四章 最大の試練(自己紹介) ①
モニカは今まで、積極的に人の顔を覚えようとしたことがない。山小屋に引きこもって暮らしている分には、最低限の知り合いだけ覚えていれば事足りるからだ。
だがその結果が、護衛対象である第二王子の顔が分からないという事態。
まして、第二王子を護衛しながらの学生生活ともなれば、自分や第二王子周辺の人間の顔を覚える必要がある。
故にモニカはセレンディア学園に来てから、随分久しぶりに人の顔を覚える努力をしていた。
人の顔を覚えるのは、その気になれば簡単だ。モニカは測量器の類が無くとも、目視だけで長さや角度をある程度割り出せるという、ちょっとした特技がある。
だから、顔のパーツの幅や角度を割り出して、数字で覚えてしまえばいい。
「あー、モニカ・ノートン君。彼が君の担任のソーンリー先生だよ」
編入初日、学園長が職員室でモニカに紹介したのは、少し
その顔を──正確には、顎の角度や目の幅などの数字を、モニカは覚えていた。
(この人、
ソーンリーの方はモニカのことを覚えていなかったらしく、特に昨日の出来事に言及する様子はない。
「私はヴィクター・ソーンリー。担当授業は基礎魔術学だ」
「ソーンリー先生は、あのミネルヴァの出身でね。上級魔術師資格も持っておられるのだよ。しかも、新しい魔術式を発明して魔術師組合から表彰されたこともあり……」
学園長はまるで自分のことのように誇らしげに、ソーンリーの経歴を語り出した。
魔術師養成機関の最高峰であるミネルヴァ出身で、かつ上級魔術師資格持ちともなれば、エリート中のエリートである。
そんなエリート魔術師を教師として抱えていることで、学園長も鼻高々なのだろう。貴族にとって魔術は
「更にソーンリー先生は、五年前から生徒会の顧問を務めていてね。このセレンディア学園の生徒会顧問を務めるということが、いかに誉れ高いことか……」
「学園長、そろそろお時間ですので」
ソーンリーが左手の懐中時計で時間を気にしながら、口を挟んだ。
学園長は「おやすまないねぇ」と笑いながら、自分の席に戻っていく。
ソーンリーは神経質そうに眼鏡の位置を直すと、値踏みするような目でモニカを見る。
「ところで、私はまだ、君の口から自己紹介を聞いていないのだがね?」
「あの……その……」
モニカが
「姿勢!」
「ひゃ、ひゃいっ」
それでも怖くてソーンリーを直視できず、視線を
「我がセレンディア学園は、この国の頂点に立つ名門校。生徒には相応の品性と
モニカには品性も教養も足りていない、とソーンリーは言外に匂わせていた。
事実、七賢人に就任するまでは庶民だったモニカに、貴族としての教養など無い。
「
「すっ、すみっ、ませ……」
「嘆かわしい」
モニカの頼りない謝罪を途中でバッサリ切り捨てて、ソーンリーはモニカの前を歩きだす。
「今からクラスに向かう。ついてきなさい」
「は、はい……」
「姿勢!」
鋭い声にモニカは半泣きで姿勢を正し、ソーンリーの後を追う。
普段は着古したローブを愛用しているモニカだが、今日はセレンディア学園の白を基調としたワンピースにボレロを羽織り、白い手袋を身につけている。
魔術師養成機関のミネルヴァでも、貴族の子は好んで私物の手袋をつけていたが、セレンディア学園では手袋が制服の一部なのだ。
なんだか落ち着かない気持ちで、モニカは手袋をした手を握ったり開いたりする。手袋の中の手は、緊張ですっかり汗ばんでいた。
やがて教室に到着すると、ソーンリーはモニカを教壇の前に立たせた。
「全員注目。こちら、編入生のモニカ・ノートン嬢だ」
クラスメイト達の視線が自分に集中している。ただそれだけで、モニカは
気分はすっかり審問台に立たされた罪人である。
「挨拶を」
ソーンリーに促されたモニカの
人前に
(何か、言わなきゃ……)
こういう時は、自分の名前に「よろしくお願いします」と一言添えて、お辞儀をするだけでいいのだとルイスに言われている。
だが、たったそれだけのことすら、モニカにとって途方もない試練だった。
挨拶をしようとモニカは口を開くが、結局口をパクパクさせるだけで、何も言えずに黙り込む。
ソーンリーが露骨にため息をついた。その
「もう結構、座りたまえ。君の席は廊下側の一番後ろだ」
モニカは返事をすることもできないまま、震える足で自分の席へ向かう。
やがて授業が始まったが、その内容はこれっぽっちも頭に入ってこなかった。
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