五章 沈黙の魔女、黄金比について熱弁を振るう ④

       * * *


 エリオットが足を止めたのは、四階の立派な扉の前だった。セレンディア学園はどこもかしこも上級貴族の屋敷に匹敵するほど豪華なのだが、目の前にある扉は一際立派だ。

 エリオットは軽くノックすると、返事も待たずに扉を開ける。


「入るぜ」

「どうぞ」


 中から聞こえた穏やかな声には聞き覚えがあった。

 エリオットが扉を押さえて、視線でモニカを中へ促す。

 モニカは胸の前でギュッと手を握りしめ、前へ進んだ。


「……しっ、失礼、しますっ」


 室内はいろじゆうたんが敷かれた広い部屋だった。

 セレンディア学園はどの部屋も一般学校とは比べものにならないぜいたくなつくりをしているが、その中でもこの部屋は特にぜいを尽くしている。テーブルや椅子、柱などに施された装飾が、とにかく凝っているのだ。分かりやすく絵画や彫刻などを並べた学園長室とはまた違う、ごうしやで優美な部屋だ。

 そんな部屋の奥、執務机の前に一人の男子生徒が座っていた。

 窓から差し込む光を受けて輝くハニーブロンド。水色に一滴だけ緑を混ぜたような美しい目。


「突然呼びだしてすまないね、モニカ・ノートン嬢」

「あなたは、昨日、の……」


 旧庭園でモニカの木の実を拾い、植木鉢からかばってくれたあの青年は、あの時と同じ穏やかな笑みを浮かべてモニカを見ていた。


「きちんとお昼ご飯は食べられたかい、子リスさん?」

「あの、き、昨日は……その、ありがとう、ございましたっ!」


 言えた、ちゃんとお礼を言えた。

 今日のモニカの目標は、ラナやこの青年に昨日の礼を言うことだった。その目標を早々に達成できたことに、モニカはひそかに喜びを嚙み締める。

 そんなモニカに、青年はおっとりと首を傾けた。


「うん? 私は何かお礼を言われるようなことをしたかな?」

「あの、木の実拾ってくれたのと……あと、医務室に連れていってくれたのも……」


 モニカが指をこねながらそう言えば、青年は「あぁ」と納得顔をした。


「気にしなくていいよ。生徒の安全を守るのも生徒会長の務めだからね」


 優しい人だなぁと感心したモニカは、ふと聞き捨てならない単語に気づき、ゆっくりゆっくり首を持ち上げる。


「……生徒、会長?」

「うん」


 青年はニッコリ笑顔で頷くと、静かに立ち上がり、モニカの前で優雅に一礼した。


「名乗りが遅れたね。セレンディア学園第七五代目生徒会長フェリクス・アーク・リディルだ。どうぞよろしく。モニカ・ノートン嬢」

「………………」


 昨日の親切な男子生徒は、実は生徒会長だった。つまりは第二王子で、モニカの護衛対象だった。

 その事実を理解した瞬間、モニカが思ったことは……。


「あのぅ……」

「うん、なんだい?」

「……なんで、王子様なのに、寮を夜中に抜け出してたん、ですか?」


 モニカの言葉に、扉の前で控えていたエリオットがギョッとした顔でフェリクスを見た。


「夜中に抜け出した? おい、それは初耳だぞ」


 フェリクスはエリオットの鋭い視線をさらりとかわし、モニカに笑いかける。


「何の話か、ちょっと分からないな」

「あの、わたし、昨日の夜、殿下が男子寮の外をウロウロしてるの、窓から見たんです……」


 昨晩ネロが発見した不審者は、間違いなく目の前にいるフェリクスだ。

 だが、どうして彼は寮の外出禁止時間に外をうろうろしていたのだろう?

 モニカの素朴な疑問に、フェリクスはあくまでにこやかな笑顔を崩さずに答える。


「昨日は月の無い夜だったね? おかげで星が綺麗だった」


 遠回しに、窓からでは暗くて見えるはずがないだろうと言われている。

 モニカが何かを言い返そうとすると、フェリクスは机の上で指を組み、そこに顎を乗せて言葉を続けた。


「君は夜に男子寮から誰かが出ていくのを見たのかい? あぁ、それはきっと不審者かもしれないね。でも私ではないよ。君が見たその人物の特徴を教えてくれるかい? 学園側の警備を強化しなくては」

「フ、フードをかぶってて、顔は見てません。金色の髪と後頭部が、ちらっと見えた程度……です」

「金髪の人間なんて、この学園にはいくらでもいるよ」


 反論された瞬間、モニカの中で火がついた。あるいは「証明したい」という学者特有の思考と言っても良い。

 余裕たっぷりのフェリクスに、モニカはこぶしを握りしめて断言する。


「き、昨日のフードの人は、殿下と、体格が一緒で」

「体格が近い人間なんて、珍しくないだろう?」

「近いんじゃなくて、黄金比、なんですっ!」

「……うん?」


 一度火がついたモニカは周りが見えなくなり、証明に夢中になってしまうという悪癖があった。それが今だ。

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