四章 最大の試練(自己紹介) ⑤

 人見知りのモニカがぎこちなくたずねれば、少女は淡く微笑ほほえんだ。


「セルマ・カーシュ。貴女あなたのクラスメイトで保健委員よ。貴女が倒れて医務室に運び込まれたって聞いて、様子を見にきたの」


 なるほど自分が寝かされていたのは、医務室のベッドだったらしい。きっと、あの金髪の青年が運んでくれたのだろう。


(なんだったんだろう、あの人達……)


 自分はただ昼食を食べる場所を探していただけなのに、何故か侵入者に間違われ、頭上からは植木鉢が落ちてきて……昼休みの間だけで結構な事件に遭遇している気がする。

 植木鉢を無詠唱魔術の風で回避できたのは偶然だ。あと少し気づくのが遅れていたら、無詠唱でも間に合わなかった。

 あの時の恐怖を思い出して身震いしていると、セルマは白い手を伸ばして、モニカの乱れた前髪をそっと直してくれた。

 白く細い指に薄紅の爪。傷一つ無いれいな手は、仕事を知らない淑女の手だ。ペンダコだらけのモニカの手とは、全然違う。


「今日はもう授業が無いから、寮に戻って大丈夫よ。貴女が目を覚ましたことは、私の方からソーンリー先生に言っておくわね」


 それだけ言って、セルマは静かに医務室を出て行く。

 窓から見える空は夕焼けに赤く染まっていた。どうやら、結構な時間寝ていたらしい。

 モニカはベッドから下りると、俯きながらトボトボと寮へ向かった。

 久しぶりに大勢の人と接したせいで、体も心もすっかり疲れ果てていた。鉛のあしかせでもはめたかのように足が重い。

 女子寮では夕食を前にした女子生徒達が、あちらこちらで楽しげに談笑している。

 そんな少女達と目を合わせぬよう下を向いたまま、モニカは最上階に向かった。

 こうやって人目を避けて隅をコソコソと歩くのは、学園だろうが街の中だろうが、どこにいても変わらない。今も、昔も。モニカはいつだって、人の集まる場所に上手に溶け込めない異分子だ。

 やがて最上階の物置部屋に辿たどいたモニカは、奥にあるはしを上り、屋根裏部屋のふたを押し上げた。

 ノロノロと歩いている内にすっかり日は暮れていたらしい。屋根裏部屋は手元がよく見えない程に暗かった。

 モニカはしよくだいの蠟燭に無詠唱魔術で火をける。

 この無詠唱魔術を人々は「奇跡だ」と称賛するが、モニカには無詠唱魔術を行使するより、普通の学園生活を送る方がはるかに難しい。

 モニカはラナに結んでもらったリボンを外して机に置く。それと、ポケットに入れっぱなしにしていた木の実もハンカチを広げて、その上に置いた。


 ──コツコツ。


 窓をノックする音が聞こえる。

 目を向ければ、夜のやみに紛れている黒猫のシルエットがうっすらと見えた。

 モニカが窓のかぎを回すと、ネロは器用に前足で窓を開ける。


「ネロ、おかえり」

「おぅ、ただいま。オレ様、情報収集してきたぜ! 褒めろ!」

「……うん、ありがとう」

「聞いて驚け、第二王子は三年生で生徒会長なんだ」


 とっくに知っている情報であった。だが、ネロの情報収集の努力を無下にするのも気が引けて、モニカは無言でネロの言葉に耳を傾ける。


「つまりお前が生徒会役員になれば、王子に自然と近づけるってことだな! オレ様賢い!」


 確かにネロの意見は的をいていた。

 第二王子とモニカは学年が違うから、普通に接近するのは難しいだろう。

 同じ生徒会役員なら、自然と接近できる……が。


「……無理いぃぃ」


 生徒会役員になるためには、成績優秀であることが絶対条件だ。その上で生徒会役員とのコネなども必要とされる。

 ベッドに突っ伏して泣き言を言うモニカに、ネロが金色の目を向ける。


「でもよぉ、モニカ。お前は七賢人なんだろ? 天才なんだろ? じゃあ、次のテストでめっちゃくちゃ良い成績を取れば、きっと生徒会役員に……」


 モニカは無言で首を横に振り、教科書をベッドに並べた。

 教科書は歴史や語学に関する物が圧倒的に多い。貴族の子に求められる知識ともなれば、それも当然だろう。

 しかし、モニカが専攻していたのは魔術に関すること全般である。

 魔術史、基礎魔術、魔法生物学、魔導工学、魔術に絡む法律関係は詳しいが、それらを除くと算術以外は軒並み平均以下であった。

 魔術に関することは暗記できるが、五爵の序列が出てこないほど記憶力が偏っているのだ。


「お前はミネルヴァって学校に通ってたんだよな? そこでは語学の勉強はしなかったのか?」

「……み、ミネルヴァでわたしが専攻したのは……古代魔法文字と、精霊語で……」


 当然にどちらも貴族の子に求められている知識ではない。なんだったら、大抵の人間には一生無縁のものである。

 モニカはネロを胸に抱いて、うなれた。


「……どうしよう、どうしよう、どうしよう」


 もはや、モニカは第二王子の護衛をするどころではなかった。この学園で落第しないようにするだけで、精一杯なのだ。

 否、そもそもそれ以前に……。


「……わたし、今日、いろんな人に、親切にしてもらったの」


 モニカは机の上に置いたリボンと木の実をちらりと見る。

 ラナは高飛車な態度だったけれど、あのクラスで初めてモニカに話しかけてくれた人物だ。

 旧庭園で出会った青年は、モニカの木の実を拾ってくれた。

 イザベルは色んなところでサポートしてくれたし、保健委員のセルマは様子を見にきてくれた。


「本当は、ちゃんと、ありがとうございますって、言いたかったのに……」


 モニカがしゅんと項垂れると、ネロはモニカを見上げる。


「お前、オレ様には普通に『ありがとう』って言えたじゃんか。さっき言ったろ。オレ様聞いてたぞ」

「それは、ネロは人間じゃない、から……」


 ネロはまるで人間みたいに難しい顔をしていたが、ふと何かを思いついたようにしつを揺らし、モニカの膝の上から下りた。


「よしよし、それならオレ様が、お前の人見知りを克服する練習を手伝ってやろう」

「ネロ? ま、まさ、か……」

「そのまさかだぜ」


 ネロは椅子の上にピョコンと飛び乗ると、尻尾を一振りした。

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