。
庭には豪華絢爛に噴水が設置され、整然と剪定された美しい生垣が並び、石畳には葉っぱ一つ落ちていない。学生たちの靴にも泥なんか付いているわけがない。
ここに通う、貴族階級や王室にゆかりのある者ばかり。いずれ人の上に立ち政をおこなう者たちにしては、えらく市井に関して無知な気がしてならない。
ワタクシは貴族たちのように、上手に嘘がつけなくてよ。どうにも学園から帰ると肩凝るのよね。
「キアステンさん、ごきげんよう」
うわ、アリシアじゃないの。何そのとってつけたような笑顔。へりくだってると見せかけて、敗者に情けを掛ける自分スゲーみたいなツラじゃないの。生卵ぶつけてオムレツにして豚に食わせるわよ。
「気安くファーストネームで呼ばないでいただきたいわ」
「そんな!私たちは級友だというのに。」
「自分が何をしたかわかっておられないようですね。」
「私は悪意などもっておりません!ただ、平民でありながらよくしていただける貴族の方々に恩を返そうと・・・」
「善いことです。ですが、私たちの関係の修復はこれ以上は不可能。どうぞ教室のシミと思って無視していただければ何よりですわ」
私の意思はただ一つ。これ以上アリシアやメインキャラとの関わりは絶つこと。汚れ役なんていくらでも買うから、ただ誰も恨まず、穏便に生き残ることを目指したい。
すると、遠くから女子学生の高い声があがった。
「アリシア、おはよう。」
「おはようございます、リカルド様。」
血の気が引いた。その直後、彼の顔を見た途端に・・・身体中に激しく血が巡り始め、顔は激しく熱を帯びた。
アイゼンシュタット警察庁、警視総監の第一子。リカルド・オルテガ。
警察庁の息子とはいえ、設立したのは王室の傍系。つまり王室の血を引く男だ。
彼はマリアンヌに話すことを禁じていた男、本人。端的に言うと、私が”プレイヤー”として、全身全霊の愛を注いでいた”推し”だ。
物語中では、彼は卒業後に優秀な捜査官として名をあげ、魔女とキアステンを巧みに追い詰める男だ。
彼の持つ精霊も、探索を得意とする嗅覚の鋭いものであり、刑事になるべくしてこの世に生を受けた男といえるだろう。
リカルドはやがて敵となる。そして、彼の目にはアリシアしかうつっていない。
なのに、なのに。
目の前に立つリカルドは、プレイヤーとしてみていた時よりもはるかに魅力的で、口を閉めたまま笑うミステリアスさがなんともたまらない。
凛とした佇まい、眼鏡をかけた上品な瞳、知的な低い声色、そして細やかな性格、溢れる才能・・・ああ、私がアリシアとして生を受けていたなら、彼にまっすぐに愛を伝えていたのに。
「キアステンにまた意地悪なことを言われていたのかな。」
「・・・彼女は悪くないんです。悪いのは全部私です」
ははは、と笑いながら、目を細めてこちらを見る。青い瞳は全く笑っていない。
「ほどほどになされよ。」
きっと、腹のなかに渦巻いてるのは「さもなくば殺す。」だろう。リカルドは腹黒キャラなの。本心と外面が全然ちがうからね!うふふふ!かっこいい!たまんない!!
溢れ出しそうなニヤニヤを抑えつつ、ポーカーフェイスを気取って私は踵を返した。そりゃそうよ。世の中の男はみんな顔が可愛くていじらしい娘が好きに決まってるわ。
少し人気がなくなったところで、一瞬だけ素の自分が現れた。
リカルドに会えて舞い上がっている自分が。
いや、だめよ。これ以上は忘れなさい。
愛しすぎたら、憎んでしまうのが相場でしょ。
ーーーーーーー
その後の父の話によると、マリアンヌを襲った3名は仕事をクビになったらしい。
以前より勤務態度の悪さが指摘されていたそうだが、今回の事件が決定打となったそう。まあ当然よね。
冷ややかな目線を一日中浴び、誰とも会話を交わさなかったこんな日には、マリアンヌとバカな話をして吹っ切れてしまいたい。婚約破棄の直後ならなおさらよ。
紡績工場の仕事が終わるのを見計らって、私はこっそりと仕事終わりのマリアンヌに会いに行った。
「勤労勤労。庶民は大変ざますね」
「ああ〜っ!キアステンお嬢様ぁ!」
「しっ!お父様に黙ってでてきたんだからやめなさい!キアとお呼び!」
「へえへえ、わかりやした〜キアちゃん!」
夕方に街を散歩するのは危険だから、まだ働く人が多くいる波止場の近くが散歩の舞台となる。重たい潮風を体いっぱいに浴びて、肌がかぴかぴにしょっぱくなるまでおしゃべりをするのだ。
私の人生に残された幸福の青春だ。
近くで買った飴で手をベタベタにしながら、大はしゃぎしながらくだらない話で笑い合う。その時の私たちに身分なんてない。マリアンヌの黒い髪がもしゃもしゃになって、私の銀髪もパリパリになってさ。
結婚したくないな。死にたくないな。
神様。ゲームの中に生まれ変われるなら、永遠に若いまま友達と馬鹿騒ぎするくらい、なんてことないでしょ?
「家政婦長だって居眠りしてるのにさー!私に厳しすぎますぅ〜!」
「ええ!?あんな瀟洒なふりしてお昼寝!こんど落書きにしに行っちゃおうよ!
・・・ん?」
黒い影が私たちの後ろから差し掛かった。帽子を目深にかぶったその顔を見て、私は全身が硬直した。
この前マリアンヌを襲った三人組だ。しかも、黒く幅の広い長物を持っている。
・・・・・・・ライフルだ。
男たちの全身から、殺意が渦巻いている。足元にはじわじわとトゲのある蔦が茂みより、燃料をひっくり返したかのような火が私たちを取り囲んだ。
精霊だ。こんな悪党どもにも精霊がついているのだ。
「よくも俺たちの食い扶持を潰してくれたもんだ」
膝が震えてうまく動かない。顎が震え、ありえないくらいに耳に心臓の音が響き渡る。
荒くなる呼吸の中、ようやく言葉が絞り出せた。
「行きなさい」
「キアちゃ・・・」
「行けといってるの!!!」
「い、嫌です」
なんでこんな時に限って私の言うことが聞けないの!?突沸した怒りと危機意識で頭がいっぱいになり爆発しそうになった。
ここにきているのは家族も家政婦も従業員も知らない。武器なんかもない。助けはきっとだれもこない。
「お前ら、顔をめちゃくちゃにされて、娼婦以下の”便所”として生きるのと、ここで綺麗な体のまま銃弾をぶち込まれるのとどっちがいい?」
「オイオイ、二人とも可愛いのに殺しちまうのか。その前に味見させろや。」
「こんな汚ねえ女どもに大事なムスコを突っ込むのか。」
吐き気がするようなおぞましい会話が飛び交う。もう、私たちを人間となんか扱っちゃいない。銃口を向けられ、弾が装填される恐ろしい音が響く。
「あばよ」
神様。神様神様。お願いします。痛いのはいや。でもそれ以上に。
マリアンヌが死ぬのを見たくない。
「っ!!!」
トリガーに指がかけられたタイミングで、マリアンヌを突き落とした。ひきつけを起こしたような声をあげながら、長いスカートがはためいて落ちていく。
ジャバン、と音がすると、私は目を閉じた。
次の瞬間、私に降りかかったのは散弾ではなく、激しい水しぶきだった。
顔も髪もドレスも靴も全て水浸しになった。クジラでも現れたのかと思った。
目の前にいたのは、私の身長の3倍はあるだろう巨大なクマ・・・いや、狼だった。
3つの目が2行並んでいて、黄金の瞳がバラバラにぎょろぎょろと動く。ゴルルル、という野太い威嚇の声を響かせ、手のひらほどもある鋭い歯をむき出しにしていた。
男たちは三人とも腰を抜かし、とっさにライフルを乱れ撃ちし始めた。
しかし、水に濡れごわごわと密集した毛皮は.9mm口径の弾幕をものともせず、まっすぐに突進していく。
中年男が「神様」と情けない声をあげるも、「ドン」と「バン」が混ざった痛々しい音を立てて、人形のように跳ね飛ばされた。
三人は高い高度までとばされ、海に落とされる。
狼は体全体をブルブルを震わせ、水気を払うと、私の方を見た。
体の震えはまだ止まらなかった。気づけば、私は両手を合わせていた。
異形の神だ。
魔物にたとえるなんて失礼だろう。ここまでの畏れを感じるのは、神以外の何者でもない。
すると、クウンと可愛らしい声をたてて私の目の前でおすわりをした。
そして、大粒の黒点へと分解されると、人の姿にもどった。
「嘘をついててごめんなさい、お嬢様」
マリアンヌだった。
「私の本当の名前は、ビアズリーといいます。」
「ビア、ズリー・・・・?」
「魔女です」
「北の廃城の・・・?」
「・・・はい。一人で住んでます。8歳の頃、ママが亡くなってからずっと。」
ありえない。ビビリで、ドジで、いつもとぼけていた彼女が、国を脅かそうという魔女だなんて。
「うそ、嘘でしょ。私は信じないわよ。」
「信じてくれないほうがいいです。わたしはお嬢様のマリアンヌでいたいもん・・・」
テヘヘと笑う顔には、どこか悲しみが溢れている。つい、私は手を握って肩を抱いた。
「なによ。あんたはあんたでしょ。辞表を出す前にマリアンヌをやめるなんて、契約違反よ。バカ。」
「出しませんよお。まだ働きますよぉ・・・」
徐々に、彼女の声色から現実味が帯びてきた。悲しいほどに、真実なのだ。
「もうひとりにしないで・・・さみしいのはやだ・・・・嫌いにならないで・・・」
「なるわけないでしょ。魔女がなんなのよ」
ゲームのシナリオの裏で、こうやってキアステンが魔女を知り合ってたなんて。
こんなの無理に決まってるじゃない。避けようがなさすぎるわよ。
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