六章 ローリング魔女 ③

 その瞬間、モニカの思考はすさまじい速さで回転した。


(室内で風の魔術を使ったらわたしが魔術師だってバレちゃう。だったら体の周りに防御結界を張る? ううん、ダメ、どうしても落下の仕方が不自然になる……だったら……だったら……)


 モニカはとつに無詠唱で防御結界を張った。ただし、自分の体にではない。階段の段差を埋めるように、見えない結界を張ったのだ。

 そうして階段をただの坂にしてしまえば、転がり落ちても、そこまで痛い思いをせずに済む。

 国内最高峰と言われるみつな魔力操作技術を余すところなく用いて作られた、階段の段差を埋める結界。その上をモニカは転がり落ちていく。

 モニカの計算通り、坂の上を転がるだけだから体はそこまで痛くない。痛くはない……のだが。

 段差のある階段と、段差のない坂道。

 それぞれの上から物を転がしたら、どちらがより勢いがつくか?

 ……言うまでもなく後者である。

 その例に漏れず、モニカの体はそれはもう勢いよくゴロゴロと転がっていった。


「ひうみゃぁあああああああああああああああっ!?」


 舌を嚙まなかったのが奇跡のような勢いで階段を転げ落ち、その勢いのまま廊下をしばらく転がったモニカは、通りがかりの男子生徒に衝突した。

 ぴぎゃぁ! というモニカの間の抜けた悲鳴に、うぐっという低いうめき声が重なる。モニカとぶつかった誰かの声だ。

 モニカは涙目になりながら起き上がり、しりもちをついている男子生徒に早口で謝罪した。


「ごっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ!」


 モニカが衝突したのは、銀色の髪を首の後ろでくくった青年だ。モニカは一度この青年を見ているのだが、パニックになっているせいで、それどころではない。


「……は?」


 ぶつかった相手は、モニカのことを気遣うように手を差し伸べてくれた。

 だが、モニカは差し伸べられた手にすら気づかず、早口で謝り続ける。


「ごめんなさいっ、迷惑かけてごめんなさいっ」

「…………」


 その男子生徒は無言でモニカを見下ろしていたが、やがて手袋をした指をモニカの頭に伸ばした。

 反射的にモニカは両手で頭をかばう。ぶたれる、と思ったのだ。だが、青年の指はモニカの前髪をそっとかき分けただけだった。


「額が少し赤くなっているな。ぶつけたのか? 他に痛む場所はあるか?」

「……ぇ、ぁ」


 そこでようやくモニカは、目の前の青年が自分を責めているわけではないことに気がついた。

 それどころか、彼はモニカを心配してくれたのだ。

 青年が指先で触れた額は、ほんの少しだけひんやりと冷たい。


(……? 氷の魔術? でも、詠唱はしてないから……もしかして、無意識に魔力が漏れてる?)


 そんなことを考えていると、ラナが大慌てで階段を駆け下りてきた。

 階段にかけた結界を、即座に解除しておいて良かった。でないと、今度はラナが階段を滑り落ちるところだった、とモニカはこっそり胸をでおろす。


「ちょっと、ねぇ! だ、大丈夫っ!?」

「……あっ、はい……」


 モニカがこくりとうなずくと、ラナは深々とあんの息を吐いた。ラナもまた、モニカの身を案じてくれたのだ。

 こういう時は、気遣ってくれてありがとうと言うべきだろうか、心配させてごめんなさいと言うべきだろうか、モニカが悩んでいると、銀髪の青年が口を挟んだ。


「……それで、これは何の騒ぎなのだ?」


 げんそうにしかめられた顔を見て、モニカはようやくこの青年のことを思い出した。

 彼は、暴れていたアーロン・オブライエンを氷の魔術で黙らせた青年だ。


「生徒会副会長のシリル・アシュリー様よ」


 ラナが小声でモニカにささやく。

 なるほどこの青年がフェリクスいわく「心配性の副会長」らしい。


「誰か、この状況の説明をできる者は?」


 シリルがたずねると、階段の踊り場にいたカロラインが悠々とした足取りで階段を下りてきた。その顔に、余裕たっぷりの笑みを浮かべて。


「そこのラナ・コレット嬢が、ふざけて学友を階段から突き飛ばしたのですわ」

「はぁっ!?」


 悪びれるどころか責任をなすりつけようとするカロラインに、ラナは細い眉をげて叫んだ。


「貴女がわたしを突き飛ばしたんでしょ!? モニカはとばっちりよ!」

「まぁ、わたくしに責任転嫁するつもり? 成金の家の子は、神経が図太くて嫌ね」


 カロラインの言葉に取り巻きの少女達が「そうよ、そうよ」と同調する。

 その同調の言葉に気を良くしたカロラインは唇の端を持ち上げ、上目づかいにシリルを見た。


もちろん、アシュリー様はそんな成金男爵家の娘より、由緒正しいノルン伯爵家のわたくしを信じてくださいますわよね?」


 カロラインの言葉にラナがギリッとぎしりをした。

 モニカは知っている。たとえこちらに非が無くとも、身分の高い者が「お前は悪だ」と言えば、それが真実になるということを。


「……あ、あの……っ」


 モニカがおずおずと口を開くと、腕組みをしていたシリルが青い目をギロリと動かしてモニカを見た。気のせいか、周囲の空気が一気に冷え込んだ気がする。

 シリルの視線に、モニカは俯きしゆくした。

 この青年は、階段から落ちたモニカの身を案じてくれた人だ。

 それでもカロラインの罪をモニカが訴えたところで、耳を貸してはくれないだろう。

 彼はこの学園の秩序を守る生徒会役員で、貴族社会を反映したこの学園では身分がすべて。


(わたしなんかが何を言っても、無駄に決まってる……)


 モニカは目の前に立つシリルにあきらめの目を向け、唇を嚙み締める。


(……それでも)


 もしカロラインが自分は何も知らないのだと、しらを切っただけならば、モニカは諦めてその言葉を受け入れただろう。だが、カロラインはラナに罪をなすりつけた。

 このままだと、ラナが悪人にされてしまう。


 ──えんざいで、とがめられてしまう。


(それだけは、絶対、ダメ……っ)


 モニカは血の気の引いた唇を開く。


(お願い、動いて、わたしののど


 泣きそうな気持ちで自分をしつし、モニカは言った。


「わっ、わたしがっ、足を滑らせた、だけ、ですっ……!」


 カロラインを訴えることは無理でも、せめてラナが罪をかぶせられることだけは避けたい。

 その一心で、モニカはシリルに訴える。


「だれも悪くなくて……わ、わたしの、不注意なんですっ、ごめんなさいっ!」


 モニカが頭を下げると、ラナが「ちょっと!」と不満そうな声をあげる。

 それでもモニカは、早口でラナの声を遮った。


「だから、あの、もう大丈夫……なのでっ! おっ、お騒がせ、しました……っ!」


 被害者のモニカがいなくなれば、この場はお開きになるはずだ。

 そう考えたモニカは、鈍臭い足取りで階段を駆け上り、その場を立ち去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る