六章 ローリング魔女 ④

       * * *


 階段を一気に駆け上ったモニカは、ヒィハァと荒くなった呼吸を整える。

 震える歯と歯がぶつかるカチカチという音が、やけにうるさい。


(……大丈夫、大丈夫、わたしが我慢すれば、余計なことを言わなければ、ちゃんと丸く収まる、から……)


 モニカは階段から落ちた際に少し汚れたスカートのすそを払い、ずれた手袋をきちんとはめ直した。

 今はフェリクスの命をねらう刺客探しに集中したい。

 植木鉢落下事件は明確な殺意を持って行われた暗殺未遂事件だ。護衛役として看過はできない。


(でも、犯人はどうして、殿下を狙ったんだろう……?)


 フェリクス達は不正をしたアーロン・オブライエンの共犯者が、逆恨みで植木鉢を落としたと考えているようだが、モニカには違和感があった。

 アーロン・オブライエンは共犯者がいたことをほのめかしている。

 ならば共犯者は、アーロンを口封じのために排除しようと考えたりはしなかったのだろうか?


(なんか、穴だらけの不完全な数式みたい……)


 その穴を埋めるためには、まだ情報が足りない。

 今はまず情報集めだと自分に言い聞かせ、モニカはお目当ての部屋──東棟四階、第二音楽室の前で足を止めた。

 室内からはピアノの音が聴こえる。誰かが中で演奏しているらしい。勝手に入ったら怒られるだろうか? だが、できるだけ早く情報を集めたい。

 モニカはかつとうの末に小さく扉をノックして開ける。

 ちょっとしたサロンのように上品な音楽室には、立派なピアノが設置されている。

 ピアノは庶民には決して手が届かない高級楽器だ。そんなピアノの前に座ってけんばんの上で指を滑らせているのは、金色の巻き毛の女子生徒だった。襟元のスカーフの色から察するに、高等科の三年生なのだろう。

 その女子生徒はピアノを弾く手を止めると、モニカの方を振り向きもせずに言う。


「この部屋は今、あたくしが使っています。用があるなら後になさい」

「あ、あのっ、ごめんなさい。バルコニーに……その……わ、忘れ物が、あって……」


 モニカの言葉に、金髪の令嬢は無言で譜面をめくる。そして独り言のように「手短に済ませなさい」とだけ告げた。

 モニカはもごもごと礼を言い、早足でバルコニーに出る。

 バルコニーには予想通り、植木鉢がいくつか並んでいた。裏庭に落とされた物と形もよく似ている。


(……植木鉢は寄せ植えをされた物が三つ、それと……)


 一つだけ空の植木鉢が、上下が逆にひっくり返った状態でバルコニーの端に置かれていた。モニカはしゃがみこんでその植木鉢を確認する。

 持ち上げてみても中身は何も無い。本当にただ空の植木鉢を逆さまにしただけだ。


(なんで、この植木鉢だけ逆さまにしてるんだろう?)


 疑問に思いつつ、モニカは植木鉢を元の位置に戻した。

 逆さまの植木鉢はひどく汚れていて、手袋に土汚れが付着している。モニカは手袋の汚れを軽く払ったが、土汚れはしっかりこびりついていた。

 寮に戻ったらまずは手袋を洗濯しなくては。モニカは予備の手袋を持っていないのだ。

 モニカは手袋の汚れを気にしつつ、バルコニーの手すりに目を向けた。

 転落防止のバルコニーの手すりはだいぶ高い。小柄で非力なモニカが重たい植木鉢をここから落とそうと思ったら、相当苦労するだろう。


(……もしかして)


 モニカがしばし考え込んでいると、室内から聴こえていたピアノの音が止まった。

 モニカはハッと室内に目を向ける。ピアノの前に座っていた女子生徒は、冷ややかな目でモニカを見ていた。

 改めて見ると、非常に美しい令嬢だ。美醜にうといモニカでも、相当な美人だということぐらいは分かる。

 迫力のあるぼうにモニカがしりごみしていると、令嬢はピアノのふたを閉めながら告げた。


「あたくしはもう教室に戻ります。もうかぎをかけたいのだけど?」

「あっ、ご、ごめんなさいっ、出ますっ」


 モニカはバルコニーと音楽室をつなぐ扉に鍵をかける。

 そして、ピアノに鍵をかけている美貌の令嬢におずおずと訊ねた。


「あのっ、この教室の鍵って……普段は、どうなってるんですか?」

「音楽室の利用は、職員室で鍵を借りることになっているわ。使いたいなら、第二音楽室使用申請書を提出することね」


 モニカは小声でモゴモゴと礼を言うと、大慌てで音楽室を後にする。

 その背中を、美貌の令嬢ははくいろの目でじぃっと見つめていた。


       * * *


 たらかいざんを繰り返してちやちやにされた会計記録は、まさにアーロン・オブライエンの置き土産みやげである。

 フェリクスが改竄だらけの会計記録を黙々と見直していると、領収書の見直しをしていたエリオットが、世間話のような口調で言った。


「なぁ、けようぜ。あの子リスが何日で音を上げるか。俺は三日だ」

「君は彼女が気に入らない?」


 モニカ・ノートンが頼りないことは事実だが、それにしてもエリオットの態度は露骨だった。

 フェリクスの言葉に、エリオットはフンと鼻を鳴らす。


「あぁ、気に入らないな。彼女、どう見ても貴族じゃないだろう? ……この学園に通うなんて、身の程知らずにも程がある」


 そうつぶやくエリオットは軽口を装っていたが、声には本物の嫌悪がにじんでいた。

 エリオットはフェリクスを見据え、低い声で言う。


「俺は己の分をわきまえない平民が大嫌いなんだ」

「あぁ、知ってるよ」


 セレンディア学園に通うのは貴族の子女がほとんどだが、準貴族以下の者も少なからずいる。基本的に金を積めば、入学は可能なのだ。

 だが、そのことをよく思っていないエリオットのような者は少なくない。


「それにしても意地が悪いね、エリオット。裏庭に面した教室だけでいくつある? 編入生の彼女が、全部の教室を回って聞き込み調査をできるとは、とても思えないけれど」

「それでも、俺達が動いて目立つよりはマシだろう。まして、昨日きのうみたいにこっそり夜中に部屋を抜け出してなんて……とても王族のやることとは思えないぜ」


 エリオットはとげのある口調で言い、垂れ目を細めてフェリクスをにらんだ。

 昨晩、だれにも言わず、フェリクスが単独行動をしたことが気に入らないのだろう。

 だが、エリオットの咎めるような視線をさらりと流し、フェリクスは涼しい顔で羽根ペンを動かす。


「学園内のトラブルはなるべく内密に処理したいんだ。クロックフォード公爵に介入されたくないからね」


 クロックフォード公爵はフェリクスの母方の祖父にあたる、この国でも有数の大貴族だ。

 このセレンディア学園は、クロックフォード公爵傘下にある学園。

 もし、学園内で大きな事件が起これば、クロックフォード公爵の顔に泥を塗ることになる……それだけは絶対に許されない。

 たとえ「公爵の犬」と言われようと、フェリクスはクロックフォード公爵の意に背くことはできないのだ。絶対に。


「なにより……フェリクス・アーク・リディルは、この程度の事件も処理できない無能だと思われたら困るんだ」


 フェリクスの言葉にエリオットが何か言いかけたその時、生徒会室の扉が控えめにノックされた。

 どうぞと声をかければ、ゆっくりと扉が開き、小柄な少女が姿を見せる。

 モニカ・ノートン。高等部二年の編入生。身なりも立ち振る舞いも、何もかもがセレンディア学園には相応ふさわしくないせっぽっちの少女。

 エリオットにいじめられている少女にほんの少しの哀れみを向けつつ、フェリクスは優しく声をかける。


「やぁ、ノートン嬢。何か進展はあったかい?」


 まだ数時間しかっていないのに、進展などあるはずがない。そもそも、フェリクスは最初からこんな少女に期待などしていない。

 だが小柄な編入生は指をこねながら、小さな小さな声で言った。


「……犯人、分かり、ました」

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