六章 ローリング魔女 ②

       * * *


「あら貴女あなた、こんなところで何してるの?」


 モニカが校舎の階段を上っていると、階段下から聞き覚えのある声が聞こえた。

 足を止めて振り向けば、先程モニカの髪を編んでくれたクラスメイトのラナが、亜麻色の髪を揺らしながら階段を上ってくる。


(ど、どうしよう、なんて言えばいいんだろう……バルコニーの調査を頼まれたことは、秘密にした方がいい、よね? ただの頼まれごとって言えば、大丈夫、かな?)


 モニカは足を止めて、俯きながら指をこねる。

 こういう時、気の利いた言い訳ができないモニカは「あのぅ……そのぅ……」と口の中でモゴモゴつぶやくことしかできない。

 そんなモニカをちらりと見て、ラナは横髪を指に巻きつけながら言った。


「生徒会の方に呼び出されてから、全然戻ってこないんだもの。心配してたのよ」

「…………え」


 クラスメイトが自分のことを心配してくれた。

 ただそれだけのことで、モニカの心臓はかすかに跳ねる。

 モニカは気がつくと緩んでしまう頰を両手で押さえ、ぎこちなく口を開いた。


「あの、えっと……ちょっと、生徒会の方には、頼まれごと、されて……」


 モニカが頰を押さえて視線を彷徨さまよわせながら言うと、ラナが不思議そうな顔をする。

 編入生のモニカに生徒会役員が頼みごと、というのが珍しいのだろう。


「ふぅん。それで、どこに行きたいの?」

「えっと……よ、四階東棟の、奥から二番目の教室……」

「あぁ、第二音楽室ね。だったら、こっち」


 ラナは上りかけていた階段を下りて、モニカに手招きをする。

 四階に行くには階段を上らなくてはならないのに、どうして下りるのだろう? モニカが不思議に思いながら後をついていくと、ラナは得意げに鼻を鳴らした。


「この時間、こっちの廊下は教室移動のあるクラスとぶつかるから混むのよ。こっちから行った方が早いわ」


 モニカが人混みが苦手なことを察してくれたのか、或いは偶然か。

 どちらにせよ、モニカにとってラナの提案は非常にありがたかった。


「あっ、ありがひょう……っ」


 勢いをつけて礼を言ったら、案の定んだ。

 になるモニカに、ラナがぷっとふきだす。


「なにそれ、変なの!」


 ラナは楽しそうにクスクスと笑った。からかい混じりだけど親しみのある、嫌味のない笑顔だった。ラナは「どういたしまして!」と言って、軽やかな足取りで歩きだす。


「この時間に階段を使うなら、東階段の方がいいわよ。化粧部屋なんかもね、こっちの方が断然いてるの」

「……化粧部屋?」


 モニカにはピンとこない話だが、セレンディア学園には女子生徒が化粧を直すための部屋がいくつか存在するらしい。流石さすがは貴族の子女が通う学園なだけある。


(わたしには、一生無縁の部屋なんだろうな……)


 そんなことを考えていると、先を歩くラナが足を止めた。彼女の視線の先には東階段がある。

 音楽室に行くにはこの階段を上っていくはずなのだが、ラナは険しい顔で階段の踊り場を見上げ、まゆをひそめていた。

 階段の踊り場では、数人の女子生徒が立ち話をしている。

 どうやら一人の女子生徒を、複数人が取り囲んでいるらしい。


(……あっ、あの人、は)


 取り囲まれて、困ったようにうつむいているはしばみ色の髪の少女は、セルマ・カーシュ。

 昨日きのう、医務室に運ばれたモニカの様子を見にきてくれた、保健委員の少女である。

 小柄なセルマを取り囲んでいるのは三人の女子生徒。

 その中でもリーダー格らしいキャラメル色の髪の少女が、一際よく響く声で言った。


「ねぇ、うわさじゃアーロンが急病で退学になるらしいじゃない。彼、良くないお店に出入りしてたって言うし、何か悪い病気でももらったんじゃない? わいそうなセルマ! あんなにアーロンに尽くしてたのに!」


 リーダー格の少女の言葉に、取り巻きらしい少女達も扇子で口元を隠しながら「本当可哀想」「えぇ、お可哀想に」とあいづちを打つ。

 可哀想、可哀想と言う割に、彼女達の目はあざけるような笑みの形をしていた。

 ラナがリーダー格らしいキャラメル色の髪の少女を見て「カロラインだわ」と苦い顔で呟く。

 どうやら顔見知りらしい。だが、あまり友好的な関係でないことは、ラナの表情を見れば明らかだ。


「ねぇ、セルマ。今度、わたくしの家が主催の舞踏会に、貴女も呼んであげる!」

「まぁ、名案ですわ、カロライン様! 失恋の傷は新しい恋でいやすのが一番だもの!」

「どうせアーロンとの婚約もご破談でしょう? 新しくいい人を探した方がいいわよ、セルマ!」


 取り巻きの一人の提案に、カロラインは扇子を揺らして笑い、セルマの顔をのぞき込んだ。


「だったら、私の様なんていかが? 新しい妻を探しているの。貴女より三〇歳年上だけど、ハンサムでお金持ちよ」


 ここまで言われても、セルマは何も言わない。手袋をした手を握りしめて、黙って俯いている。

 ラナが振り向いて、モニカに耳打ちした。


「あの子達は相手にしないで、さっさと通り過ぎるのが一番よ。行きましょ」


 ラナは先陣を切って早足で階段を上る。モニカも慌ててその後に続いた。

 ラナは踊り場に差しかかったところで、道をふさいでいるカロラインに声をかける。


「ねぇ、通してくださらない?」

「あら、成金男爵家のラナ・コレットじゃない。相変わらず作法がなってないのね。わたくしの方が貴女の家よりずっと歴史があって格上なのよ? まずはあいさつの言葉ぐらい述べたらいかが?」


 挑発的なカロラインの言葉に、ラナは細い眉を跳ね上げた。


「道を塞いで延々と立ち話するのが、格式ある家の作法だなんて知らなかったわ。ねぇ、さっさとそこを退いてくださる? 脱走した牛だって、飼い主にづなを引かれればすぐに動くのに……あぁ、ごめんなさい。貴女はおしりが重いから動きたくないのね」

だれが牛ですって!?」


 げきこうしたカロラインが、手を振り上げてラナの肩を押した。ラナが小さく悲鳴をあげてよろめく。

 それでもラナは踊り場に差しかかったところにいたので、よろめく程度で済んだ。

 だがラナの背後にいたモニカは、よろめいたラナとぶつかり、バランスを崩す。

 あっ、と思った時にはモニカの体は傾き、宙に浮いていた。


「モニカっ!」


 振り向いたラナがモニカに手を伸ばすが、届かない。


(……落ち、る)

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