四章 最大の試練(自己紹介) ④

 旧庭園の奥、古びた噴水の縁に金髪の青年が腰掛けて何かを読んでいる。うつむき気味なので顔はよく見えないが、制服を着ているからこの学園の生徒なのだろう。

 モニカは正直落胆した。この場所は良い隠れ場所になりそうだったのに、既に先客がいたらしい。


(……他の場所を探そう)


 肩を落としながら引き返そうとしたその時、背後でカサリと草を踏む音が聞こえた。

 え、と思った瞬間、背後から伸びてきた腕がモニカの手首を摑む。


「ひぃっ……!」

「捕まえた! まんまと引っかかったな!」


 恐怖に息をのむモニカの背後で、モニカを拘束した誰かが鋭い声をあげた。

 モニカが首だけをひねって振り返れば、モニカを見下ろす焦茶の髪の青年と目が合う。

 少し大人びた顔立ちに垂れ目。モニカはその顔に──具体的には垂れ目の角度に覚えがある。昨日きのう、廊下で騒いでいた生徒会の一人だ。


(確か、イザベル様がおつしやってた……えぇと、ダーズヴィー伯爵家の、エリオット・ハワード様)


 エリオットがモニカの手首を摑む力は、悪ふざけにしてはあまりにも強い。

 おまけに、エリオットはモニカに対する敵意を隠そうともしなかった。

 エリオットの手がモニカの制服のポケットに触れる。服の上からでも分かる膨らみに、エリオットは眉をひそめた。


「ポケットに何か入れてるな。それが武器か?」

「ち、ちがっ、これ、わたしの、お昼ご飯……っ」


 モニカの必死の言い分を、エリオットは馬鹿馬鹿しいとばかりに鼻で笑いとばした。


「ポケットに昼食を入れてるやつなんて、この学園にいるわけないだろ」

「あうっ……」


 確かに貴族の子女が通うセレンディア学園で、昼食に木の実を持参する者はまずいないだろう。

 モニカが口ごもると、エリオットはニヤリと不敵に笑ってモニカを見下ろす。


「なにより、俺はこの学園の生徒の顔は新入生以外ほぼ全員覚えていてね。制服のスカーフの色から察するに、それは二年の制服だな。だけど、君の顔は見たことがない。制服を着た侵入者と考えるのが妥当だろう? ……さぁ、白状しろ。だれに雇われた」


 モニカはエリオットと昨日すれ違っているのだが、ほんの短い時間だったし、モニカは俯いていたので、エリオットはモニカの顔をろくに見ていなかったのだろう。

 敵意に満ちた声ですごまれ、モニカは小動物のように震えあがった。


(やだやだやだやだやだやだ、怖い怖い怖い怖い怖い!)


 パニックになったモニカは、とつに無詠唱魔術で風を起こす。殺傷能力は無いに等しい、足がよろめくぐらいの強風だ。

 それでも巻き起こった土が丁度エリオットの目に直撃したらしく、エリオットはモニカから手を離して目をこすった。


(い、今のうちに、逃げなきゃ……)


 モニカは無我夢中でエリオットの拘束から逃れ、走ってその場を逃げようとした……逃げようと、したのだ。

 だが絶望的に運動神経の悪いモニカは方向転換した瞬間、足首をひねり、その場にすっ転んだ。


「ひぶにゃっ!」


 間抜けな声をあげて豪快に転んだモニカのポケットから、木の実が飛び出してバラバラと散らばった。


「わ、わ、わ……」


 モニカが狼狽うろたえながら起き上がろうとしていると、モニカの腕を誰かが摑んだ。恐る恐る振り向けば、エリオットの垂れ目と目が合う。


「逃ーがーすーかー」

「い、いやぁぁぁぁぁ!」


 モニカがボロボロと泣きだしたその時、このやりとりを噴水の縁に腰掛けて眺めていた金髪の青年が口を開いた。


「エリオット、その子を放してあげてくれ」

「はぁ? なんでだよ。こんな所までやって来るなんて、絶対にうちの学園の生徒じゃないだろ。きっと、アーロンが仕向けた刺客に決まって……」


 エリオットが全てを言い終えるより早く、金髪の青年は人差し指を口に当てた。

 エリオットはバツが悪そうに口をつぐみ、モニカの腕から手を離す。

 モニカがぼうぜんとしていると、青年はその場にしゃがみ、地面に散らばった木の実を拾い集めた。

 改めてよく見ると、とても整った顔の青年だ。長いまつに縁取られたあおい目は、明るい水色に緑色を一滴混ぜた不思議な色をしている。


「今年は二年生に編入生がいると聞いたんだ。もしかして君がそうなんじゃないかな? 名前は何て言ったかな……そうだ。モニカ・ノートン嬢」


 モニカがはなすすりながら頷くと、金髪の青年は木の実を集めながらエリオットを見た。


「ほらね、この子は刺客じゃなくて、たまたま迷い込んだだけの子リスだ」


 青年はモニカの手を取ると、そこに拾い集めた木の実を載せてくれた。


「食事の邪魔をしてすまないね」


 わざわざひざをついて木の実を拾ってくれた青年に、モニカは礼を言おうとした。だが、緊張してく言葉が出てこない。


(ちゃんと、ありがとうございますって言わなきゃ……)


 モニカが口を「あ」の形にして、唇を震わせていると、青年はハッと顔を上げてモニカを抱き寄せた。


「危ないっ!」

「……へっ?」


 青年の視線の先を追いかけたモニカは、頭上から何かが落ちてくることに気がついた。このままだと、モニカか青年のどちらかにぶつかる。

 モニカは咄嗟に無詠唱魔術を行使し、強風を起こした。

 強い風にあおられて、落下物はモニカ達から少し離れた地面にぶつかる。

 ガシャンと大きな音を立てて粉々になったそれは植木鉢だった。それが、モニカ達の頭上から落ちてきたのだ。

 当たりどころが悪ければ、おおでは済まない。


「偶然風が吹いて助かったな……大丈夫かい?」


 青年はモニカを抱き寄せ、心配そうに声をかけてくれたが、モニカはもうそれどころではなかった。

 不審者扱いされて取り押さえられ、頭上から植木鉢が落ちてきて、そして初対面の人間に抱き寄せられた。

 モニカの頭は想定外の事態の連続についていけず、限界まで張られた緊張の糸がブツリと切れる。


「…………はひゅっ」


 白目をいてひっくり返ったモニカを、金髪の青年が慌てて抱きとめた。


       * * *


 黒く大きな影が、モニカの目の前に立ちはだかっていた。

 影はろうそくの火で照らされたみたいに揺れている。

 ユラリユラリ。揺れる影を見上げ、モニカはぼんやり思った。


(あぁ、いやだな。おじさん、今日はお酒を飲んでるんだ)


 黒い影がモニカを見て、ワァワァと何かをわめき散らす。

 こういう時は余計なことを言ってはいけないのだ。だからモニカは口を閉ざし、俯いて、サムおじさんの豚のことを考える。

 豚が一匹、一匹、二匹、三匹、五匹、八匹、一三匹、二一匹……。


(隣同士の項は一以外の共通の約数を持たない状態になるって気づいた時はうれしかったな……お父さんに言ったら、よく気づいたねって褒めてくれて……)


 ボンヤリとそんなことを考えていると、黒い影は握りしめた酒瓶をモニカ目掛けて振り下ろす。

 ガシャン! と大きな音がした。

 辺りに飛び散る破片は酒瓶? 違う、違う、これは……

 ……植木鉢だ。


「ほぁっ」


 奇声をあげて飛び起きたモニカは、ドクドクとうるさい心臓を押さえた。

 なにやら恐ろしい夢を見ていた気がする。頭の奥が鈍く痛い。

 ゆっくりと息を吐いて呼吸を整えていると、すぐ横で声がした。


「……大丈夫?」


 モニカがぎこちなく首を横に向けると、見覚えのない女子生徒が心配そうにモニカを見つめていた。

 はしばみ色の髪をした、大人しそうな雰囲気の小柄な少女だ。


「あな、たは?」

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