五章 沈黙の魔女、黄金比について熱弁を振るう ⑤

 おあつらきに、壁には会議用の移動式黒板がある。モニカはそこに簡単な人間の絵を描き、頭の部分に長方形を描いた。


「わたしは目で見た物の長さを大体正確に言い当てる自信があります。まず殿下は頭の形の横と縦の比率が一:一・六一八でした。これは人間が最も美しいと感じる黄金比に限りなく近い数値です。黄金比はより正確には一:一・六一八〇三三九八……と続くのですが、ここでは割愛します」


 ぜんとしているフェリクスとエリオットには目もくれず、モニカは黒板の絵のへその部分で横線を引いた。いわば人体図を上下で分割したような形だ。

 このへそから上の部分に一、へそから下の部分に一・六一八とモニカは書き込む。


「服を着ていても足の長さで大体へその位置は割り出せます。そして昨晩の人物も殿下も、胴体をへそのところで分割した時、上半分と下半分の比率がこの黄金比でした。更になんと! 下半身を一とした時、上半身と下半身を合計した全長が一・六一八になるんです。まるで計算されたような黄金比です! こんな人、滅多にいません! メジャーで測定してもらえれば、わたしの説が正しいと理解して……もら、え……」


 鼻息荒く力説していたモニカは、ここに至ってようやく我に返った。


(わ、わたしは、なにを……)


 モニカはチョークを握りしめたまま、ぎこちなくフェリクスとエリオットを見る。

 エリオットはポカンと目と口を丸くして立ち尽くしていた。

 一方フェリクスは「最後に採寸した時の数字は……」とのんびりつぶやきながら、なにやら計算している。

 ややあって、フェリクスは納得顔で呟いた。


「あ、本当に一:一・六だ」

「…………」

「容姿を褒められたことは、まぁまぁあるけれど、こんな褒められ方をしたのは初めてかな」


 皮肉というよりはどこか面白がるような物言いに、モニカは思わず頭を抱えた。


(あぁぁぁぁ、またやっちゃったぁぁぁ……)


 数式や魔術式が絡むと、モニカは我を忘れることがしばしばある。

 そのたびに同期のルイスに耳をつねられていたというのに……あぁ、まさかよりにもよって、護衛対象の前でそれをやってしまうなんて!

 とにかくフェリクスの不興を買わぬよう、なんとかしなくてはと、モニカは必死で言い訳を考えた。

 言い訳とルイスに評されたことのあるモニカが、考えて考えて考えて、考えすぎて迷走した末に思いついた言い訳がこれである。


「黄金比をもとに作られた黄金せんは、半径が『サムおじさんの豚』の歌にも使われている数列なんです! この数列では隣り合う二つの数の比が、どんどん黄金比に近づいていくという、とてもきれいな数列で……つまり『サムおじさんの豚』はすごい……じゃなかった、殿下の体は黄金比で、すごいです!」


 この言い訳で何をフォローするつもりなのか。ルイスがこの場にいたら拳骨必至の言い分であった。

 豚の歌と王族を同列に並べて褒めるモニカに、エリオットが半眼でうめく。


「いや、なんだよ『サムおじさんの豚』って」


 市井の童謡がピンとこないらしいエリオットの横で、フェリクスがポンと手を打った。


「あぁ、童謡の……なるほど。あの数字って、そういうことだったんだ」


 しみじみ感心しているフェリクスを、エリオットが垂れ目を細めてにらんだ。


「つまり、この子リスの証言通り、殿下は夜中に寮の外をウロウロして、一人でおとりそうをしてたわけか」

「あぁ、残念ながら進展はなかったけど」

「シリルが聞いたら、卒倒するぞ」

「うん、だから内緒にしておいてくれるとうれしいな」


 フェリクスとエリオットのやりとりから察するに、フェリクスは何かの犯人をあぶり出すためのおとりになっていたらしい。それも、だれにも言わずに独断行動で。


(そ、それって、護衛のわたしとしては、放置できない案件なんじゃ……)


 だが部外者の自分が口を挟んで、フェリクスは事情を教えてくれるだろうか?

 モニカが悩んでいる間にも、フェリクスとエリオットの口論は続く。


「エリオット、やっぱり彼女は無害な子リスだよ。昨晩の私の行動を見ていた上で何もせず、挙句の果てにこの場で口を滑らせるなんて、刺客ならありえない」

「いいや、それも俺達を油断させる作戦かもしれないだろ。昨日きのうの植木鉢の件、あまりに不自然だ。そこのノートン嬢が、殿下を植木鉢の落下地点まで誘導した可能性はゼロじゃない」


 エリオットの言葉に、モニカは「へぅっ!?」と奇声をあげた。

 何やら、聞き捨てならない疑いをかけられた気がする。


「あ、あの、昨日の植木鉢って……偶然、落ちてきたんじゃ」


 モニカがおずおずと口を挟むと、エリオットはどうするんだと言いたげな顔でフェリクスに目配せをした。

 フェリクスはニコリと微笑ほほえみ、椅子の上で足を組み替える。


「……まずは初めから事情を説明しようか。事の始まりは二日前、生徒会役員のアーロン・オブライエン会計が生徒会の予算を着服していたことが発覚してね。そのことを追及したら、オブライエン会計は錯乱状態になってしまって……退学の手続きが完了するまで、寮で謹慎させることにしたんだ」


 アーロン・オブライエンという名前にモニカは聞き覚えがあった。

 二日前に廊下で叫び、取り押さえられていた黒髪の男子生徒。彼の名前がアーロン・オブライエンというのだとイザベルが言っていた。


「我々生徒会としても、身内の恥はあまり公にしたくなくてね。オブライエン会計の着服のことは他の生徒達には伏せて、急病のために退学するということで穏便に事を収めようと思っていた。だけど、その後でちょっとした事件が起こったんだ」


       * * *


 始業式の前日、午前中の会議でアーロン・オブライエンを断罪したフェリクスは、その後、アーロンの不正の後始末をすべく、他の生徒会役員達と共に仕事に明け暮れていた。

 特に厄介なのが会計記録の見直しだ。アーロンは予算を着服するにあたって、会計記録を複数箇所かいざんしていた。

 そしてその改竄を隠すために、また別の数字をいじってちようじりを合わせ……ということを繰り返していたので、帳簿の記録は随分とひどいことになっていたのだ。

 生徒会役員総出で見直しをしたが、すべての数字を正すには相当な時間がかかる。

 結局その日は大して作業が進まぬまま、時間だけが過ぎてしまった。

 明日の式典の準備もあるから、会計記録の見直しだけに時間を割くわけにはいかない。

 時刻が午後三時近くなったころ、生徒会顧問のソーンリー教諭が生徒会室に顔を出して声をかけた。


「そろそろ明日の始業式と入学式の準備を」


 式典の準備の指揮となると、まずフェリクスは必ず赴かなくてはならないだろう。

 その他に、あれこれと物を動かしたりもするので、男手もあった方がいい。

 そこでフェリクスは、書記のブリジットと庶務のニールの二人に会計記録の見直しを任せ、副会長のシリルと書記のエリオットの二人を伴って、式典会場へ向かった。

 会場は既に新入生用の椅子が並べられており、入り口付近にはり看板が設置されている。

 会場の飾り付けはほとんど完了しているので、フェリクス達がするのは最終確認程度だ。それでも、一つ一つ点検していけば、椅子の過不足など細かな確認漏れは出てくる。


「新入生につけるリボンはクラスごとに箱を分けておこう。その方が当日はスムーズに……」


 フェリクスがエリオットに指示を出したその時、ソーンリー教諭がフェリクスの頭上を見て、ハッと顔色を変えた。


「危ないっ!」


 少し遅れて、副会長のシリルが悲鳴じみた声で「殿下!」と叫ぶ。

 ソーンリーとシリルの声を聞いたフェリクスは、考えるより先にその場を離れた。

 数秒遅れて、フェリクスがたたずんでいた辺りに何かが勢いよく落下してくる……それは入り口の上に吊るしていた看板だ。

 看板は式典会場二階窓の、落下防止用のさくに金具で固定されていたはずである。つまり、誰かが窓から手を伸ばして金具を外したのだ。

 見上げれば二階の窓が少しだけ開いていて、その窓に一瞬だけ立ち去る人影が見えた。

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