五章 沈黙の魔女、黄金比について熱弁を振るう ①

 モニカは五歳ぐらいのころ、ある物が欲しいと父親におねだりをしたことがある。

 ある物──それは、メジャーだ。

 モニカは同年代の子どもより数字や四則計算を覚えるのが早く、この頃にはもう面積や体積の求め方を学者の父に教わっていた。

 だから、身の回りにある物の面積や体積を調べてみたくて、メジャーをねだったのだ。

 たまたまそこに居合わせた父の友人は、モニカのおねだりに大層面食らっていたが、モニカの父はモニカがメジャーを欲しがる理由を聞くと、穏やかに微笑ほほえみ、モニカの望んだ通りにメジャーをプレゼントしてくれた。

 念願のメジャーを手に入れたモニカは、それはもう夢中になって家中の家具という家具や、自分や父親の手や足のサイズを測ってまわった。

 ──世界は数字に満ちている。人間の体もそう。人体は膨大な数字でできているんだよ。

 それは、幼いモニカに父がよく言っていた言葉だ。

 メジャーで身近な物を測り、面積や体積を求めるたびに、世界が数字でできているという父の言葉を実感できる。

 それが幼いモニカには、うれしくて楽しくて仕方がなかった。


       * * *


(……あのメジャー、目盛りが擦り切れて読めなくなるまで、毎日ずっと持ち歩いてたっけ)


 幼い頃の夢に微睡まどろみながら寝返りを打ったモニカは、窓から差し込む朝日のまぶしさに顔をしかめ、ノロノロと起き上がる。

 屋根裏部屋にはカーテンが無いので、朝日がそのまま室内を照らしていた。

 起床したモニカはだしなみを整えるよりも先に、引き出しからコーヒーポットを取り出す。そして無詠唱魔術で水を作り、コーヒーポットにめた。

 魔術で精製した水は少なからず魔力を含んでいるので、飲料には適さないと言われている。

 人間の体はあまり沢山の魔力を溜めておけず、魔力を含んだ水を大量摂取すると魔力中毒を起こすからだ。だから、モニカも普段は井戸で水をんでいた。

 それでも少量なら問題は無いだろう。元より七賢人のモニカは常人よりも魔力許容量が多いのだ。簡単には魔力中毒になったりはしない。


 モニカはポットに精製した水を注ぎ、コーヒー豆をいてポットにセットした。

 更に小さな鉄製の三脚を取り出し、その上にポットを載せて、無詠唱魔術で火を起こす。

 この小さな火も一定の火力と位置座標を維持しなくてはならないので、みつな術式と操作が必要とされるものである。

 黒猫の姿でベッドをゴロゴロしていたネロが、あきれたようにモニカを見た。


「コーヒー一杯れるのに、技術の無駄遣いすぎねぇ?」

「だ、だって……勝手にちゆうぼうを使うわけにもいかないし……」


 モニカは小声で言い訳をし、ポットのコーヒーをカップに注いだ。

 すると、ネロはモニカの机の上に飛び乗り、金色の目でモニカを見上げる。


「モニカ、オレ様もそれ飲んでみたい」

「どうしたの、急に?」

「最近読んだ小説に書いてあったんだ。主人公のバーソロミューが黙ってコーヒーを飲むのが、渋くてカッコいいんだぜ」


 モニカはしばし考え、カップのコーヒーを少しだけスプーンですくって、ネロの前に置いた。

 猫にコーヒーを与えるのは良くないのだろうけれど、ネロは普通の猫ではないから大丈夫だろう……多分。


「大丈夫? 結構苦いよ?」

「冒険心を忘れた生き物は、退化していくんだぜ」

「……って、本に書いてあったんだ?」

「おぅ、ダスティン・ギュンターは最高だな」


 王都でりの小説家の名前を挙げて、ネロはスプーンのコーヒーをチロチロとめた。

 途端に、その全身の毛がブワッと逆立つ。


「ほんぎゃらぶっぼー!」


 ネロは、およそ人間でも猫でも発しないような鳴き声をあげて、机の上をゴロゴロと転げ回った。

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