五章 沈黙の魔女、黄金比について熱弁を振るう ③

 耳までにして俯いているモニカは気づかない。

 ラナが笑いをこらえるみたいに口の端をヒクヒクムズムズさせていることに。


「仕方ないわね! ほら、そこ、座りなさいよ」


 ラナは高慢にそう言って、あごをしゃくる。

 モニカが言われたとおりに自分の椅子を持ってきて座ると、ラナは手早くモニカの髪を解いた。


「まったく、どういうやり方をすれば、あんな珍妙な髪型になるのかしら! 信じられない! ねぇ、くしは持ってる?」

「な、ないです……」


 モニカが弱々しい声で言うと、ラナはモニカの髪をぐいっと引っ張った。


「……よくそんなんで、教わりたいとか言えたわね?」

「ご、ごご、ごめん、なさいっ」


 ラナは呆れたように鼻を鳴らし、自分の櫛を取り出した。

 持ち手に繊細な透かし彫りを施した銀細工の櫛は、よく見ると小さな宝石が小花のようにちりばめられている。


「少し前までは、鳥モチーフで金細工の櫛がっていたけど、最近の流行は断然こっちね。小さめの宝石を控えめにちりばめるのが可愛かわいいのよ。特にアンメル地方の細工師は腕が良いから、一流品を買うならアンメル製にした方が……」


 そこまで言って何故かラナは口をつぐみ、無言でモニカの髪をき始めた。

 どうして突然黙りこんだのだろう、とモニカが不思議に思っていると、ラナはモニカにしか聞こえないような小声でつぶやく。


「……つまらないでしょ、わたしの話」


 どこかくされたような声に、モニカは目を丸くして背後のラナを見上げる。

 ラナは唇をへの字に曲げて、なんだか傷ついたような顔をしていた。


「……どうせ、うちは成り金だもの。わたしの話なんて下品で、聞く価値もないって、貴女あなたも思ってるんでしょ」

「あ、あの……えっと……」


 モニカは意味もなく手をあたふたさせつつ、必死で口を動かした。


「わ、わたしも、よく話がつまらないって、言われます……数字の話ばかり、しちゃう、から……」


 モニカは数式や魔術式の話になれば、幾らでも語っていられるのだが、そうすると相手の反応を見ることも忘れて、延々と語ってしまうのだ。

 そのせいでルイス・ミラーにしかられたことは、一度や二度ではない。

 あのぼうの魔術師は、時にモニカの耳を容赦なくつねって「同期殿、人間に戻りましたか?」と笑顔で言うのだ。

 その時のことを思い出して震えあがっていると、ラナがプッと小さくふきだした。


「なにそれ、変なの」

「へ、変、ですか……?」

「変よ。ほら、前向いて」


 ラナはモニカの横髪を慣れた手つきで三つ編みにする。そうして両サイドを三つ編みにしたら、残った髪と一緒にまとめて、最後にリボンを形良く結んだ。


「ほらできた。こんなの簡単よ」

「す、すごい……早い……重要なのは三つ編みの位置と角度? うぅん、束にする髪の比率も……」

「こういうのは数字じゃなくて、手で覚えるのよ。ほら、一度ほどいて自分でやってみなさいよ」


 ラナの言葉にモニカは目を見開き、ひっくり返った声で叫んだ。


「えぇっ、こんなにれいなのに……ほ、ほどいちゃうんです……か?」


 こんなに綺麗なのに、の一言にラナは気を良くしたように口をムズムズさせつつ、お姉さんぶった顔でせきばらいをした。


「自分でやらなきゃ覚えられないでしょ。失敗したら最後はわたしがやってあげるから、ほら、やってごらんなさいよ」

「うぅ……完成された綺麗な数式を分解して、でたらめな数式を書き込むみたい……」

「どういう表現よ、それ……」


 ラナがあきれ半分、満更でもない気持ち半分という顔で笑ったその時、教室がにわかにざわめきだした。

 教師が来るにはまだ早い時間だ。どうしたのだろう、とモニカがざわめきの中心に目を向ければ、そこには見覚えのある男子生徒がいた。焦茶の髪に垂れ目の青年だ。


(あ、あの人……)


 昨日、旧庭園でモニカを侵入者呼ばわりした、生徒会役員のエリオット・ハワードだ。

 エリオットはぐるりと教室内を見回し、モニカと目が合うとニヤリと笑った。

 モニカはヒィッと息をのんで、ラナの背後に隠れる。だが、時既に遅し。

 エリオットは革靴を鳴らして、モニカの席にぐに向かってきた。モニカはとつにラナの背中を飛び出し、近くのカーテンの中に潜り込む。

 そんなモニカの奇行を、エリオットはせせら笑った。


「まさか、本当にうちの学園の生徒だったなんてな。今でも俄かには信じがたいぜ。人の顔を見るなり逃げだすなんて、淑女のやることとは思えない。なるほど確かにおくびような子リスだ」


 モニカはガタガタと震えながら、カーテンのすきからエリオットを見る。


「わ、わたし、人間、です……」

「そう主張するなら、せめてそこから出てこいよ」

「…………」


 モニカがビクビクしながらカーテンから出てくると、エリオットはニコリと笑う。口元こそ笑みの形をしているが、垂れ目は全然笑っていなかった。


「さて、ちょっと君に用があるんだ。黙ってついてきてくれるかい?」

「わ、わたし、これから授業……」

「このクラスの担任って、ソーンリー先生だろ? じゃあ、俺から言っておくよ。どうせ、新学期二日目なんて大した授業はないんだし」


 そう言ってエリオットは数歩先を歩くと、首だけひねってモニカを見る。


「俺は生徒会役員だ。この先、平和な学園生活を送りたければ、大人しく従った方がいいぜ、編入生」


 ここで「嫌です」と泣いて逃げだしたら、昨日きのうまでと何も変わらない。

 モニカはスーハーと一度だけ深呼吸をすると、小さくうなずいた。


「……わ、分かり、ました」


 エリオット・ハワードはモニカに対するべつを隠そうとしないし、言葉の端々にとげがある。

 それでも、笑顔で攻撃魔術をぶっ放してくる恐ろしい同期よりは、きっとマシなはずだ。

 モニカは自分にそう言い聞かせ、震える足を動かした。

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