五章 沈黙の魔女、黄金比について熱弁を振るう ⑥

       * * *


「……ということがあってね」


 フェリクスの説明を聞いたモニカは、卒倒しそうになった。

 フェリクスは「ちょっとした事件」などと言うが、誰がどう聞いても暗殺未遂事件である。


(わ、わたしがセレンディア学園に到着したその日に、そんな事件が起こっていたなんて……!)


 モニカは血の気の引いた唇を震わせながら、フェリクスとエリオットを交互に見る。

 フェリクスは語る間も穏やかな微笑を浮かべていたが、エリオットはその時のことを思い出したのか、にがむしつぶしたような顔をしていた。

 この場合、エリオットの反応が正常なのだ。命をねらわれかけたのに、おっとりニコニコしているフェリクスの神経がおかしい。


(そ、それとも、王族って、命を狙われ慣れてるの、かな……)


 そんなことを頭の隅で考えつつ、モニカはたずねた。


「そ、その、看板を落とした犯人は……?」

「残念ながら、逃げられてしまったんだ。そうだろう、エリオット?」

「……悪かったな。捕まえられなくて」


 エリオットはくされたように口をとがらせ、その時の状況をもう少し詳しく語ってくれた。

 看板が落下した時、フェリクスのそばにいたのは教師のソーンリーと、副会長のシリル、書記のエリオットの三人。

 その場で唯一の教師であるソーンリーは、シリルをフェリクスの護衛に残して、エリオットと共に犯人を追いかけた。

 だがソーンリーとエリオットが二手に分かれて探しても、犯人は見つからなかったという。

 フェリクスはほぅっと息を吐いて、小さく肩をすくめた。


「アーロン・オブライエンを断罪した数時間後に、そんな事件が起こったんだ。何らかの関係があると考えるのが妥当だろう? だが、看板落下事件が起こった時に、オブライエン元会計は男子寮で謹慎中だった。となると看板を落としたのは別の人間ということになる」


 フェリクスはあおい目を少しだけ細め、意味深にモニカを見る。


「オブライエン元会計は着服にあたり、共犯者がいたことをほのめかしている。看板を落としたのは、その共犯者の可能性が高い」


 フェリクスはアーロンを尋問したが、心神喪失状態のアーロンはしきりに「あいつが……あいつが悪いんだ」と繰り返すだけで、共犯者について話すどころではなかったらしい。

 その様子を語りながら、エリオットが皮肉っぽく唇をゆがめる。


「だから俺達は、その共犯者を炙り出すためにわなを張ってたんだ。昨日の昼休みにな」

「……あ、それで、裏庭に……?」

「そういうことさ」


 ひとのない裏庭にフェリクスが一人でいれば、犯人は再び事件を起こす可能性が高い。

 そこで、裏庭に一人でいるフェリクスを狙って犯人が近づいたら、隠れているエリオットが取り押さえるという段取りだったらしい。しかし、そこに偶然やってきてしまったのがモニカだ。


「はっきり言ってな、俺は君を犯人の仲間だと思ってるんだ。植木鉢の落下地点に殿下を誘導した共犯者、ってな」


 第二王子の護衛としてこの学園にやってきたのに、まさかの刺客扱いである。

 もしルイス・ミラーが聞いたら「さすが同期殿はやることが斜め上ですなぁ、ハッハッハ」と笑いながら、殴りダコのあるこぶしを握りしめていただろう。


(せ、潜入して即退学なんて洒落しやれにならない……っ! ルイスさんにバレたら絶対怒られるぅ……しかも、任務に失敗したら最悪処刑……っ)


 モニカは首をもげそうなほど勢いよく横に振った。


「わっ、わたし、犯人じゃ、ありません……っ」

「じゃあ、二日前の午後三時前後……式典会場で看板落下事件が起きた時、君はどこで何をしていた?」


 エリオットの詰問に、モニカは指をこねながら記憶を辿たどる。

 二日前の午後三時。モニカは屋根裏部屋で部屋の掃除をしていた。

 猫になりたいよぅ、などとネロ相手にぼやきながら。


「そ、その日は、女子寮で……お部屋の掃除を……」

「それを証明できる者は?」

「……いません」


 その時間一緒にいたのはネロだけだ。流石さすがしやべる黒猫を証人にするわけにはいかない。

 うつむくモニカをエリオットは罪人を見るような目で見ていた。

 その視線にモニカは心臓が握り潰されるようなここで、短く浅い呼吸を繰り返す。緊張のあまり酸素が肺に入ってくれない。嫌な汗が、じわりと手袋ににじむ。

 ピンと張り詰めた空気の中、フェリクスがエリオットをたしなめるように口を挟んだ。


「エリオット、あまり小動物をいじめるのは感心しないな」

「でも、この子リスが疑わしいのは事実だろ」


 とげのある口調で言ったエリオットは、そこで何かを思いついたかのように、口の端を持ち上げて意地悪く笑った。


「そうだ。じゃあこうしようぜ。子リス、君が看板と植木鉢を落とした犯人を見つけてこいよ。そうしたら君は無実だって信じてやっていい」


 エリオットの提案にモニカは目を丸くする。


「えっと、わたしが……ですか?」

「俺達が動くとどうしても目立つんだよ。今回の件は端的に言って大事にしたくないんだ。だから、囮捜査も他の生徒会役員には話してない」

「えぇっ!?」


 モニカがギョッと目をいてフェリクスを見ると、フェリクスは苦笑混じりにうなずいた。


「そうだね。特に副会長のシリルは心配性だから」


 なるほど、昨晩ネロとモニカが目撃したフェリクスは、暗殺未遂事件の犯人をおびきだそうとしているところだったらしい。それもエリオットには言わずに、フェリクスの独断行動で。

 だが犯人は警戒していたのか、あるいは別の理由でか、昨晩はフェリクスを狙わなかった。

 このまま犯人が見つからなければ、事件は迷宮入りしてしまう。フェリクス達としても、それは避けたいのだろう。


「それで、やるのか? 犯人探し」


 エリオットの意地悪なニヤニヤ笑いは「どうせ無理に決まってる」と言わんばかりだった。

 モニカは胸の前で拳を握りしめる。

 すごく気が乗らないし、できれば寮の自室に引きこもっていたい。それでも、モニカはフェリクスの護衛役なのだ。


「や、や、やりまふっ……」


 モニカの情けない返事に、エリオットは「だとさ」と意地悪く笑ってフェリクスを見る。

 話を振られたフェリクスは、感情の読めない穏やかな表情でモニカを見た。


「そう、それならお願いするよ。よろしく、モニカ・ノートン嬢」

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